21/12/12(日)10:22:34 功績の... のスレッド詳細
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21/12/12(日)10:22:34 No.875526549
功績のほうがでかいのに弟殺しくらいで1000年くらいゴチャゴチャ言われててかわいそう
1 21/12/12(日)10:23:27 No.875526836
ちょっと狭量そうなイメージはある
2 21/12/12(日)10:26:28 No.875527619
弟の方じゃねーか!
3 21/12/12(日)10:27:38 No.875527899
まあ自分もすぐころされる
4 21/12/12(日)10:27:38 No.875527900
武功がなさすぎてね…
5 21/12/12(日)10:28:59 No.875528244
政子の人形ってイメージ
6 21/12/12(日)10:30:02 No.875528488
>武功がなさすぎてね… 義朝失脚のときの敗走とか奥州合戦では活躍した
7 <a href="mailto:新説">21/12/12(日)10:30:03</a> [新説] No.875528490
うわー!誰こいつ!?
8 21/12/12(日)10:32:32 No.875529121
どっちも弟とやり合ってるから困る
9 21/12/12(日)10:32:33 No.875529122
どの道その後の権力争いで潰されただろう
10 21/12/12(日)10:33:52 No.875529416
結局どちらの肖像って事で落ち着いたの?
11 21/12/12(日)10:35:30 No.875529846
弟は単に大衆受けするストーリーってだけで 兄が貶められているってわけではないような
12 21/12/12(日)10:35:38 No.875529873
>結局どちらの肖像って事で落ち着いたの? 技法的にも服装的にも平安末期のものではない
13 21/12/12(日)10:36:18 No.875530061
嫁の実家に乗っ取られた方がでかいのでは
14 21/12/12(日)10:36:19 No.875530063
>弟は単に大衆受けするストーリーってだけで >兄が貶められているってわけではないような 吾妻鏡の段階で既にちょっと神経質な小物的な描き方をされている
15 21/12/12(日)10:37:59 No.875530530
源氏の兄弟と足利兄弟のどっちの話してるのかわからん…
16 21/12/12(日)10:38:35 No.875530655
>結局どちらの肖像って事で落ち着いたの? 歴史学会はもう科学的分析しても鎌倉は時代はねぇし史料で一致するから直義だよなで一致してる 美術界だけがこのタッチは鎌倉時代の人が描いたものなんですけお!で抵抗してる
17 21/12/12(日)10:39:15 No.875530867
>源氏の兄弟と足利兄弟のどっちの話してるのかわからん… どっちも源氏だから同じ
18 21/12/12(日)10:39:18 No.875530878
>嫁の実家に乗っ取られた方がでかいのでは 結局これだよな 制度整備も北条家に持っていかれてるので功績を持ち上げてくれる人もいない
19 21/12/12(日)10:39:22 No.875530900
持ってた寺からしたら足利直義よりも源頼朝の方が嬉しいだろうなぁ
20 21/12/12(日)10:39:55 No.875531046
>制度整備も北条家に持っていかれてるので功績を持ち上げてくれる人もいない 外敵を滅ぼしまくったのは頼朝なんだよなあ
21 21/12/12(日)10:41:48 No.875531593
>>制度整備も北条家に持っていかれてるので功績を持ち上げてくれる人もいない >外敵を滅ぼしまくったのは頼朝なんだよなあ 恨みを引き受けるだけ引き受けてその後の国造りが完成できなかったって もろに呪詛を一身に受けるやつじゃないですか
22 21/12/12(日)10:42:08 No.875531690
乗っ取っられた後もうまいこと威光と名前だけは使われたから功績があったからでは?
23 21/12/12(日)10:43:19 No.875532012
北条もあくまで執権!執権です!征夷大将軍ではなく! してたから花より実を取ってるよね
24 21/12/12(日)10:43:23 No.875532016
>もろに呪詛を一身に受けるやつじゃないですか 北条の御家人内の粛清の方が遥かにえげつないので鎌倉末期は源氏将軍の再来が求められた
25 21/12/12(日)10:43:50 No.875532146
この肖像よくある下膨れ顔じゃなくてシュッとしてて怜悧なイケメンに見えるから好き
26 21/12/12(日)10:44:50 No.875532432
>北条もあくまで執権!執権です!征夷大将軍ではなく! >してたから花より実を取ってるよね どこをどう間違っても将軍を名乗れる家柄ではないからな 対外的な建前の上では最後まで他の大御家人と同格だったし
27 21/12/12(日)10:45:52 No.875532684
>北条の御家人内の粛清の方が遥かにえげつないので鎌倉末期は源氏将軍の再来が求められた それで足利の室町幕府か…
28 21/12/12(日)10:46:07 No.875532760
共産圏の書記長みたいなもんか建前の肩書き
29 21/12/12(日)10:46:15 No.875532791
配流先で孕ませデキ婚の話が出た時は先方がブチ切れでヤバかったらしいけど死産なのでノーカンいいよね 貴種流離譚ってこういうので作られるんだな…ってなる
30 21/12/12(日)10:47:42 No.875533146
この冷酷そうな面構えがすごく源頼朝感出てると思う
31 21/12/12(日)10:48:08 No.875533286
兄弟には死ぬほど冷淡だったけど権力基盤たる御家人たちの粛清はあんまりしてないよね頼朝
32 21/12/12(日)10:48:40 No.875533423
>この冷酷そうな面構えがすごく源頼朝感出てると思う わかってて言ってんだろテメー!
33 21/12/12(日)10:49:07 No.875533554
画像のはしゅっとしすぎてて大頭殿って印象がないので直義じゃないかなと思います
34 21/12/12(日)10:49:48 No.875533791
>共産圏の書記長みたいなもんか建前の肩書き 党内の集団指導体制から政治的に一歩抜きんでた存在になっても 腹心である秘密警察のボスから常に自身の地位を脅かされる枠か…
35 21/12/12(日)10:49:48 No.875533792
弟殺し過ぎで源氏将軍はすぐ断絶しちゃって…
36 21/12/12(日)10:50:17 No.875533924
>兄弟には死ぬほど冷淡だったけど権力基盤たる御家人たちの粛清はあんまりしてないよね頼朝 それこそ対北条を含めそんなことできるほど強くないから粛清するしない以前の話 自分の手勢なんて皆無に近いし
37 21/12/12(日)10:50:59 No.875534150
唯一生き残った阿野全成の家系は頼家に滅ぼされたんだよね 女系が阿野廉子に繋がるという変な縁がある
38 21/12/12(日)10:51:16 No.875534244
全く粛清しなくても問題あるだろうしバランス難しいね この辺の微調整は後の政権に受け継がれていってる気がする
39 21/12/12(日)10:52:05 No.875534461
うまいこと制御できないと足利幕府みたいにめっちゃ弱体な政権になるし…
40 21/12/12(日)10:52:22 No.875534539
北条は比企に酷いことしたよね… 北条は三浦に酷いことしたよね… 北条は畠山に酷いことしたよね… 北条は大庭に酷いことしたよね…
41 21/12/12(日)10:53:15 No.875534759
>北条は比企に酷いことしたよね… >北条は三浦に酷いことしたよね… >北条は畠山に酷いことしたよね… >北条は大庭に酷いことしたよね… あいつらが俺と同じことしたら困るな…殺すか…
42 21/12/12(日)10:53:56 No.875534944
>うまいこと制御できないと足利幕府みたいにめっちゃ弱体な政権になるし… 北条の政権運営相当強引なのに割とうまく行ってて歴代執権の有能さが伺える
43 21/12/12(日)10:55:03 No.875535201
なんでこれが頼朝だったんだろ
44 21/12/12(日)10:55:05 No.875535211
>兄弟には死ぬほど冷淡だったけど権力基盤たる御家人たちの粛清はあんまりしてないよね頼朝 露骨にやったのはちょっと鎌倉の自立アピールし過ぎた上総さん位?
45 21/12/12(日)10:55:14 No.875535246
上総さんぶっ殺した件考えると頼朝主導でも遅かれ早かれって感じはする
46 21/12/12(日)10:55:15 No.875535248
>うまいこと制御できないと足利幕府みたいにめっちゃ弱体な政権になるし… 足利将軍は家臣の反乱で自ら出陣するも負けて京都を追い出され 他の家臣の仲介によってまた戻るって印象…
47 21/12/12(日)10:55:39 No.875535398
>なんでこれが頼朝だったんだろ 所蔵してるところが頼朝です!って言ってるから
48 21/12/12(日)10:55:48 No.875535443
弟がいくらなんでも考え無しすぎてちょっと気の毒になる
49 21/12/12(日)10:55:51 No.875535457
劉邦というか始皇帝というか
50 21/12/12(日)10:55:58 No.875535495
なんで上総広常で被るんだよ
51 21/12/12(日)10:56:04 No.875535525
>北条は和田に酷いことしたよね… >北条は安達に酷いことしたよね…
52 21/12/12(日)10:56:31 No.875535687
また佐藤浩市が乱暴者過ぎて粛清される役やるのか
53 21/12/12(日)10:56:45 No.875535792
>なんでこれが頼朝だったんだろ 直義は負けた罪人なので憚られるから頼朝って事にしたんじゃと言われてる
54 21/12/12(日)10:56:46 No.875535799
>所蔵してるところが頼朝です!って言ってるから 足利直義でも箔は充分あると思うけどさすがに頼朝バリューには勝てんよな
55 21/12/12(日)10:58:08 No.875536162
権力者の外戚実権奪う歴史あるあるにすぎないと言えばそうだけど その後の権力闘争も政権運営もめっちゃ有能なの凄いよね 政子と義時姉弟いい…
56 21/12/12(日)10:58:48 No.875536326
権謀術数なんて古今東西どこでもあるけど鎌倉時代はなんかその暗さと冷たさが深く感じる
57 21/12/12(日)10:58:54 No.875536349
鎌倉の13人楽しみだなぁ
58 21/12/12(日)10:59:42 No.875536538
>弟がいくらなんでも考え無しすぎてちょっと気の毒になる 蒲殿って何で殺されたのレベル 義経は叔父の行家というか八条院の勢力に唆された感あるけどさ
59 21/12/12(日)10:59:42 No.875536541
鎌倉の墓を見に行ったら頼朝のところがなんか小さいし隔離されててかわいそ…ってなった
60 21/12/12(日)10:59:54 No.875536589
>権謀術数なんて古今東西どこでもあるけど鎌倉時代はなんかその暗さと冷たさが深く感じる 室町幕府見ると謀略で済んでたぶんまだマシかなって…
61 21/12/12(日)11:00:00 No.875536609
>権謀術数なんて古今東西どこでもあるけど鎌倉時代はなんかその暗さと冷たさが深く感じる 平安末期だけど義朝の系統と義賢の系統の殺し合いの歴史が最悪すぎて好き
62 21/12/12(日)11:00:39 No.875536754
嫁の方が大物っぽいイメージ
63 21/12/12(日)11:00:55 No.875536809
源氏の流れを汲む源頼朝の将軍は全員暗殺されて北条家に乗っ取られるのが酷すぎる…
64 21/12/12(日)11:01:43 No.875537002
>吾妻鏡の段階で既にちょっと神経質な小物的な描き方をされている 呉座勇一が書いてたけど吾妻鏡は北条得宗家を正当化するために書かれてるんで 頼朝を始めとする源氏の書き方は信用に値しないとさ
65 21/12/12(日)11:02:12 No.875537113
大江広元いいよね…
66 21/12/12(日)11:02:21 No.875537148
>源氏の流れを汲む源頼朝の将軍は全員暗殺されて北条家に乗っ取られるのが酷すぎる… 佐殿は落馬だよ 殺してなんていないよ 武家の棟梁だけど馬から落ちて死んだだけだよ
67 21/12/12(日)11:03:04 No.875537306
頼朝のよりどころ...なーんてね政子
68 21/12/12(日)11:03:29 No.875537403
>佐殿は落馬だよ >殺してなんていないよ >武家の棟梁だけど馬から落ちて死んだだけだよ 保身すると同時に権威も落としてやるという暗い意志を感じる
69 21/12/12(日)11:03:36 No.875537436
>大江広元いいよね… 本人も子孫たちも要領よく生き延びたよな
70 21/12/12(日)11:04:14 No.875537588
征夷大将軍がなにもないところで落馬して即死…?なにかおかしいな…?
71 21/12/12(日)11:04:22 No.875537617
死ぬ三年ほど前から頼朝がなにしてたか 活動の記録がさっぱり無くて 急に出かけて落馬して死ぬ 不思議だね!
72 21/12/12(日)11:05:08 No.875537779
範頼は毒盛られて寺に蟄居させられた後でその寺を謎の武装集団が襲撃して死亡だっけ
73 21/12/12(日)11:05:26 No.875537837
竹宮版吾妻鑑めちゃくちゃ好き すごいホモホモしいけど
74 21/12/12(日)11:05:27 No.875537842
こわいよぉ…
75 21/12/12(日)11:05:51 No.875537932
>なんでこれが頼朝だったんだろ スレ画を所蔵する寺には足利直義が自ら自分と兄の肖像画を寄贈した記録があった 足利直義が観応の擾乱を起こして謀反人となるとその絵が消え去って寺に昔からあったという設定の頼朝像が現れた 寺は室町幕府に責められずに切り抜けた
76 21/12/12(日)11:06:00 No.875537968
謎の武装集団…一体何者なんだ…
77 21/12/12(日)11:06:11 No.875538018
実朝暗殺の経緯も吾妻鏡は信用できないとか読んだな 北条が上手く難を逃れたように書いてあるけどその頃は政権中枢から外されてて同道を許されず境内の外で待機させられてたみたいな
78 21/12/12(日)11:06:12 No.875538025
別に武士でも落馬はするだろ……
79 21/12/12(日)11:06:15 No.875538039
>範頼は毒盛られて寺に蟄居させられた後でその寺を謎の武装集団が襲撃して死亡だっけ 頼家じゃねえかな 入浴中に襲撃されてチンコ切られて死んだという
80 21/12/12(日)11:06:19 No.875538054
>死ぬ三年ほど前から頼朝がなにしてたか >活動の記録がさっぱり無くて >急に出かけて落馬して死ぬ >不思議だね! コワ~…
81 21/12/12(日)11:06:20 No.875538057
いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない
82 21/12/12(日)11:06:28 No.875538080
>スレ画を所蔵する寺には足利直義が自ら自分と兄の肖像画を寄贈した記録があった >足利直義が観応の擾乱を起こして謀反人となるとその絵が消え去って寺に昔からあったという設定の頼朝像が現れた すげえファインプレー
83 21/12/12(日)11:06:59 No.875538201
いかに執権である北条氏がそのまま幕府の実権を握っていたかという事ですな
84 21/12/12(日)11:07:01 No.875538212
武以外の政権に必要なことを京都から持ち込んだ有能実務肌っぽい大江広元の子孫が 陰謀渦巻く中国地方で一弱小国人の跡取りでもなかった立場から覇者にまで成り上がる毛利元就なのいいよね
85 21/12/12(日)11:07:09 No.875538249
>別に武士でも落馬はするだろ…… 弓馬を生業にする武家のそれも棟梁が落馬して死ぬというのもね
86 21/12/12(日)11:07:27 No.875538320
しらないこれはたぶん頼朝公
87 21/12/12(日)11:07:41 No.875538368
>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない いいくにのほうが覚えやすいもんな…
88 21/12/12(日)11:08:25 No.875538537
>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない そこはどっちかってよりもうどっちでもいいというかそこを決めたとてって感じだしなあ
89 21/12/12(日)11:08:30 No.875538565
50過ぎのお爺ちゃんだったから…
90 21/12/12(日)11:08:35 No.875538598
頼朝はもちろん二代目将軍も信用して後ろ盾にしてるのは比企氏だからな 頼朝は義経の嫁にも比企氏の娘あてがったりと ほぼ親族として取り込みたかったと見える
91 21/12/12(日)11:08:46 No.875538658
碌な死にかたしないのはお父さん譲りだしね... 木剣の一振りでもあればこの窮地しのいで見せるものを...とか入浴中に攻められたにしてはかっ個いいセリフ吐いて討たれたんですけどね
92 21/12/12(日)11:08:53 No.875538702
あの時代に頼朝の名前でなんだかんだまとまってるので名前に力がある程度には権力があったのだろう
93 21/12/12(日)11:09:17 No.875538846
スレ画は源氏の血が流れる偉い人らしいな
94 21/12/12(日)11:09:22 No.875538869
2~3回ぐらい「頼朝殿死亡確認!」って誤報が流されて吊られたやつをコロコロしてるのが怖い
95 21/12/12(日)11:09:33 No.875538927
足利義満も落馬だっけ 昔読んだマンガ日本の歴史だとなんかぼかされてた感じだったけど
96 21/12/12(日)11:09:37 No.875538949
東国御家人には頼朝はリスペクトしてるけどその子孫たちはどうでもいいという感じがあるよね
97 21/12/12(日)11:09:52 No.875539000
今となっては重要な歴史資料だけど 自分の絵をこれ寄贈しますって持ってこられた人はお前…ってならなかったのかな
98 21/12/12(日)11:09:57 No.875539023
>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない じゃあ室町幕府の始期はいつなんだって話だよな
99 21/12/12(日)11:10:14 No.875539096
>2~3回ぐらい「頼朝殿死亡確認!」って誤報が流されて吊られたやつをコロコロしてるのが怖い 義姉上安心してください拙者がおりますぞ!!!!!!1
100 21/12/12(日)11:10:28 No.875539175
>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない もろに帝の権威云々のまさはる関連だからな… 守護地頭の設置が実質的なーとは言うけど実質的支配でいいなら豊臣だって何だって幕府になっちゃうわけで 名実両方揃って征夷大将軍になるのは幕府成立の条件として重要でしょってなる 室町はともかく江戸幕府なんて守護地頭とかなくなってる時代だし
101 21/12/12(日)11:10:47 No.875539244
そういえば来月からスレ画の時代の大河始まるね
102 21/12/12(日)11:10:50 No.875539254
>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない 発見された新史料で将軍に決まる経緯がかなり軽い扱いだったのわかったので 将軍就任を武家政権の成立にするの無理になったのです
103 21/12/12(日)11:10:50 No.875539259
>じゃあ室町幕府の始期はいつなんだって話だよな それは湊川の戦いの後後醍醐帝が捕縛されて建武政権終了というはっきりした線引ができるから
104 21/12/12(日)11:11:03 No.875539315
>義姉上安心してください拙者がおりますぞ!!!!!!1 おーまーえーのー血はー何色だー
105 21/12/12(日)11:11:03 No.875539319
>あの時代に頼朝の名前でなんだかんだまとまってるので名前に力がある程度には権力があったのだろう 承久の乱で北条討伐を鎌倉討伐に読み換えて頼朝殿の成果が無かったことにされそうなんですけお!で武士をまとめたのはファインプレー過ぎる
106 21/12/12(日)11:11:14 No.875539363
>あの時代に頼朝の名前でなんだかんだまとまってるので名前に力がある程度には権力があったのだろう 少なくとも源氏の嫡流で神輿になってやったことは間違いないからな 少なくとも名前は使う価値がある
107 21/12/12(日)11:11:16 No.875539373
>2~3回ぐらい「頼朝殿死亡確認!」って誤報が流されて吊られたやつをコロコロしてるのが怖い こういう経緯あるので教養ある細川さんは 光秀くんからお手紙来ても動かない どう転んでもどっちの陣営からも咎められない手段を選択するのだ
108 21/12/12(日)11:11:26 No.875539416
>承久の乱で北条討伐を鎌倉討伐に読み換えて頼朝殿の成果が無かったことにされそうなんですけお!で武士をまとめたのはファインプレー過ぎる すげー三谷脚本が映えそうな展開だ
109 21/12/12(日)11:11:26 No.875539417
>もろに帝の権威云々のまさはる関連だからな… >守護地頭の設置が実質的なーとは言うけど実質的支配でいいなら豊臣だって何だって幕府になっちゃうわけで >名実両方揃って征夷大将軍になるのは幕府成立の条件として重要でしょってなる >室町はともかく江戸幕府なんて守護地頭とかなくなってる時代だし 豊臣は公家になってるんで幕府にはならんぞ
110 21/12/12(日)11:11:57 No.875539542
落馬で体調崩して死亡って結局死因は謎なのか
111 21/12/12(日)11:12:00 No.875539554
この帽子は鎌倉後期のものじゃね?ってずっと言われてたんだな
112 21/12/12(日)11:12:18 No.875539635
>あの時代に頼朝の名前でなんだかんだまとまってるので名前に力がある程度には権力があったのだろう 北条義時も源頼朝が生きてる間はほぼ空気で何やってたか不明だったからな 源頼朝が死んでからが本番だ
113 21/12/12(日)11:13:03 No.875539832
>豊臣だって何だって幕府になっちゃうわけで 幕府はあくまで武家政権で秀吉は公家の区分に足突っ込んでるでしょ すでに守護と地頭の原型を作ってた清盛は幕府であるって主張は当然ある
114 21/12/12(日)11:13:17 No.875539895
大江広元は下級役人から野望の蛮人の文官に転ずるという経歴がもうかっこいい
115 21/12/12(日)11:13:29 No.875539936
>そういえば来月からスレ画の時代の大河始まるね にょういずみくんがどう演じてくのかは気になる 配流生活で他人に決して腹の内を明かすことがないって紹介されてたけど
116 21/12/12(日)11:13:37 No.875539969
>頼朝はもちろん二代目将軍も信用して後ろ盾にしてるのは比企氏だからな >頼朝は義経の嫁にも比企氏の娘あてがったりと >ほぼ親族として取り込みたかったと見える 頼朝の乳母が比企氏なんだよな 山内だったかと小山もだけど乳母本人や子供の年齢からすると残り2つは名義的なものでガチなのは比企氏だといわれている
117 21/12/12(日)11:14:11 No.875540113
1月からは密かに大河の裏で平家物語も始まる
118 21/12/12(日)11:14:45 No.875540240
豊臣政権や平家政権はあえて名前つけるほどの期間ないからな
119 21/12/12(日)11:14:56 No.875540287
元々自分の子孫じゃなくて皇族将軍ルートやりたかったんだと思うよ頼朝 何か途中で上手く行かなくなったけど
120 21/12/12(日)11:15:07 No.875540344
江戸幕府の始期はいつになってるん?
121 21/12/12(日)11:15:29 No.875540438
>頼朝の乳母が比企氏なんだよな うn 関東に流されてからもずっと頼朝に お小遣いを仕送りしてた甘やかしぶりだった
122 21/12/12(日)11:15:30 No.875540447
>落馬で体調崩して死亡って結局死因は謎なのか 同時代の複数の公家の日記からは飲水(糖尿)病になる→死期が迫って出家する→死亡の流れが見て取れる 北条が後になって作った正史の吾妻鏡では死の年の記述が全然なく最後の最後で突然落馬の話が登場する
123 21/12/12(日)11:15:31 No.875540453
政子のまんまんは具合良くて好きだし忠義心ありそうな義時も好感持てるけど その親父がなぁ…とは思ってそうな頼朝さん
124 21/12/12(日)11:15:59 No.875540582
>>いまだに1192じゃなくて1185が正しい鎌倉幕府の始まり!って主張は納得がいかない >発見された新史料で将軍に決まる経緯がかなり軽い扱いだったのわかったので >将軍就任を武家政権の成立にするの無理になったのです じゃあ何で尊氏もヤスもなりたがったの 初回の決定時にはチリみたいに軽いことだったとしても後の時代で重視されたならそれは権威なんだよ
125 21/12/12(日)11:16:58 No.875540862
そもそもの発端が征夷大将軍って別に必要条件じゃねぇな?みたいな話からだしな…
126 21/12/12(日)11:16:59 No.875540869
>元々自分の子孫じゃなくて皇族将軍ルートやりたかったんだと思うよ頼朝 >何か途中で上手く行かなくなったけど 皇族将軍ルートを望んでたのは実朝じゃねえかな 頼朝は単純に自分の息子を溺愛してる
127 21/12/12(日)11:17:42 No.875541084
>>もろに帝の権威云々のまさはる関連だからな… >>守護地頭の設置が実質的なーとは言うけど実質的支配でいいなら豊臣だって何だって幕府になっちゃうわけで >>名実両方揃って征夷大将軍になるのは幕府成立の条件として重要でしょってなる >>室町はともかく江戸幕府なんて守護地頭とかなくなってる時代だし >豊臣は公家になってるんで幕府にはならんぞ 逆でだからこそ征夷大将軍って武家の棟梁の名目がないものは幕府と呼べないだろって話
128 21/12/12(日)11:17:49 No.875541110
政子っていかにも政子って感じだったけど北条時政の子的な意味で本名じゃないんだね政子
129 21/12/12(日)11:17:57 No.875541139
やっぱつええぜ…政子!
130 21/12/12(日)11:18:01 No.875541152
>そもそもの発端が征夷大将軍って別に必要条件じゃねぇな?みたいな話からだしな… 頼朝が将軍になった結果先例が誕生して後の日本の支配者にとって将軍位が必要条件になったわけだからな…
131 21/12/12(日)11:18:48 No.875541337
エロい話はないの?
132 21/12/12(日)11:19:11 No.875541421
>じゃあ何で尊氏もヤスもなりたがったの 尊氏は時行の勢力にビビってたから 対抗する手段として将軍職を要求してる
133 21/12/12(日)11:19:22 No.875541472
>じゃあ何で尊氏もヤスもなりたがったの >初回の決定時にはチリみたいに軽いことだったとしても後の時代で重視されたならそれは権威なんだよ 家康は明確に朝廷からの豊臣政権の後継者指名だから話違うぞ 勘違いされがちだけど征夷大将軍なんかより公家の位置まで食い込めた秀吉がやばい その位置を引き継いで一代で潰した連中の無能さもやばい
134 21/12/12(日)11:19:22 No.875541473
>関東に流されてからもずっと頼朝に >お小遣いを仕送りしてた甘やかしぶりだった 比企尼の仕送りは20年間続けてるからね… そりゃ頼朝からの信頼は海より深いよ
135 21/12/12(日)11:19:34 No.875541526
>頼朝が将軍になった結果先例が誕生して後の日本の支配者にとって将軍位が必要条件になったわけだからな… それがある時期まではそうじゃなくて足利義満がそうアピールしてからって話だったような
136 21/12/12(日)11:20:43 No.875541787
関白って征夷大将軍の百倍くらいなるの難しいからな 藤原氏って大化の改新の頃からいるわけで
137 21/12/12(日)11:20:55 No.875541827
>逆でだからこそ征夷大将軍って武家の棟梁の名目がないものは幕府と呼べないだろって話 鎌倉での政権成立時に将軍関係無いんだからその理屈は成立しない
138 21/12/12(日)11:21:09 No.875541881
北条政子って最近の呼び名だったんだな…
139 21/12/12(日)11:21:40 No.875541997
征夷大将軍なんて初期の田村麻呂は半分渡来人だよな
140 21/12/12(日)11:22:19 No.875542139
>それがある時期まではそうじゃなくて足利義満がそうアピールしてからって話だったような 鎌倉時代を知ってる人からすれば将軍といえば公家や皇族が就任するお飾り役職というイメージあっただろうし権威アップは必要不可欠だっただろうな
141 21/12/12(日)11:22:21 No.875542146
尊氏が征夷大将軍位を望んだのはもう東国で独立するつもりだったっぽい 中先代の乱鎮圧するなり勝手に恩賞配ってるし
142 21/12/12(日)11:23:00 No.875542292
ぼかぁね勝手に法皇から役職とかもらっちゃダメだって注意しただけなんだよ いきなり叛旗翻すんじゃないよ君本当にお寺出てるの!?
143 21/12/12(日)11:23:38 No.875542436
ここを幕府とする!
144 21/12/12(日)11:23:58 No.875542510
恩賞配ってるのは後醍醐が武家軽く扱ってるせいじゃ…
145 21/12/12(日)11:24:09 No.875542544
後の時代と共通してる部分を否定するのも整合性取れなくない?ってなるな
146 21/12/12(日)11:24:51 No.875542682
>ぼかぁね勝手に法皇から役職とかもらっちゃダメだって注意しただけなんだよ >いきなり叛旗翻すんじゃないよ君本当にお寺出てるの!? (例の顔になる菅田義経)
147 21/12/12(日)11:25:38 No.875542873
>ぼかぁね勝手に法皇から役職とかもらっちゃダメだって注意しただけなんだよ 役職を義経に与えるようにしたのは頼朝だよ! なぜか兼任できない検非違使を辞めずに京に居残ったのが問題なんだ
148 21/12/12(日)11:26:07 No.875542991
鎌倉幕府自体は公家と同等の立場でやっていこうとしてたように見える 承久の乱でそれは完全に消えたが
149 21/12/12(日)11:26:11 No.875543007
今日から幕府を開く!って宣言してくれればよかったのにと思うが そもそも幕府なんて名乗りだしたの江戸中期頃なんだよな
150 21/12/12(日)11:26:14 No.875543019
>恩賞配ってるのは後醍醐が武家軽く扱ってるせいじゃ… 後醍醐が軽視してるのは自分の影響下にない下々の者たちだけであって例えば尊氏や楠木正成は凄まじいほどの厚遇を受けてる 逆に護良親王に近かった赤松円心とかは六波羅陥落の主力という大立ち回りを演じた割に恩賞薄くてキレてる
151 21/12/12(日)11:26:41 No.875543126
>それは湊川の戦いの後後醍醐帝が捕縛されて建武政権終了というはっきりした線引ができるから そうすると正平一統の時に一度室町幕府は滅びてるという見方もできるような
152 21/12/12(日)11:27:03 No.875543217
>鎌倉幕府自体は公家と同等の立場でやっていこうとしてたように見える >承久の乱でそれは完全に消えたが 武家の歴史的にものすごい重要な事件だよなあれ
153 21/12/12(日)11:27:39 No.875543347
頼朝暗殺説は歴史に有りがちな陰謀論じみたものを感じる 息子の方はまあ…
154 21/12/12(日)11:28:26 No.875543493
鎌倉はいいところだよな
155 21/12/12(日)11:28:31 No.875543505
>今日から幕府を開く!って宣言してくれればよかったのにと思うが >そもそも幕府なんて名乗りだしたの江戸中期頃なんだよな 鎌倉に行くとほんの路地裏にここが幕府が置かれたところですなんて説明文の書かれた小さな石碑あったりするけど当時何と言ってたかは書いてなかったな
156 21/12/12(日)11:28:51 No.875543558
承久の乱は上皇が表立って朝敵宣言しといて負けてるから色々と気まずいんだろうか
157 21/12/12(日)11:29:12 No.875543628
どの説もだけど強弁するために他の説の穴を突いたり変な細かい部分をあの時代にはこういうことだったから!って持ち上げたりすると 他の部分でマヌケな穴ができるんだよな 後世から見たらこれとこれとこれが成立要件よし!くらいの雑さでやるのが1番いい気がする
158 21/12/12(日)11:29:29 No.875543692
またしても何も知らない 源 頼朝さん
159 21/12/12(日)11:29:39 No.875543730
>鎌倉幕府自体は公家と同等の立場でやっていこうとしてたように見える >承久の乱でそれは完全に消えたが 実朝が親朝廷路線だったのに死んだから全部おじゃんになったって見たなあ しかも将軍死んだから将軍立てるんで皇子下さいっていう北条の要請が実朝暗殺直後じゃ人質欲しがってるようにしか見えねーよ!って感じで余計拗れたとか
160 21/12/12(日)11:29:49 No.875543776
>そもそも幕府なんて名乗りだしたの江戸中期頃なんだよな 単語としての使用例はあるけど武家政権として意味は無く 武家政権が朝廷の下にあると後期水戸学が提唱して使われだす ただし明治10年頃でもまだ福沢諭吉は著書で鎌倉政府や室町政府と書いてて 実際に普及したのは明治22年に帝大の教本に採用されてからと推測されてる
161 21/12/12(日)11:30:25 No.875543916
関白争論の時の猿のムーヴはそれできるんだ…の連発ですごい
162 21/12/12(日)11:30:25 No.875543917
?「鎌倉武士って承認欲求満たしてくれる相手に尻尾振ってくれるから使いやすくていいよね…」
163 21/12/12(日)11:31:24 No.875544146
理想の英雄みたいな書き方されてるのに適当な理由で滅ぼされる畠山重忠好き
164 21/12/12(日)11:32:39 No.875544423
>落馬で体調崩して死亡って結局死因は謎なのか 落馬の数年前に落馬したところの豪族の娘を孕ませて揉め事になって なぜかわざわざそこを通って落馬したっぽいけど死因は謎だ
165 21/12/12(日)11:32:40 No.875544426
戦国時代も北条が最後まで抵抗してたし今の神奈川のあたりって中々にロックだよね
166 21/12/12(日)11:33:20 No.875544572
犯人は政子では?
167 21/12/12(日)11:33:54 No.875544683
室町時代のエゴ剥き出しの権力闘争ともまた毛色が違うんだよな鎌倉初期って
168 21/12/12(日)11:37:25 No.875545424
頼朝が死んで一番損したの北条家だぞ
169 21/12/12(日)11:38:23 No.875545621
北条氏は暗殺はしまくるけど裁判はかなり公平だったみたいだからな 私欲もあっただろうがそれ以上に武士の住みやすい世の中を作るのに尽力はしてたみたいだから私利私欲で応仁の乱止められない連中とは違うとは思う
170 21/12/12(日)11:38:32 No.875545662
曽我兄弟の仇打ちの時も頼朝は寝所に押し入られて暗殺されかかってるよね
171 21/12/12(日)11:38:47 No.875545715
>頼朝が死んで一番損したの北条家だぞ でも2代掛けて損した分丸ごと取り返したし…
172 21/12/12(日)11:40:31 No.875546115
>>頼朝が死んで一番損したの北条家だぞ >でも2代掛けて損した分丸ごと取り返したし… 完全に結果論じゃん 順当に比企一族から滅ぼされてた確率のほうが全然高かったぞ 一族の基盤が違いすぎるんだから