虹裏img歴史資料館

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21/07/02(金)01:32:37 日が落... のスレッド詳細

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画像ファイル名:1625157157944.jpg 21/07/02(金)01:32:37 No.819116125

日が落ちて真っ暗になった石畳を登りきった先には神社がある。 普段は閑散としているが正月の初詣では多くの人で賑わう場所だ。 かつてはこの麓から長く続く石畳の階段がトレーニングに有効とかで利用するウマ娘が続出するも、ウマ娘の脚力だと石材が徐々に削れていってしまうので禁止されたとか何とか。 そして山道を登って山頂を目指したりしない限りここがトレセン学園付近で最も空に近い場所だった。 「…ああ、ここにいたんだ…」 人間の身ではあの長い階段を登り切るのはそれなりに苦労があって、ベガの姿を目の当たりにした瞬間に溜め息が漏れてしまう。 私に気づいたベガはぎょっとしていた。それくらい私の登場が予想外だったんだろう。 「ど、どうしてここに」 「オペラオーに聞いたんだよ。何処にもいないならきっとベガはここにいるって」 「…あの人…予想外のところで勘がいいんだから…」 軽く毒づくベガは境内のベンチに座っていた。参拝客用に置かれたものなんだろう。 私は意を決して、ベガが座るベンチの隣に近づいた。 「…誰も座っていいなんて言っていませんよ」 「うん。ごめんね。でもちょっとだけ失礼させて。よろしくお願いします」

1 21/07/02(金)01:33:19 No.819116263

そう言いながら座った私にどっか行けとは言い難かったんだろう。ベガは居心地悪そうにしながらも黙っていた。 「ここで何をしていたの?」 「…別に。星を見ていただけです」 「星かぁ。どの星?」 聞いてもそのまま黙ってしまったベガに対し、私はどうにか会話を繋ごうと何気なく口にした。 「ほら、ちょうどベガと同じ名前の星が見えてるね。  こと座のα星、こと座で一番明るい恒星だから夜空の中でもすぐ見つけられるねぇ。もう二ヶ月もしたら主役だね。  なんと言ったって織姫星なんだから」 「…えっ?」 この時間の境内を照らす照明はとてもおぼろげだったが、それでもベガの驚いた表情ははっきりと分かった。 “きっとアヤベくんならこの付近で最も星がよく見えるところにいるはずだよ。  うむ!ボクは彼女に『己の中から生まれ出ずる悩みと向き合いたまえ』と確かにそう言った!己との対話!それは即ち…自分自身を投影するようなものと向き合うのが相応しい!ボクが毎日鏡と向き合っているようにね!” …オペラオーの話は毎度道化じみていて分かりづらいが、つまりはこうだ。

2 21/07/02(金)01:33:35 No.819116306

ベガは皐月賞の敗北によってバラバラになった自分の再構築を試みているはず、らしい。 そしてベガはそういう時、好んで星を見上げているそうだ。…まったくオペラオーというのは唯我独尊を謳いつつもよく周りを見ているウマ娘である。 だが“星”ということなら私には一日の長があった。 「詳しいんですか…?…星について…」 「少しだけね。大学にいた時は天文部で天体観測に勤しんでいたから。  ほら、今も見えてる。わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。これで夏の大三角だね。  この時期だと春の大三角も見える。うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラ。  あ、でもデネボラの代わりにしし座のレグルスで大三角を作るらしいね、欧米だと」 空を指差す私をベガはぽかんと呆けて見つめていた。 大した知識ではない。専門的に学んだわけでもない。趣味の範疇の限定的な知識に過ぎない。 それでもウマ娘のトレーナーになる過程で私が親しんだ人生のひとかけらだった。 「…知りませんでした。トレーナーがそんなに星に詳しいなんて」 「私も知らなかった。ベガがそんなに星が好きだなんて」

3 21/07/02(金)01:33:50 No.819116349

「私、あなたのことを何も知らなかった」 「ええ、私も」 そう。知らないことだらけだ。私たちはパートナーであるトレーナーとウマ娘なのに。 お互いのことを何にも知らなくて、それでもいいだなんて誤解をして、今日までやってきた。けれどそれはもう終わりにしたい。 しばらくの沈黙の後、ふとベガが空を指差した。煌々と光るのは、こと座の一等星。ベガ。 「…あれは私の大切な星なんです」 「うん」 「誰にも汚されたくない。誰にも奪われたくない。あの星の輝きを守るために…私は走っているんです」 「…うん」 「あの星に誓ったんです。あなたのぶんまで背負って…勝ってみせると」 あえて問わなかった。それは自分の名前でもあるベガという星にあなたの『妹』を重ねているからなの、とは。 そういうことは言わなくてもいいことだ。言わなくなって…伝わっているし、伝えられていると感じられる。 私は今、初めてアドマイヤベガと心が繋がっている感覚を覚えていた。 「…すみませんでした。お昼は言いすぎました。あなたは私がレースに出るための免許証に過ぎないなんて…。  本当に失礼ですよね。あなただって私のためを思って言ってくれていたのに」

4 21/07/02(金)01:34:08 No.819116407

「ううん。私の方こそごめんなさい。ずっとあなたに遠慮してるつもりで、実は逃げてたの。  …やり直せるかな。その、あなたが嫌じゃなければ…私たち」 その時だ。ベンチに降ろして体を支えていた私の手に触れるものがあった。ベガの指だ。 驚いた私はベガの顔を見つめた。真横のベガの表情は俯いていたし、境内の暗闇に紛れてよく判別できない。 けれどその時はそれはそれでいいとさえ思えたのだ。だからこそ、伝えられるものもあるんだと。 重なった掌がぎゅっと握らられる。そこに私はベガの暖かな意思を感じていた。 「…今から急いで麓まで降りたとしても、寮の門限に間に合いませんね」 「そうだね。もう21時を回ってしまってるものね」 「だから麓まで降りたら寮まで付き添わなくても構いませんよ」 「まさか。最後まで付き合って、寮長にごめんなさいって一緒に頭を下げるよ」 「あなたのせいじゃないのに」 「ベガが負う責任は、私の責任だよ」 そう私が言うと密やかにくすりと微笑む声がした。きっとそうだ。 そうでなければ、こんなに朗らかな調子でベガがベンチから立ち上がることは無かったはずだ。 そのはずだと、信じている。

5 21/07/02(金)01:34:21 No.819116449

「そうか。…『自分に向き合え』という意味…分かった気がする…」 「ベガ?」 「いいえ。なんでもありません。…明日は普通に授業がありますから」 未だベンチに座ったままの私の前へ、踊るような足取りで移動してベガが立つ。 トレーナーでありながら恥ずかしい話だが、その際に私は初めて見た。…ベガの穏やかな笑顔を。 私はどこまでもに愚かなトレーナーだ。 その時まで私は───アドマイヤベガが本当に美しい少女であることにまるで気づいていなかったのだ。 自然に笑えば、こんなに可憐な子だったなんて。本当に、知る由もなかった。 「私のすることに口を挟まないで、という契約内容は一旦保留にします。  午後からトレーニング内容について相談しましょう───トレーナー」 月光に濡れながら、微笑みながら、手に取った私の手を穏やかに包むベガは誰よりも慈しみに満ちたウマ娘だった。 その後ベガは日本ダービーを優勝し、 その活躍を支えた私はある日アドマイヤベガによってホテルのロックをかけられてしまったのだが、それはまた別の話である。

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