22/06/09(木)01:15:05 「ひゃ... のスレッド詳細
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22/06/09(木)01:15:05 No.936562436
「ひゃ~っ! つめたっ!」 随分と世界が広く見える。広大に映る理由を気のせいで片付けるのは流石に無理だ、だって実際問題広いのだから。いくら休日とはいえ、七も時間の回らない海には当然のように人気などない。前方視界の遥か向こう、可視範囲最短百メートル四方の海原は、俺たちのものと言っても過言ではない、気がする。 海は綺麗で、光っていて、絵の具よりも青白く、かつ鮮明。俺たちの瞳に二つの色は良く映える。水際で遊ぶスカイの姿を、浜の真砂に座り込んで眺める。この状況を端的に説明するとすれば、まあ現実感が非常に乏しいところに尽きると思う。海辺できゃっきゃしているのは、俺よりも随分と年若い少女なわけで、そもそも教え子とサシで旅行だなんて世間一般的にありえないお話なわけで。現在、俺の目の前に広がってるのは、まあ色々とこう、かなり幻想的な風景なんだ。映画か小説か、はたまたアニメ辺りでしかお目にかかれないヤツ。そう仮定すると、俺は相当に恵まれているのかも知れない。でもこの空間に居ることを貴重な体験だと思うと、何だか無性に面白くなってしまって口元が緩んだ。
1 22/06/09(木)01:15:30 No.936562545
「これが見たかったのかな、スカイは」 春先に戦ったレースでの快勝祝いに、と。スカイたっての希望で訪れたこの海辺の町だが。リサーチした段階ではあまりに鄙びすぎていて、正直俺個人としては時間を消化するのに結構骨が折れると思っていた。特に朝方。ご飯とかは市場に併設された食堂なんかで賄えるにしても、観光スポット的な場所はまだ開いていないだろうし、気楽に時間を潰せるようなチェーンの喫茶店だとかはそもそも存在しない。何よりスカイの方から釣り具の類は要らないよ、と念押しされていた。どういうところに行きたいかを聞いても、それはトレーナーさんのかなり挑戦的に言葉を濁されるだけで、プラン構築は非常に難渋していて当日までほぼノープランの状態だった……のだけれど。 「まあ、いいか……」 本当に色々と取り越し苦労で良かった。さらさらした砂を手で弄びながら、ほっと胸を撫で下ろす。今日がいつものテンションだったなら、俺の計画性のなさに拗ねたふりをして、何かしら勇気の要ることを要求してくるだろうけど。純粋に今を楽しんでいる様子からして、要するに今日はそういう気分じゃない、的なことなんだろう。
2 22/06/09(木)01:16:17 No.936562782
にしても、リフレッシュを兼ねた旅行なら、別に俺とじゃなくても良かったんじゃないかなとか、思いはするが口にはしない。もともと自然的なモノに触れ合うのが好きな子だし、何より風景ってやつは誰と見るかで色を変えるものだ。スカイの交友関係の中で選ばれたのが俺なんだから、余計な一言は艶消しにしかならないだろう。 「ねえーっ!」 内向きの思考を遮るように、ぼうっと前方を見ていた俺へ突然声が掛かった。 「なんだーっ!?」 「こっち、来て下さいよーっ!」 「もう少し見てちゃダメかーっ!?」 「しょーがないなーっ、そのあいだにしつもーんっ!」 「えーっ? 質問ーっ?!」 「うーん! トレーナーさんはさーっ!」 「ああ、なんだー?!」 「幸せのカタチって、わかるーっ!?」 さして遠くもない距離で声を張り上げあえば、最後に思考することを要求された。幸せの形、なんて。青春を通り過ぎた身で答えていいものか。青春の只中を進む少女に、俺はどう答えを返すべきか。まったくの想定外だったからか、くっ、と喉元あたりに言葉が詰まる。 「そうだなあ……」
3 22/06/09(木)01:17:07 No.936562995
詰まる、か。俺も大人になったものだ。照れのせいで歯止めが掛かるなんて。考えるなよ、まどろっこしい。そんなもの、考えるまでもなく分かっているくせに。 砂と海の縁で綺麗に輝くスカイを眺めながら、俺はさっきより多めに息を吸い込む。その勢いで後ろに倒れ込もうとする身体を、二本の手でもって強く支える。 大人になるまでの過程で、俺たちは様々なものを喪失する。喪失は罪ではなく、成長のためのエネルギーだ。だから俺は、空想と現実のボーダーラインに置かれがちな青い感情なんて、俺のどっかが食ってしまって、とっくの間に失っているものだと思い込んでいた。でも、現実はどうやら違ったらしい。 「俺にとっての幸せは――」 今生きているこの風景だ、そう声に出そうとした瞬間。遠くの空から流れて来たみずいろの風が、メガネのツルを滑りながら片笑んだ。正解だって教えてくれたのか、違うに決まってるだろとバカにされたのか。風の正体は掴めないけれど、さっきまでの勢いは既に削がれてしまったから。もう一度大きく息を吸ったあと、再構築した感情を言の葉に乗せて伝えよう。 「――いま居る此処の、この空気感だな!」
4 22/06/09(木)01:18:23 No.936563333
「……ずるいなあ……」 「なんか言ったかーっ?!」 「にゃははっ、なんもーっ!」 「まあでも、そんな形なんじゃないかーっ!?」 「かもねーっ!」 我ながら恥ずかしいことを抜かしているような気もするが、こういう主張ってのはノリと勢いが大事だし気にしない方向で行こう。今日ってやつは多分、特別なんて前置詞が付く日のはずだ。だったら、だったなら。 「じゃあ、そろそろおいでよトレーナーさーん!」 大きく手を振って催促するスカイに手を振り返して。俺は靴の踵部分に指を差し入れる。 「はやくおいでよーっ!」 大人と子供の境目ってやつは、人類がどれだけ進歩したとしても曖昧なままであり続ける。誰しも例に漏れないのならば、俺もそのしきたりに乗っかってしまえばいい。特別は全てを肯定してくれる。 そうさ、だったら。 「はいはい、待ってな!」 今日限りなら、十年以上の年月を巻き戻したって、一向に構いやしないだろう? 「今、行くよ!」
5 22/06/09(木)01:19:23 No.936563642
狭間に居た頃の喜びと、いつかの俺を思い出して、急ぎ靴と靴下を脱ぎ去り立ち上がれば。ざり、さら、さり。砂を踏みしめたときに感じるのは、どことなく懐かしい痛痒感。むずがゆくも心地良い、仄かな冷ややかさ。その上で見えるのが、朝日に映える濡れた砂と白い波。ぱしゃり跳ねる水滴の塊。スカイの居る場所は白色に眩しいもんだから、目を凝らしても凝らしても上手く輪郭が確定できない。うすぼんやりきれいに映るだけだ。彼女たちよりずっと遅い足で、なるべく早く走り出して、俺は海に近づいていく。 「ほらはやくはやく、結構気持ちいいですよーっ!」 一、踏み出して。二、もう一歩を駆け。三、飛び跳ねるように。四、五、六、七、繰り返すあいだに、海の入り口に佇むスカイの元へと辿り着く。輪郭に色が付いていく。形になる、服の色と肌色と、空気たちがもたらす透明と、海と空の色が、いま確かに見えてきた、かも。自虐とは別の笑いが、俺の頬を甘くだらしなくさせる。 「いらっしゃい、トレーナーさん!」 「ひゃーっ、ホントに冷たいな!」
6 22/06/09(木)01:20:29 No.936563968
全ての生き物に当てはまるわけじゃないが、ずる賢い俺たちは大人になるに連れて、曖昧であることを尊ぶようになる。形がしっかりしていないものを手渡して、かもって言葉をことあるごとに混ぜ込んで、心情や感情が不真面目に濁るのを楽しもうとする。要は恥ずかしがるんだ、本気を渡すのを。 「なあ、スカイ」 「ん、なんです改まって?」 だから今、俺は。少しだけ辞めることにするんだ。 「ちょっとだけ、失礼」 「へ……?」 ぽん、とスカイの頭に手を乗せて。目を白黒させるスカイを見つめたまま、数回軽く左右に往復させて。変化する世界にかこつけて、俺は本当に少しだけ大人を辞めた。 「レース勝利おめでと、スカイ。喜びはしたけど、面と向かって祝ってはなかったなって、さ」 「…………うん」 「なんか今日、やけにしおらしくないか?」 「ほんと失礼だなあ……違いますもん」 「んじゃどうせだし、正解を教えてくれないか?」 「んー……にゃはは、その、えーと……うれしい、んですよ、たぶん」 「たぶん?」 「そう、たぶん!」
7 <a href="mailto:おわり">22/06/09(木)01:22:24</a> [おわり] No.936564515
「……そっか。ならまあいいか!」 「んふふ……そーです。んで、その……これからも、よろしく。トレーナーさん」 変化しないものなど世界のどこにも存在しない。俺もそんなことぐらい分かっている、多分スカイだってそうだ。夜が明け、朝になるように。変わる、とは常なるもの。日々の営みとして自分の傍らに在り続けるもの。だからこそ、白に明ける朝の海が夕の紅に染まるまで。変化を自ら起こした俺は、十五かそこらの男子に戻っているから。だったら、もう。春より青い夏の海を、全力で楽しむしか無いじゃないか。海を満喫し、街を散策し、二人で明日を労って。俺たちはまた、今日に明日にと挑んでいく。 「ああ、よろしく。これからも」 そうさ、特別はまだ始まったばかり。やれることは無数にあるし、もっともっと楽しもう。一生を彩る思い出を、二人で一緒に作ってやろう。まあ、電車かバスの最終時刻だけは確認しながら、だが。
8 <a href="mailto:s">22/06/09(木)01:25:33</a> [s] No.936565356
朝の海辺ではしゃぐスカイの幻覚が見えたので出力しました 先日ぶん投げた水ようかん的なやつの実質的な続きですご査収下さいませ fu1145912.txt
9 22/06/09(木)01:33:59 No.936567319
これはこれは結構なお点前で
10 22/06/09(木)01:34:49 No.936567495
これは…いいね…
11 22/06/09(木)01:37:12 No.936567992
セイちゃんの青春を彩りたい人生だった
12 22/06/09(木)02:02:12 No.936573026
いい…
13 22/06/09(木)02:22:30 No.936576263
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
14 <a href="mailto:s">22/06/09(木)02:25:06</a> [s] No.936576581
ありがてえ…ありがてえ…感謝…
15 22/06/09(木)02:28:16 No.936577003
セイちゃん怪文書にお手書きがつく流れを見ていると一年前を思い出すな…
16 22/06/09(木)02:53:41 No.936579978
清涼飲料水のCMみたいな青春しやがってよぉ!
17 22/06/09(木)03:23:18 No.936582422
こういうのもいいんだ
18 22/06/09(木)03:28:48 No.936582762
>セイちゃん怪文書にお手書きがつく流れを見ていると一年前を思い出すな… もうそんなに前か…