人には「ものさし」が必要だ。
言わずもがな、言葉通りの「ものさし」ではない。それは「価値観」「人生の羅針盤」「光輝く道」「男の世界」と換言出来る。
継承される襲命者は対応者であってはならない。伝承とはそれを自らの血と肉、つまり自身の「ものさし」にした上で次に私に成る者へ渡す命のバトン。終わりなき連鎖はまるで生命、私の遺伝子は「ものさし」に刻まれる。
人は理解出来ないものを否定し蔑む。では「ものさし」を持つ人間ならどうするのか?
価値を測り、理解した上で価値が無いと切り捨てるのだ。
そんな形而上の数式のような、動点Pを私は定義してきた。Pの軌跡は増加或いは減少関数なのか、概形すら始めは分からなかった。P=1,2,3,,,と何度も実験し、0に近づけたり無限に発散させもした。やがて「ものさし」は輪郭を帯びた。積み重なる失敗の上にようやく必要条件に辿り着いた。
齢75に差し掛かり未だに私の「ものさし」が必要十分条件なのか、十分性は足りていない。それを書くには余白が狭すぎる。
17/10/25(水)18:09:48
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