ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
21/08/03(火)23:03:44 No.830854711
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……!」 「バクシンオー、あと三セットだ、頑張れ!」 私のいるターフの正反対から、メガホンを通してトレーナーさんの声が聞こえてくる。八月三日、火曜日。今日の天気は晴れ時々雨、らしい。現状の空模様は……多少雲はあるけども、雨が降りそうな感じはしない。鼻から吸い込む空気もそんなにじとっとはしていないから、とりあえず雨は降っては来ないと思える。雨は努力を阻む天敵だ。これまでの経験的に、雨が降るとトレーニングは中断されてしまう。昨日は運が良かった。今日は、どうやら気にするだけ無駄なようだ。 「バク、シン! バク、シン!」 夏休みを鮮やかに彩る予定の、バクシンオーレポートを始めてからもう一週間。当たり前のように過ぎていく日々の中、私はとてもいい天気の下で、トレーナーさんとトレーニングに励んでいた。 「ペースを落とさないように、その調子ーっ!」
1 21/08/03(火)23:05:16 No.830855329
レポートにもあった通り、今週のメニューはいつもとは一味違っている。確かに彼の言う通り、今週のメインはスピードを高めるものではなく、走るためのスタミナを付けるためのものだ。短距離から長距離まで、先立つものは体力。彼は言う、スピードから横道に逸れるんじゃない。スピードという骨と筋肉を活かすために他の色々を強化するんだ、と。真摯な瞳で、気持ちのいい声で、私に訴えかけてくれる。 「あと一周、頑張れーっ!」 ラダーやジャンピングスクワットを合間に挟みつつ、登坂練習を五セット掛けることの三回行って。室内練習場にて重、不良ババを模した芝の上でスパートの練習をして。やたらに暑い昼間は効率を重視してプールで心肺を強化。そして本日は、パワーアンクルとパワーリストを付けて、練習場の全周を速歩で五セット回るトレーニングの最中だ。きつ過ぎるトレーニングは意味がない。程よくきつく、まだ少し出来そうってくらいが一番丁度いい。トレーナーさんはそうも言っていた。
2 21/08/03(火)23:06:54 No.830855967
彼の言う言葉たちの嘘か誠かを判断するのは自分の身体だ。疑ってかかるよりもまず実践。筋肉が頑張ったよーと言えばきっと大丈夫。サボってしまうようならきっと改善する余地がある。判断基準はたったそれだけ。懐疑と盲信のちょうどいいポイントを探りながら、しっかりとこなせば。私がレースでやれることは、格別格段に増えていく。 「ふぅ、完遂です!」 「お疲れ様、バクシンオー!」 差し出されたタオルをありがたく受け取って、流れてくる汗を拭い取る。汗を拭いてやることが無くなったタオルを一旦返せば、代わりとばかりに良く冷えたスポーツボトルをトレーナーさんは渡してくれた。これまたありがたく受け取り、キャップを開けて口に付けて傾ける。彼お手製のドリンクは絶妙な甘さと喉越しで、疲れ始めた身体をガンガン癒してくれた。熱くなっていた身体が落ち着いてくれば、いろいろ見えてくるものがある。
3 21/08/03(火)23:07:16 No.830856098
「そういえば、トレーナーさん」 「ん? なんだい?」 このタイミングで聞いてしまおう。首を傾げる彼に向かって期待十割乗せながら私は問いかけた。 「あの花言葉、教えて頂いてもいいですか?」 彼は、ああと相槌を打ち、ついでにぽんと手を叩いた。そうだったねと口ずさんで、楽しそうに嬉しそうに笑いながら、私に……
4 21/08/03(火)23:07:50 No.830856352
8/2 月曜日 晴れ時々雨 「おはよう、バクシンオー。今日からはおはようで攻めていくよ。うーむ、攻めると言うと語弊があるね。一応一日置きみたいな感じだけど、モーニングコール的な感じでやってみたらいい感じになるかなってちょっと思ったんだ。……いや感じが多いな?!思い付きはそのままにするんじゃなく、一回俯瞰して整えてあげないと駄目だね。文章爆発、支離滅裂になっちゃった。いやはや、やっぱり文章を書くのは難しいね。きみへのレポートで僕も成長させてもらうとするかな。 きみのいちばん好きなものは、走ること……かあ。うん、うん。すごくバクシンオーらしいよ。かっこいいな、とても。全部好きです!って言われるかなって思ってたからさ、個別に、しかも断言してくれて。なんだろう、上手く説明できないんだけど、すごく嬉しいんだ。本当に走ることが好きなんだなって思えたよ。やっぱりさ、きみのトレーナーになれて良かった。うん、本当に。
5 21/08/03(火)23:08:13 No.830856503
あはは、いけないや、少し、酔ってるかも知れない。お酒を飲むとこういうことになるから良くない。お酒はちょっと苦くて、ついでにひとを素直にしてくれるんだ。お酒がおいしいのはさ、楽しくなれるからだと僕は思ってるよ。まさかなんて考えなくてもいいとは思うけど一応。みんなの頼れる委員長、サクラバクシンオーに限って、法律を犯しちゃうってことはないと思うけど一応!言っておくよ。お酒は二十歳になってから、ね。その時が来たら一緒に飲もう。きっと楽しいと思うからさ。 ええと、あと何か書くことがあったような……そうだ、聞きそびれていたよ。クイズのご褒美は何がいい?僕に叶えられないこと以外なら、なんでもいいよ。あ、出来そうだけど破滅と隣り合わせなのもご容赦下さいな。 それじゃあ、また明日。今週はスタミナトレの盛り合わせだから、しっかりストレッチしてから寝るようにね。きみの朝が、よい朝になりますように」
6 21/08/03(火)23:09:04 No.830856841
今日は実家からの直行だから朝はちょっとばかし忙しくて、彼からのレポートを確認する余裕がなかった。事前準備は日曜日のうちに済ませておいたから、てんやわんやすることはなかったのだけど、トレーニングが楽しみ過ぎて色々と忘れていた。不覚。 母と父にいってきますとありがとうを伝え家を出れば、また寮と練習場を行き来する生活が始まる。基本的に全寮制のトレセン学園だけど、夏休みは流石に人気に乏しい。当たり前だけど。世間一般で言う夏休みやお盆休み。そういったものはトレーナーさんの裁量次第ではあるものの、ある程度は安定して貰えるのが普通だ。というか、トゥインクルシリーズに登録された私ですら、ちょっとした帰省の時間を貰えているのだから、クラシックやシニアのレースに、向けた追い込みだとか、合宿なんかの特別な用事とか、込み入った事情が無ければ基本みんな地元に帰っている。 夏休み返上で夢に向かって走るのは私たちウマ娘的には当然なのだけど、だからと言ってずっと休みなしな訳ではない。メリハリは大事だ。休みを楽しむことによってトレーニングも華やぐ。
7 21/08/03(火)23:09:50 No.830857131
ゆえに皆の模範たりえるウマ娘の私は、トレーニングは勿論休みだって完璧、のはずなのだけど。 自室の扉をがちゃりと開き、鞄をそっと机に置く。胸元にスマホを押し付けながら、多少埃っぽくなったベッドに飛び込み枕に顔を埋めた。 彼から聞いたスノーフレークのもう一つの花言葉。 みんなを惹き付ける魅力。一字一句違わず、彼は私にそう言った。 そうですよね、なんてったって私ですから。お茶を濁すような感じで混ぜ返せれば良かった。それさえできれば、こうまでスマホを抱き締めずに済んだだろう。彼は、優しい。なぜこんなに、と前置きをしてしまいたくなるほどに。ことばと、もじ。二つは合わさって泡立て器に化けて、私の気持ちをこれでもかとかき混ぜる。 こうなってしまうのを知ってさえいれば。帰り際に読むなんて自滅行為はしなかった。褒められるのはとても嬉しい。私がしてきたことが間違いではないって信じられるし、いつかの自信にも繋げられるから。 だから今日のも昨日のだっていつもと変わらない嬉しい「褒め」のはずだった。なのに、なんで。なんでこんなにも照れくさいんだろう。
8 21/08/03(火)23:10:41 No.830857477
先生や両親そして友達からと、色んなひとたちから言われてきた言葉だし、トレーナーさんにだって言われたことがあったはずなのに。妙に落ち着かない、トランクケースに入れておいた小箱を引っ張り出す。箱を開ければ白いリースが入っていて、彼の言葉を思い起こさせる。 みんなを、ひきつける、みりょく。きみのトレーナーに、なれてよかった。うう、あついしどきどきが止まらない。長い間ベッドの上でもじもじしていると、ぱんぽんぱん。食堂のおばさんたちが鳴らす晩ごはんのチャイムが寮内に響く。行かなきゃ、でもいやだ、まだ、まだ余韻を楽しんでいたい。訪れてしまう明日にまだ行きたくない。いつもの繰り返しをこなしたら終わってしまうから、出来るだけ今日に心を留めていたい。
9 21/08/03(火)23:11:28 No.830857773
スマホをちらりと覗く、ううん覗けない。 机を見る、鞄が置かれているだけで、日記帳は広げられてもいない。 書けるかな、いいやまだ、書けない。まだ、書けそうにない。 まだまだ、まだがどんどんと重なって、私はベッドから動けない。 トレーナーさんはいじがわるい。いくら私のトレーナーだからって、私の急所をすべて知っている必要はないのに。真面目ですごい貴方はなんでも知ってしまっている。だから、私はずっとひたすらに悶えている。 十八時間越しで付ける既読に、ありがとうのスタンプを送り付けて。この喜びとも嬉しさとも気恥ずかしさとも付かない気持ちと戦い続ける。ああ、だめかもしれない。勝てないかも、知れない。自室に戻りつつ覗くウマインは、想像よりも存外破壊力に富み過ぎていた。照れ臭さから逃げられない。顔が、耳の端までが燃えるように熱い。まだ、まだスマホを胸から離せない。俯き加減に歩みを進めて、やっぱりまだスマホを胸から離せない。だから、すぐ付いたらしい既読のあとを、私はまだ見れてはいない。
10 21/08/03(火)23:12:39 [s] No.830858228
fu217725.txt これまでのレポート 8日目 明日はバクシンオーレポートです
11 21/08/03(火)23:14:24 No.830858952
ウワーッ尊い
12 21/08/03(火)23:32:04 [s] No.830866341
一応週のはじめは今後もちょっと長くなる予定です もしよければお付き合いくださいませ…