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22/06/25(土)20:13:02 ウマ娘... のスレッド詳細

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22/06/25(土)20:13:02 No.942449836

ウマ娘と呼ばれる者達がいた。足がとても速く、力も強く、ついでに見た目もいいという具合で、それはもう、大人気であった。ウマ娘に生まれたら、仕事はいくらでもある、とも言われていた。ウマ娘の中には、競争をやって、何万人も観客を集める者もいた。そのようなウマ娘には、ファンクラブの類のものが百や二百とあった。灰色の古いビルの三階にある、壁が所々剥がれ、天井にも小さな穴がいくつか空いた部屋に集まり、会話を楽しむ四人の男達もそうであった。彼らは、競争ウマ娘のうち、『黄金世代』などと呼ばれる世代にあたるものを、熱狂的に応援していて、その世代がそう頻繁には走らなくなってからも、毎週金曜夜に集まって、黄金世代について語り合っていた。その夜も四人集まるはずだったが、今いるのは三人だけだった。

1 22/06/25(土)20:13:16 No.942449941

「あいつ遅いな」 「連絡もなしとは、失礼なやつ。親しき仲にも礼儀ありだというのに」 「まあまあ、そう言うな、誰にだって、遅れることぐらいあるさ。あるいは疲れきって、欠席の連絡をしないまま寝てしまったのかもしれない、何せ今日は金曜、ようやく休日を迎える前の、最後の労働日和なのだから」 そこへ、戸を叩いて、話題の四人目が入ってきた。 「遅いぞ」 「すみません、バタバタしておりまして。」 四人目は、上着を脱いで部屋にあった金属製の洋風の椅子に座った。 「遅れてすみません。しかし待たせただけのお話がございます。」 「ほほう、待たせただけの、面白い話か」 「ええそうです。とてもとても不思議な話です。」 そう言うと、例の四人目は、天井の穴を見上げながら、話し始めた。

2 22/06/25(土)20:14:33 No.942450457

私は、皆様とっくにご存知でしょうけど、スペシャルウィーク、あの黄金世代の中心の、大ファンなのです。それでこの前、彼女の学校で開かれたファン感謝祭に行ったんですよ。直接スペシャルウィークを見られるかも、なんて思って。家から自転車で駅まで行って、電車に乗ってみると、いつもよりも、ずっと人が多いんです。当たり前のことですがね。私のような大人だけじゃなく、学生や、幼稚園くらいの子供までいました。レースの人気のあることは知っていましたが、それほどまでとは思っていなかったので、ちょっとした感動さえ覚えました。駅から出て、ウマ娘の学校、トレセン学園ですね、そこに向かいました。

3 22/06/25(土)20:15:15 No.942450771

行く途中の道では、そば屋とか、喫茶店だとか、店という店が全部ポスターを貼ったり、のぼりを出したりしていて、人がたくさんいたのもあって、まるで町中がお祭りのようでした。屋台を出している人がいたので、私はそこでチョコバナナを買って食べ、そのあと学園に行ったのです。学園は、それまでの道とは比べ物にならないくらい人がいました。きっと隣で誰かしゃべっていても、気づかなかったでしょうね。いろいろと見るべきものはあったのでしょうけれど、私にとって最も大事なことは、スペシャルウィークをこの目で見ることでした。家の廊下よりも近い距離から、英雄をこの目に焼き付けることができるかもしれないと思うと、期待のあまり震えてしまいました。握手会があると事前にチラシを見て知っていたので、私は早速、会場となる体育館に向けて歩き始めました。

4 22/06/25(土)20:15:44 No.942450996

しかし、そこで私はふらついてしまいました。視界はぼやけ、頭は働かず、この身は手で支えられうごることもなく倒れてゆきました。しばらくして目覚めると、私の視界にまず入ったのは、真っ黒な夜空でした。どうやら昼が夜になるくらい眠っていたらしいのです。ああ、私は、スペシャルウィークに会うチャンスを、体調不良でふいにしたのだ、と思うと、とても悔しく、涙が出そうでした。仕方なく帰ろうとしましたが、私の体は動きませんでした。手を杖にして起き上がることも、顔を横に向けて周りを見ることもできませんでした。空によって大地に押さえつけられているようにも感じました。そのような状況ですから、できることはひとまず眠るか、何かを考える他にはないのですが、倒れて動けないという現状は、考えるにはあまりに恐ろしく、しかし起きたばかりでまた眠ることもできなかったので、一旦は───そのときは永遠にそうするつもりだったのですが───思考を止めることに思考の全てを費やしました。

5 22/06/25(土)20:16:06 No.942451159

そうしていて、どれほど時間が経ったのでしょうか、二十分、三十分でしょうか、とにかく止まっているにはあまりに長い時間が過ぎて、私はついに、少しずつ現状の把握を強いられ始めました。それは首に少しずつ刃が入っていくようなもので、私の心は、いつ切り落とされてしまうかわかりませんでした。そんなとき、足音が、まだそう冷たくはない地面を通して私の体へと響いてきました。どんどん近づいてきます。複数人のようです。そのうち一人が別れて、駆け足で向かってきます。倒れている私のすぐそばに来ると、その人物は私の顔を覗き込みました。もっともあとのことを考えれば、私の顔を覗き込んだというのは適当でないかもしれませんが、それは置いておきましょう。肝心なのは、覗き込んだ人物です。なんとそれは、見たい見たいといってついに見られなかったスペシャルウィークだったのです。

6 22/06/25(土)20:16:32 No.942451351

私はスペシャルウィークにこんなに近い距離で会えたことと、このまま死んでもおかしくなかった私を見つけてくれる救いのものが存在したこととで、心がひどく揺らいで、しばらくは何も考えられませんでした。スペシャルウィークがジャージを着ていたので、私が倒れているところが学園だとわかりました。私は、彼女が保健室にでも運んでくれるのかと思いましたが、彼女は私の顔をきょとんと見続けるばかりで、話しかけることもしませんでした。こちらから話しかけようにも、声が出ません。そうしていると、声がしました。男の声です。

7 22/06/25(土)20:16:49 No.942451477

「スペー、なに見てんだー?」 「トレーナーさん、こんなところに私の蹄鉄が」 「蹄鉄?なんでそんなところに」 「さあ、心当たりはありません」 「もしや誰か盗んだのか?」 「それなら、ここには置かないと思います」 「うーんそうだな…もらってしまってもいいんじゃないか?」 「落ちてるものをですか?」 「名前彫ってあるだろ?お前のだよ」 「うーん」 「そろそろ蹄鉄を変える時期だろうし、ちょうどいい」 「…ですね!もらっちゃいます!」 そう言うと、スペシャルウィークは、私の顔に向けて手を伸ばしました。冷たく黒い空が、温かく明るい人肌へと変わりました。私の視界は、端から端まで彼女の手に覆われました。汗の匂いがして、それに手のひらのシワまではっきりと見えました。天国でした。スペシャルウィークは片手で私をひろいあげると、手に包んで運びました。見える風景が手のひらでなくなったのは、彼女が寮の部屋についてからでした。部屋で、彼女は私を手にとって(今度は視界が覆われないように持っていた)、同室のウマ娘と楽しそうに話をしていました。

8 22/06/25(土)20:17:16 No.942451680

「スペちゃん、それ新しい蹄鉄?」 「はい!校舎前に落ちてた私の蹄鉄です!」 「それはあなたの蹄鉄かしら…」 「スペシャルウィークって彫ってあるのでスペシャルウィークの蹄鉄です!」 「スペちゃんがそう言うならいいけど…でもそれ一つしかないわよ」 「同じサイズのがもうかたっぽあります」 「そうなのね」 ここで私は、自分が今蹄鉄であるとようやく理解しました。それならば、すべてのことに納得がいきます。蹄鉄は、手を伸ばしたり、しゃべったりしませんし、ウマ娘の寮に入っても、なにも言われませんからね。私は一つのことを、これまでの理不尽のもとを、少し時間はかかりましたが見事に捕まえて、少しばかり心に余裕ができました。そして自分が蹄鉄であるとわかると、これからのことが楽しみになってきました。

9 22/06/25(土)20:17:45 No.942451887

ほんとはいけないことですが、ファンならばやはり、スターの私生活が気になるものです。私はそれを知ることができるのです。普通なら、壁を登って部屋を覗いたり、散歩などしているところを隠し撮りしたり、高い建物から双眼鏡を目に貼りつけて千里眼を試みたりするものですが、出歩くウマ娘は当然パパラッチなんかには気を付けますし、壁を登るのではお縄ってこともあります。かといって双眼鏡では、はっきりとは見えませんし、声や生活のディテールはわかりません。つまり、普通のファンは、いわばぼやけた写真を見て、意外な姿などと騒ぎあっているのです。そこを、私は、完全に私生活の空間である寮に入り込み、しかもなんの危険も冒すことはなく、感覚という感覚の全てでスターを感じることができるのです。私よりスペシャルウィークに詳しいファンはたくさんいるでしょう。しかし私ほどスペシャルウィークに近いファンはいないのです。

10 22/06/25(土)20:18:17 No.942452148

道徳に反することだという自覚はありました。私が、平常に似たような状況を得ても、すぐに慎ましく立ち去るでしょう。しかし、自分は動けない蹄鉄であるという言い訳が、私の背中を押し、その心を罪深きところへと沈めたのです。私は、表情に出てはいないでしょうけれど、内心では、背徳的な笑みを浮かべていました。あれやこれやと妄想を働かせていました。そうしていると、彼女が何かを持ち出しました。それはカナヅチでした。私も、競バにはそれなりに詳しいつもりでいるような者なので、蹄鉄とカナヅチとでどんな関係が発生するかはおおよそわかりました。私は、そこで恐怖に襲われました。私はこれから、靴の裏にあてがわれ、カナヅチでうたれるのだ。その後はスペシャルウィークの体重を小さなからだで受けながら、泥や、学園に入り込んだ犬の糞などに突っ込まされるのだ。覗きと盗み聞きの妄想は、うって変わって悪夢へと変貌したのです。

11 22/06/25(土)20:18:50 No.942452388

スペシャルウィークの方は、当然私の気持ちなど知りようもありません。私は、恐ろしい拷問を予想していました。しかし、実際はそれはまったく誤りでした。彼女のカナヅチが私を打った時、衝撃が私のからだ中で暴れまわりました。しかしそこに痛みは伴いませんでした。ただ響くといった感覚でした。彼女が白く滑らかな、しかし強い命のある手でカナヅチを振る度、私のからだに衝撃が走るのです。彼女は私に注目し、力を加えているのです。痛覚はありませんでした。精神においては、私は快楽に満たされていました。 ごん、ごん、ごん これでいいかなあ ごん、ごん、ごん、ごん もうちょっとかなあ ごん、ごん うーん 私は、その全てを喜びに流されていきました。

12 22/06/25(土)20:19:20 No.942452614

おおよそ二十分ほどそうして、どうやら出来上がったらしく、彼女は私がついた靴を箱にしまいました。スペシャルウィークの夜中の会話が聞けないことは残念でしたが、彼女の手によって打たれたというだけで、ファンとしては満足でした。私はその後快楽の余韻に浸っていましたが、眠くなってきてしまいました。明日私は使われるのだろうか、彼女はその体重を私にかけながら夢のため走るのだろうか、などと考えながら、まるで本物の蹄鉄になるように意識を消し去りました。 目を覚ますと、私は、再びスペシャルウィーク好きの青年でした。学園のそばで、来たときと同じ服を着ていて、夜空の下に佇んでいました。そして、あれは夢や妄想だったのだろうか、などと考えました。それから私はもうすっかり昼間の賑やかさを忘れた道を歩いて駅に向かったのです。

13 22/06/25(土)20:20:24 No.942453020

以上です 元ネタは人間椅子です

14 22/06/25(土)20:21:06 No.942453315

やけに文学的だなあと思ったら人間椅子か!

15 22/06/25(土)20:25:34 No.942455272

読ませる文だな…ありがたい…

16 22/06/25(土)20:28:31 No.942456575

江戸川乱歩の文章のあの気持ち悪さに憧れました いい小説を書くって難しいですね

17 22/06/25(土)20:31:55 No.942458097

人間蹄鉄か…

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