19/03/27(水)00:22:38 今晩は... のスレッド詳細
削除依頼やバグ報告は メールフォーム にお願いします。個人情報、名誉毀損、侵害等については積極的に削除しますので、 メールフォーム より該当URLをご連絡いただけると助かります。
画像ファイル名:1553613758255.jpg 19/03/27(水)00:22:38 No.579191054
今晩は「」氏 富田修二『さまよえるグーテンベルク聖書』をダイマするよ 世界初の活版印刷として名高いグーテンベルグ聖書ですが (カトリコンや免罪符がそれ以前に印刷されていますが) 富田氏は1993年に、日本の丸善チームがエステラ・ドヒーニ婦人旧蔵本を 日本に将来した立役者です、グーテンベルクの生涯から 世界中に散らばるグーテンベルク聖書のあらましを書いた グーテンベルク聖書を俯瞰する面白い資料です
1 19/03/27(水)00:22:58 No.579191137
話題が多岐にわたっているのでその中から面白そうなところだけ切り抜いて紹介するね ナチにあわや奪われそうになったベルプリン本の数奇な運命です ベルプリン神学校からワルシャワへ向けて3巻の本が輸送されたのは1939年8月のこと ナチスの侵攻を予期して銀行は資産の引き出しを凍結し、小さいながらも立地的に 重要だったベルプリンは大混乱に襲われていた 3冊の本の内二巻はグーテンベルク聖書上下巻、もうひとつが グーテンベルク聖書に比べると小さいながらも美しく装飾された『時祷書』 1939年9月1日にナチのポーランド侵攻が始まり 7日にソ連がポーランドへ侵攻、その数日前には愛国者達が集まり クラフコ市のワーウェル城博物館からポーランドの至宝達を 国外退去させることに決定、23個の箱に分納され80人の有志により ルーマニアの国境まで運んだところ、国境間での問題
2 19/03/27(水)00:23:10 No.579191187
が起こり これ以上進めない事態となってしまった このときはまだ分かっていなかったのだがグーテンベルク聖書はこの23個の 箱の中には入っていなかったそうである 結局筆舌につくしがたい苦労とリーダーのポロコフスキーの機転により なんとか入手した馬車とトラックでルーマニアを横断 ついにトルコにたどり着いた、ここで『時祷書』『グーテンベルグ聖書』も合流し ポーランド船籍の船にのせ南フランスへ向けて旅立ちパリに到着した
3 19/03/27(水)00:23:22 No.579191237
しかし、パリもナチの攻勢の前に屈する ロンドンにもうけられたポーランド亡命政府に合流すべく 虫干ししていた宝物類も一路英国へ、そしてスコットランドのグラスゴーから カナダのオタワまで落ち延びた、カナダ政府は悩んだ、これほどの財宝に責任は負いかねる と亡命政府に宣言たし上で、オタワにある農場に宝物を補完することを認める そして戦争は終わり、祖国ポーランドへ戻る日も近いとなったところで問題が カナダ、イギリス、フランス、アメリカがソ連邦ワルシャワ共産政権を政党政府として認めてしまう あくまで亡命政府が唯一の正統な政府だという主張に宝の守護者達はカナダから与えられていた 公的な権限を全て奪われてしまう
4 19/03/27(水)00:23:37 No.579191292
ところ変わりドイツはライプツィヒ、侵攻したソ連軍は『グーテンベルク聖書』を略奪 モスクワ大学に収容し、ソ連崩壊後の現在もドイツの返還要請に応じていない ベルプリン本も危ない、すぐに農場から「尊い御血修道院」の地下に その他はケベック近郊の聖アンヌ・ド・ポープレ僧院の地下に隠した 更にその中でも選りすぐりの物を2つの箱に収めモントリオール銀行オタワ支店の貸金庫に収めた この中に『グーテンベルク聖書』は納められていた そしてその直後ワルシャワ政府から大使が面会に来て、宝のありかを吐けと 共同管理していたスウィルツ=ザレスキー博士とポロコフスキーに求めた しん゛門は長期間にわたり、ザレスキー博士は共産主義者独特の甘い誘惑におれ オタワの農場の場所を吐いてしまう しかしポロコフスキーは絶対に折れない
5 19/03/27(水)00:23:49 No.579191335
そもそも安置所を分散させたのもザレスキー博士が共産主義側に肩を持つようなことをしており 背信行為に走ることを予感していたからであり、愛国者達が分散させたところで カナダ政府も移動を把握していなかったので見つからない、しかしモントリオール銀行については ザレスキー博士も同行していたので、大使と共に銀行に行く しかし銀行ではザレスキー博士とポロコフスキーの二人の承認が無いと銀行街に持ち出せないと応じない ザレスキー博士が大使をポロコフスキーの代理人に仕立て上げ、ようやく中へ ポーランド王の宝冠をかぶり、宝剣をかざしご満悦の大使 しかし二人が銀行を出ようとするところを、ポロコフスキーをよく知るガードマンに呼び止められ 持ち出しは水際で食い止められる、その後修道院の位置などがバレ外交ルートを通じ 正式に引き渡すよう要請するも、ローマカトリック教会への攻撃なども含まれていたため 教会側が徹底抗戦、結局1959年になり亡命政府、ワルシャワ政府の両者の間で合意が成され 美術に詳しい者が立ち会った上で協議が成り立てばカナダ政府は引き渡すと通告 結局1959年1月8日に合意がなされポーランドへと帰国
6 19/03/27(水)00:24:01 No.579191390
まあそんな感じで歴史的サスペンスあり、詳しい書誌情報あり オークションでの熾烈な競り合いの裏側ありと大変面白い内容なので是非ご一読を 『さまよえるグーテンベルク聖書』バイナウ!
7 19/03/27(水)00:32:14 No.579193482
日本人からすると なんでそこまでして聖書を追い求めるの…って気も少しする
8 19/03/27(水)00:32:52 No.579193678
あいつ
9 19/03/27(水)00:33:34 No.579193859
新品売ってない!
10 19/03/27(水)00:35:11 No.579194315
政治宗教はだめよ
11 19/03/27(水)00:40:58 No.579195956
書物の破壊の世界史に繋がる話だな
12 19/03/27(水)00:47:58 No.579197825
>なんでそこまでして聖書を追い求めるの…って気も少しする 又吉直樹のヘウレーカで カトリック系の学校に通ってた生物学の先生が 聖書は正しい腕かで同級生が泣くまで 箱船で全部の生物助ける野無理だろ ってボコボコにした結果振幅先生から この議論は君の価値だし君の意見は正しい だけど私を含めそんな本でも頼っていないと 生きてはいけない人がいることを心の中にとどめておいてくれ って話してていい話だなって思った
13 19/03/27(水)00:54:05 No.579199427
面白そうな話ではある
14 19/03/27(水)00:58:29 No.579200533
先行文献として同著者の『グーテンベルクの聖書の行方』と言うのもあって 書誌学的にはこちらの方が詳しいです どちらも古本でしか手に入らないのだけれど モスクワ美術館で発見されたライプツィヒ本の行方が こっちの本の方ではまだ分かっていなかったりと いろいろ情報アップデートされているのも見所
15 19/03/27(水)01:19:20 No.579204536
古い書物はそれだけで価値があるし装飾が凝ってたりもするからな アイルランドのクヴダハみたいに豪華な箱に入ってたり