虹裏img歴史資料館

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21/06/03(木)23:24:56  晩夏... のスレッド詳細

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画像ファイル名:1622730296935.png 21/06/03(木)23:24:56 No.809507514

 晩夏が過ぎ去り、秋も行けば、世間には冬が訪れる。自然の機嫌で産み出された四季ってやつは、当たり前のようにその場の人々を飲み込んでいく。師走の暮れ、冬休み、クリスマスも終わったから、後は年が明けるのを待つだけ。のはずなんだけど、私がいるこの場所は暖房の効いたトレーナーの部屋でも、トレーナー室のこたつでもない。 「ふぅ……」  ここは中山レース場、現在の場所は私たちに宛がわれた控え室内。私は簡単なウォームアップをしながら決戦の時間を待っている。柔軟や腿上げをしながら、そわそわする自分の気持ちを落ち着けていく。適度に調節された空調によって、軽い運動でも額に汗が滲んでいくのが分かる。 「暖房、消すかい?」 「いや、いいよ。だいじょうぶ」  暖房が消えれば、部屋の隙間から冷たい風が入ってくるだろう。折角温まったのだし、臨戦態勢はそのままにしておきたい。あと、飛躍するようだけど、冬のにおいがこの部屋に入って来て欲しくもなかった。

1 21/06/03(木)23:25:16 No.809507617

 私は冬を好きになれない。昔からそうなんだけど、具体的には説明できなくて、要は未だに上手く言語化出来ていない。考えられる要因として寒いとかもあるけれど、それ以上に乾燥していて、誰も彼もが何にも目を向けていないような雰囲気があるのが嫌なんだと思っている。クリスマス、お正月、バレンタインデー、プラスアルファで冬休み。手にした思い出を確かめる季節と言えば聞こえは良いのかも知れないが、裏を返せば思い出が無ければ何もできず、行き場を失った感情をひたすらに慰め合わなければいけないということだ。だからと言って思い出があっても困る。冬のあとに待つ離別の春が辛くなる。  それに何よりも気の重いのは、人気を得たウマ娘たちの晴れ舞台、ウマ娘に産まれたのなら誰もが夢見る、あの有マの気配が近付いてくることだった。 「体調は万全かい?」 「まあそりゃね。でもさ、コンディション悪くたってレース前になんか言えないよ。聞くこと自体野暮じゃない?」 「はは、そりゃそうだ」 「勝てるかわかんないけどね。ま、がんばりますよ~」  曖昧な返事をしながら、壁掛けの時計を見る。 「そろそろ、始まるや」 「そうだね。行こうかスカイ」

2 21/06/03(木)23:25:45 No.809507787

 トレーナーが差しだしてきた手をとって控え室を後にする。ドアを開けると冷たい空気が目尻をかすめる。今日の作戦を話し合いながら、薄暗いバ道を歩いていく。遂にここまで来てしまったんだ。思えば長く、険しい戦いだったような気がする。  シニアを戦っていくにつれて、私はひどく焦るようになっていった。戦績が足りない、勝ち星が増えない、彼の隣に居続けるための資格が、とてつもなく不足している。ターフを駆けるウマ娘である以上、結果を出さないと身を立てることは出来ない。名門、強豪、純血、天才。華々しい称号を持ち得ない私にとっては、プラスの方向性を持つレッテルなんて眼前に横たわるただの障害物でしかなかった。  喘ぐ、息が詰まる。春、勝てない。夏、足がのびない。秋、わからない。終わりたくない、けどここからどうしたらいいの、ねえお願い助けてよ。季節の多くで舐め続けた、胃液の味に似た辛酸。仮に「救い」が垂らされていたのなら、例え蜘蛛の糸だと分かっていてもきっと縋りついていただろう。結局のところそんなものはどこにもなく、私は私で戦うより他になかったのだけど。 「ねえ、トレーナー」 「なんだい?」 「私、がんばるね」

3 21/06/03(木)23:26:13 No.809507950

一歩引いたところで俯瞰して、競り合うに足る隙間を探す。クラシックで得た力をシニアの舞台に転化する。駆け引きをしてきた結果で得た、この舞台への参加権。ぶるり、身体が震える。これは武者震いなんかじゃない。ただ、怖い。それだけの震え。 「スカイ、君なら勝てるさ」  握られた手にこれまでより強い力が、純粋な想いが伝わってくる。震えが止んでいく、ああそういえば、ここ最近ずっとこうして貰っていたんだった。嫌だ、嫌だを繰り返しながら、数々の重賞を潜り抜けて、そして私は選ばれた。選ばれてしまった。これは事実で、大変名誉なことだ。 「じゃ、ご期待に沿えるように頑張りますよ。だからさ、トレーナー。神さまに祈っててね」  軽口を叩いて、滲みそうになる水色の台詞を胸のうちに押し留める。迷うな、セイウンスカイ。ずっと、ここに至るために二人三脚で頑張ってきたんじゃないか。忘れるな、私。自分に刻んだ約束を。 「ね……ここで終わっても、いいよね?」 「……いや、ここが終わりじゃ……うん、ないからさ。君にはまだまだ……」 「えっ、知らないのトレーナー。三年経てばさ、何もかも……終わるんだよ?」

4 21/06/03(木)23:26:34 No.809508049

「……そんなことないと思うけどなあ」 「ううん、ぜったい。そんなもんだよ」 「そうかなぁ……あ、でもさ。終わるってことは、何かは始まるんじゃないか?」 「それは言葉遊びっていうか、詭弁ってやつじゃないの?」 「さあ、どうだろうな。ちょっとクサいかも知れないけど……少なくとも俺は、今の君に宿ってるしなやかで強い、きらめくような可能性を、世界中の誰よりも信じてるよ。これは紛れもない事実だから」  熱の籠ったセリフを受け取ってしまい、気恥ずかしさから頬が熱くなっていく。ばか、聞こえないくらいの声量で呟いて、私はバ道の終端、白く明かるその先を眺めた。今日は多分、様々なものたちと雌雄を決する時なんだろう。逃げは得意だけど、逃げてばかりもいられない。そうだ、私も戦わないと。気合を入れるために両頬をぱちんと挟むように叩き、瞬きをしてから彼の目を……ちょっと恥ずかしかったので、ネクタイの結び目に視線を向けた。 「……ん、ありがと。んじゃ、行ってくるね~!」 「うん。頑張れ、スカイ!」

5 21/06/03(木)23:26:52 No.809508164

 行ってきます、トレーナーが突き出した握り拳に、こつん。自分の拳で挨拶をして。彼流のおまもりを貰った私は光の差す方へと向き直り、今度は一人で薄暗いバ道を歩いていく。歩み進めるたびにじわじわ近付くレースの時間。遠巻きにしか聞こえていなかった観衆の歓声、バ道の終わりより明けていく空、光に満ちた緑のターフ、見えたなら踏み入れる、一歩。そこで全てが爆発する。私、セイウンスカイの名前が叫ばれる。  胸が痛い。目が眩む。立ち止まって深呼吸すれば良いのかも知れないけど、多分しゃんと立っていられないから、観客に手を振りつつ返しウマをしながら呼吸を調えていく。 「セイちゃん!」  適当に芝を流していたとき、後ろから声を掛けられた。誰かは瞭然だ。聞き馴染のある声だし、そもそも私をセイちゃんと呼ぶのはあの子しかいない。走ることは止めずに振り向く。 「やあ、スペちゃん。もう、びっくりしたじゃん」 「えへへ、調子はどうですか?」 「あはは、なにそれ。これから競う相手に掛ける言葉かねえ~」 「わっ、ごめんなさい!」 「いやいや、別にいいけどね~。そういうスぺちゃんはどうなのさ」

6 21/06/03(木)23:27:20 No.809508340

「え、私ですか? そりゃもちろんぜっこ……」 「いや、いいや~。聞かない方がよさそうだし」 「ええっ?! なしてよ!?」  スぺちゃんのお陰で、幾分か緊張がほぐれた気がする。静電気が空中を走っているかのような、ぴりぴりした空気に支配されたレース場内で、私たちの笑い声が響いた。 「ううん、スぺちゃんはいつも通りだなって思ってね」 「うーん、そうだべか……あ、じゃあ宣戦布告します!」 「ええ? なんか突然だなぁ?」 「突然なのがいいんです。セイちゃん、今日は勝たせてもらいます!」 「そ。ふふ、私も負けてなんかやらないよ~」  勝つ、じゃなく。負けない。口から自然と出てきた言葉を渡して返し馬を終える。気付けば震えは止んでいて、後でありがとうを言わなきゃいけない。でも、今はまだ言えない。スぺちゃんに貰った闘志を、迂闊な行動で乱したくなかった。 「今日はよろしくね~」  スぺちゃんと別れ、ゲートの方へと足を運ぶ。自分の入るゲートの前に立ち、他方をさっと流し見て、ルーティンのように挨拶を送る。周りからの反応はない。でもこれはいつも通り。と言うか返事がくることの方が稀だ。

7 21/06/03(木)23:27:46 No.809508456

ウマ娘たる者、ゲートに入れば否応なく未来に集中させられてしまう。レースの組立、コンディションの把握、誰をマークし、どこで駆け引くか。気を散らしたのが原因で負けてしまったら……考えるだけで責め苦染みてる。私に構う余裕なんて砂糖一粒ほどもありはしなくて、それだけみんな本気なんだと分かる。 「私だって、ホンキだしね」  不安と緊張の入り交じるゲートインの時間。いつもは正直嫌なんだけど、なんだか今日は大丈夫。根拠はないけれど、何故だかそう感じた。足を踏み出す前に大きく息を吸って、吐いてを二、三度繰り返した。後部のゲートが閉じる。否応なしに理解させられる。もう、後には引けないんだって。わくわくの中に紛れるこわいを飲み下す。物置みたいな狭くて窮屈なこの場所から、解き放たれるまであとわずか。各バのゲートインはスムーズに終わり、私たちは二分四十秒先の夢をじっと待つ。

8 21/06/03(木)23:28:13 No.809508598

「……よし!」  鳴り止むファンファーレ、もうすぐ始まる憧れの舞台。勝ちたい、負けない。トレーナーから貰ったエールを、もう一度強く噛み締めて。瞬き一回ぱちりと挟んで集中を高め、踵をわずかに浮かせると同時、ばかん、けたたましい音を鳴らしてゲートが開き始めた。スローモーションで映る目の前の景色。いける、確信と共に身体を前にのめらせる。開く瞬間の微細な動きは当然キャッチできている。空間が空ける、空隙、光明、鈍色のゲートの先が、まばゆい緑色に変わっていく刹那。  唸りを上げるスタンド、興奮したウマ娘たちの息遣い、およそすべてが新鮮で、幾度となく経験してきたものに違いない。蹄鉄が土を鳴らそうとする前に、想わなければいけないことがあるはず。一瞬だけ目を瞑り、思考を巡らせる。

9 21/06/03(木)23:28:25 No.809508664

 勝ってくるよ、トレーナー。  私、負けないから。  コンマの祈りを心のなかで捧げて、ゲートが開ききるよりも先に、かすかに空いたその隙間に身体を潜り込ませる。いや、捩じ込む。フライングなんて、私たちにはない。先に行くか置いてかれるか、たったそれだけ。  開戦の号砲が撃ち鳴らされるたのに同期して、私たちの脚で数える、三分もないタイマーが動き始める。ああ、あんなに長かった三年がもうすぐ終わる。私たちの終わり、パズルのラストピース、有マの戦いが、ようやく始まる。

10 21/06/03(木)23:30:16 No.809509216

fu57702.txt 前の幻覚の続き? 長くなったので分割 後編の幻は明日か明後日にでも見ます

11 21/06/03(木)23:32:24 No.809509948

よしお薬を強めにしておけ

12 21/06/03(木)23:35:12 No.809510985

飄々としつつも内に闘志を秘めてるウンスを今ちょうど求めていたところだった ありがたく摂取させてもらおう

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