17/11/02(木)11:58:22 ローマ... のスレッド詳細
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17/11/02(木)11:58:22 No.463062712
ローマは545年末からトーティラ率いる東ゴート軍勢により包囲されていた。ローマを守る東ローマ帝国のマギステル・ミリトゥム(駐屯軍司令官)のベッサスは、包囲されたローマから住民が脱出することを禁じ、また、駐屯軍は備蓄されていた穀物の販売価格を吊り上げて行った。6世紀の歴史家プロコピルスの叙述によれば、裕福でない住民は軍より十分な食料を買うことができなくなって飢饉に陥り、小麦の脱穀殻(糠)や雑草、ネズミや犬、果ては人糞まで食するようになったという。中には殺人に手を染めるものまで出たという。遂に駐屯軍司令官は、住民がローマから脱出することを認めたが、飢餓状態の住民の多くは道中で餓死したり、簡単に敵の手に落ちた。
1 17/11/02(木)11:59:13 No.463062826
>545年末 惜しい…
2 17/11/02(木)12:00:06 No.463062940
そのような状況下の546年12月17日夜、東ゴート軍の兵士がアウレリアヌス城壁を密かによじ登りアジナリア門を内側より開いた。歴史家プロコピルスによれば、東ローマ帝国軍駐屯地で軍務に就いていたイサウリア人兵士が東ゴートと内通していたのが原因の一つだという。東ローマ帝国の守備隊が他の門から逃走してしまったため、アジナリア門から進軍した東ゴート軍勢は抵抗を受けることなくローマ市内に入城した。プロコピルスは、ローマの守備隊のうち残っていたのは500名ほどで、それも各所の教会に避難していたという。この時のローマ側の死者は26名の兵士と60名の市民であったと語っている
3 17/11/02(木)12:00:48 No.463063039
これが世に言う【ローマ略奪 (546年)】である
4 17/11/02(木)12:41:33 No.463069163
検索したら本当にプロコピウス実在してる…
5 17/11/02(木)12:50:54 No.463070698
そりゃあの時代ならピウスとかアヌスとか一杯いるよね…