22/06/23(木)23:58:10 「……ー... のスレッド詳細
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画像ファイル名:1655996290623.jpg 22/06/23(木)23:58:10 No.941838817
「……ーい…士…!。大……夫かー!」 「士風!」 雨音に紛れた、途切れ途切れの呼びかけに、士風と呼ばれたウマ娘は意識を取り戻した。 上から呼びかけてきたのは、自分と一緒に物資を輸送していた小山内一等兵の声だった。 彼女はか細い声で返事をするも、風雨によってかき消されてしまう。 これではだめだと思い、声を張り上げようとするも、胸に痛みが走り、とても大声を出せなかった。
1 22/06/23(木)23:58:42 No.941838989
荷車を曳いている時に、ぬかるみに足を滑らせ転落したということは、彼女にも分かったが、夜ゆえにあたりは暗く、降り続いている雨のせいで視界は不明瞭であった。 「痛…っ」 士風は、胸に痛みが走ったことを思い出して、ゆっくりと体を起こそうとするも、次は右脚に激痛が走る。 脚の骨が折れているのか、立ち上がれない程の怪我をしているようだった。 自由が効く両手を使い探るように周囲を確認するも、彼女は理解できたことは、とりあえず今すぐ再び転落するような状況ではないらしいという事だけであった。
2 22/06/23(木)23:59:06 No.941839121
しくったな。隊長に怒られちゃうな。 士風は、谷底へと転落していった荷物のことが気がかりだった。 自分のような荷物曳きのウマ娘には、それほど詳しく聞かされていなかったが、今自分が参加している中国大陸を打通する作戦は、日本が勝利するうえでとても重要な作戦なのだと説明された。 だから、その作戦の補給に従事している自分が運んでいたものが谷底へと落ちて失われたのならば、作戦そのものが失敗してしまうのではないかと不安になったのだ。 確かに士風が運んでいたものは、とてもとても大切な積荷だった。日本軍における少数の人間たちにとっては、だが。 ウイスキーとパイナップルの缶詰である。 そしてそれは、飢えている兵隊たちのために用意されたものではなく、士官たちの嗜好品としてのもので、有ろうと無かろうとに作戦は影響しない。 士風はついぞ中身を知ることはなかったが、彼女が犯した過ちは、極めて軽微なものだったのだ。彼女自身の命を奪うことになったことを除けば。
3 22/06/23(木)23:59:36 No.941839299
中国の大地に降り注ぐ6月の雨は、士風から恐るべき早さで体温を奪っていく。 小山内一等兵は助けを呼んできてくれるだろうか?士風はそう思いたかったが、彼女は即座に否定ができた。 彼は自分のことを死んだと思っているだろうから助けは来ないだろう。返事もできなかったし、この暗さで彼は私の姿すら確認できなかったに違いない。 士風が自力でよじ登るにしても怪我を負った脚では不可能だった。仮に彼女がひとつの怪我を負っていなかったとしても、明かりひとつもない暗闇では脱出することも至難の業であった。
4 22/06/24(金)00:00:14 No.941839536
「お腹減ったなぁ…」 士風が所属している部隊はウマ娘の花形、騎兵部隊ではない。輜重部隊、車を曳いて物資を輸送する部隊である。 故に、他の部隊とくらべても糧秣の補給もまだ"マシ"だが、米や醤油、たまに味噌は支給されるが副食の類は数が少なく、梅干しだとか漬物ばかりだ。 時折、羊羹だとか酒・煙草(士風はどちらも呑まない)が配られることもある。だが、肉や卵はもっぱら現地で食料徴発(あるいは略奪)※1する他ない。 大陸打通作戦を行っていたこと、前線の歩兵部隊では米にすら困る有様だった。 困り果てた末が、中国人たちが作った畑から、兵たちが自ら稲を刈り、芋を収穫してまで食料を徴発した。 そして、日本軍のありとあらゆる部隊が、中国各地で食料徴発に走るので、徴発成功率はひどく悪くなる。 士風が最後に肉を食べたのは、同行していた歩兵中隊がどこかの村で捕らえた牛を他の部隊にも分け前として配ったものだった。 それが一体いつの話だったかは、士風は覚えていない。
5 22/06/24(金)00:00:50 No.941839774
士風という名前は、徴発※2されて軍隊に入ってからつけられたものだ。あだ名や秘匿名、という方が正しいかもしれない。 士風が所属している小隊では「士」から始まる言葉をウマ娘に名づけていた。 彼女には本来の名前があったが、部隊長は彼女に「士風」と名付けた。みんながそう呼ぶようになった。 「士風」という言葉の意味をそれほど理解できなかったが、部隊のみんながいい名前、立派な名前だと言うのでそう悪い気もしなかった。
6 22/06/24(金)00:01:47 No.941840129
士風のような、地方の出身で尋常小学校にしか通ったことがない、荷物を曳くことしかできないウマ娘でも軍隊ではそれなりに待遇がよかった。 実際には、ただ荷物を曳くだけではなく、時には銃をとって戦った。 闇雲に突っ込んでいった戦友のウマ娘が、敵の銃弾でばたりと倒れたのを見て以来、他の兵隊たちと同じように慎重に戦うようにもなった。 士風にとっては、軍は早く辞めて帰りたい所でしかないが、それには2~3年ほど従軍するしかなかった。軍隊は決して楽な仕事でも環境でもないが、兵隊よりはマシだと思えば我慢もできた。 自分の父親や、兄と変わらないような兵隊たちは、なにかにつけて殴られているし、これは士風の知る由もないことだが、士風と同じく徴発された立場となる民間船員などは兵隊未満で、もっと酷く悲惨な扱いを受けている。 それらと比べたら下士官より下でも、兵隊よりは上の扱いを受ける徴発ウマ娘は、虐めに虐め抜かれて厠で首を吊る兵隊ほどこの世に絶望する必要はなかった。
7 22/06/24(金)00:02:35 No.941840452
雨がまた一段と強くなった。 それは、士風を始めとする日本軍を、本来この地に在るべきではない侵略者たちを、天が洗い流さんと言わんばかりに、強く、冷たいものだった。 士風は、次第に手足の感覚がなくなっていくことを感じていた。 手足の感覚喪失は、怪我が原因で死ぬより先に、凍死か衰弱死してしまうことを彼女に理解させた。 死に直面し、空腹と寒さにも襲われた士風は、故郷に居る家族よりも親友のツヤちゃんに会いたくなった。
8 22/06/24(金)00:03:06 No.941840623
士風が故郷の村にいた時、ツヤちゃんからは、とんびの羽のような毛色から、"(とんび色の)とんちゃん"と呼ばれていた。 学校でもいつも一緒で、卒業してからも共に畑仕事をし、仕事帰りには川で水浴びをしたツヤちゃん。 士風が出征するとき、ツヤちゃんこと艶子は、見送りには来なかった。 どうして来てくれなかったのと、士風は艶子の家に押しかけたくもなったが、彼女自身も何故かツヤちゃんに会いたくなかった。 結局、最後の最後で、駅の乗車場で艶子は士風を見送りに来た。 対面できた2人は、顔が涙で崩れて、ろくに会話もできず、時間いっぱいに抱き合い泣いて過ごしたが、列車に乗って窓から手を振る士風はツヤちゃん!と叫ぶと、艶子もまた手を振りながらとんちゃん!と返して、見送ることができた。 士風も、艶子も、本当は話したいことは山ほどあったにも関わらず多くを話せないまま終わるという、辛さばかりが残る別れであったが、士風も艶子も後悔だけはせずに済んだ。
9 22/06/24(金)00:03:50 No.941840859
士風の頭の中にはツヤちゃんのことばかりでいっぱいになった。 士風が従軍してからは、よく艶子と両親から手紙が来た。 時折、士風の親と一緒にお金を出してサウマドロップスやウマナガのチョコレートを送ったこともあり、士風にとっては軍隊で支給されたものよりもずっと美味しかった。 「ツヤちゃん…なにしてるのかな」 結婚でもしたのだろうか。それともやっぱり、畑仕事をしているのかな。 そうかもしれない。人手が少なくなった村で、今まで以上に頑張らないといけないんだから。 私たちウマ娘よりも、ずっとへたくそで頼りにならない牛※3なんかに鋤を曳かせているに違いない。 士風は、ツヤちゃんが言うことを聞かない牛※4に、あの手この手で仕事をさせている姿を想像できて、なんだかおかしくなって笑い声が出た。
10 22/06/24(金)00:04:28 No.941841032
雨は止みそうになかった。 士風の濡れそぼった頬を、ひとつ、雫が伝い、落ちた。
11 <a href="mailto:おわり">22/06/24(金)00:05:15</a> [おわり] No.941841294
※1徴発とは、高級指揮官(師団長以上)が経理部長等、あるいは各部隊に指示して行うものである。その場で賠償、または後日賠償するための証票を与えた。それ以外のものは略奪となる。実際には略奪行為も横行していた。 ※2馬の場合、徴兵とは言わず徴発と言う。召集令状も、赤い紙ではなく、青い紙を用いた。 ※3現実の話として、牛は馬に決して劣ってなどいない。牛は仕事は遅く、頭は悪いが、粗悪な飼料で育ち、力強くまた忍耐強い。馬は動作が軽快であり仕事が速く、悧巧であるが運用コストは牛に劣る。 ※4現実の話として、輜重部隊は馬だけでなく、牛やロバも使ってたが面倒なので割愛した。 参考文献(順不同) 藤原彰 「中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場」 岩波現代文庫 土井全二郎 「軍馬の戦争 戦場を駆けた日本軍馬と兵士の物語」 光人社ノンフィクション文庫 小原孝太郎 日中戦争従軍日記 一輜兵の戦場体験 法律文化社 岡山県畜産協会 岡山県畜産史 平和祈念展示資料館 労苦体験手記
12 22/06/24(金)00:07:52 No.941842238
参考文献ガチのやつ?
13 22/06/24(金)00:09:10 No.941842743
どうしてこんな辛い話を…?
14 22/06/24(金)00:10:30 No.941843201
なんか…力作が来たな…
15 22/06/24(金)00:10:39 No.941843261
おつらい…
16 22/06/24(金)00:12:22 No.941843901
ねえこれほんとにここなんかに投げちゃっていいやつ…?
17 <a href="mailto:s">22/06/24(金)00:14:54</a> [s] No.941844822
>参考文献ガチのやつ? ガチというか従軍記に書いてあるエピソードツギハギにしてるだけだから 藤原彰と土井全二郎の本読んだら丸パクリじゃねえかってなるけど それでも2冊ともいい本だからぜひ買うか借りるかして読んでほしい
18 22/06/24(金)00:19:31 No.941846460
救いがほしいです…
19 22/06/24(金)00:28:15 No.941849362
日中戦争から終戦までの間に日本軍は50万頭前後の軍馬を運用したが そのうち日本の土を踏むことができたのは300頭ないし500頭と言われている 数字があやふやなのは終戦のときの書類廃棄のせい 終戦を迎えることができた馬たちもその多くが殺処分されてしまった まあウマ娘と関係があるのかないのかはともかく 日本競馬の歴史と切っては切れない軍馬の歴史
20 22/06/24(金)00:30:50 No.941850170
戦後のどさくさ紛れで血統書偽造やってるところもあるからな、日本の馬産
21 22/06/24(金)00:31:01 No.941850236
全体的に陰鬱とした内容なのに 牛が貶されたと思ったら突然名誉回復食らってて笑ってしまった
22 22/06/24(金)00:36:20 No.941852016
>全体的に陰鬱とした内容なのに >牛が貶されたと思ったら突然名誉回復食らってて笑ってしまった まあウマ娘と比較したらの話で 現実では長い間牛を農業に利用してたからな…
23 22/06/24(金)00:36:41 No.941852112
食うもんないからウマ食ってたのはこれ?
24 22/06/24(金)00:36:49 No.941852154
どうして救いがないんです…
25 22/06/24(金)00:40:55 No.941853369
>食うもんないからウマ食ってたのはこれ? 食うやつも居たら食わないやつも居ただろうな 旧軍は日本馬だけでなく中国馬も使ってたし ロバとかも荷物運びに使ってたし
26 22/06/24(金)00:43:30 No.941854115
ウマ娘にするとひかりごけ事件みたいになって一層やばいな 責めれんけど
27 22/06/24(金)00:48:32 No.941855764
軍事とウマ娘の関係はやっぱ考えるよね… 西洋史専攻してるから尚更
28 22/06/24(金)00:52:28 No.941856826
基本ウマ娘て目麗しいから村の裕福な家に妾られたりしそうだけどね
29 22/06/24(金)00:53:42 No.941857172
士ツヤキテル…
30 22/06/24(金)00:56:29 No.941858050
騎馬警官ウマ娘とか自衛官ウマ娘が居たとしたら 当然こういうウマ娘も居たんだろうな 昭和の男所帯でそれも軍隊にウマ娘が居るって それだけでもっと別の話になりそうなもんだが
31 22/06/24(金)01:07:20 No.941860858
ツヤちゃんは無事に終戦を迎えることができたんです?
32 22/06/24(金)01:10:28 No.941861629
王族の護衛がウマ娘だったりニンジャはウマ娘だったりしたんだろうな
33 22/06/24(金)01:16:55 No.941863150
軍馬の悲惨な歴史はわかったけど 途中の日本兵も何かにつけて殴られる立場とか かなり酷い目に遭ってない…?
34 22/06/24(金)01:30:48 No.941866084
>日中戦争から終戦までの間に日本軍は50万頭前後の軍馬を運用したが >そのうち日本の土を踏むことができたのは300頭ないし500頭と言われている >数字があやふやなのは終戦のときの書類廃棄のせい >終戦を迎えることができた馬たちもその多くが殺処分されてしまった >まあウマ娘と関係があるのかないのかはともかく >日本競馬の歴史と切っては切れない軍馬の歴史 戦後は競走馬も数がなかったから産後のサラブレッド牝馬もレースに駆り出されてたそうな…テイオーの牝系初代ダービー牝馬ヒサトモも戦後駆り出されて亡くなった