ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
21/10/14(木)23:35:39 No.856418353
私のトレーナーさんが、亡くなりました。 最初に一報を受けたのは、菊花賞に勝ってから数日後、自主トレーニングを終えた直後でした。 声が震えるのを堪えるように、たづなさんが連絡をしてくれました。 『マンハッタンカフェさん、落ち着いて聞いてください』 『トレーナーさんが、交通事故に遭われました』 その時はそれ以上の状況が分かりませんでした。 搬送された病院の名前を聞き、鞄も何も放り投げて、一目散に向かいました。 ですが、病室に着いたときには、何もかもが遅くて。 『……搬送中は弱々しくも必死にきみの名前を呼んでいたそうだが……ここに担ぎ込まれてすぐに意識がなくなって、そのまま……』 病室にいた関係者の誰かが、息を切らして入ってきた私にそう言いました。 連絡を受けたときから、どこかで予感はしていました。ああ、きっと私は間に合わないんだろうな、と……。 「トレーナーさんの顔……見せていただいても、いいですか」 私の言葉に、ぎょっとした表情でこちらを見てくる人もいました。 『辛いかもしれませんよ』 「私は構いません……失礼します……」
1 21/10/14(木)23:36:18 No.856418624
医師の方が気遣うように言いました。 ですが強引に止めようとしないあたり、あまりにも酷い状況ではないようでしたので……。 顔にかけられた布を静かにめくると、トレーナー室で居眠りをしているときのような、穏やかな寝顔が目に入りました。 「……トレーナーさん……」 右側頭部から顎にかけては酷い傷があるのか、ガーゼで覆われていましたが。 いつも私を見守っていてくれた左目。 菊花賞を勝った際、喜びのあまり抱きついてきたときに触れ合った鼻。 私が大好きだった笑顔を作っていた口元。 それらは、昨日最後に会ったときと、何一つ変わっていませんでした。 「……女の子が、信号無視の車に撥ねられそうになってね。助けようと飛び出して、それで……」 「そうだったんですか……考えるよりも先に動いてしまう、この人らしいと言えば、この人らしいですね」 タキオンさんのトレーナーさんが、目元を拭いながら教えてくれました。 事故の際、二人は一緒に買い出しに出ていたそうです。 二人は同期で、特に仲が良さそうにしていましたから……きっと、辛さや後悔、悲しみも相当で……。
2 21/10/14(木)23:37:02 No.856418906
「すまない、カフェ……私が一緒にいながら……本当に、すまない……」 「謝らないでください……悪いのは、あなたではないんですから……」 実家のご家族の方は遠方にお住まいで、到着までまだしばらくかかるとのこと。 「……すみません。少し、一人にしてもらってもいいですか……十分程度で構わないので……」 「……分かった。しばらく談話室にでも行きましょう、皆さん」 私の言葉に頷くと、タキオンさんのトレーナーさんは、私以外の人を連れて、部屋の外へ出てくれました。 病室に一人残された私は。 「トレーナーさん、女の子を救ったんですね」 ガーゼのない、左の頬を撫でました。 「……頑張りましたね……その瞬間は、怖かったでしょう……死にたくは、なかったですよね……」 トレーナーさんの顔は、汚れ等はなく綺麗にしてもらっていて。 奇跡的に、ガーゼのない部分はほとんど傷がありませんでした。 「……こんなこと、最初で最後、ですね」 二人きりの部屋で私は身を乗り出すと、その唇に、優しく口づけをしました。 初めての愛情は冷たい返事を返してきて、これは現実なんだと、否応なしに突きつけてきます。
3 21/10/14(木)23:37:26 No.856419038
「こんなことになるまで、何も言えませんでしたけど……きっと、いつもは鈍いくせに変なところで聡いあなたは、私の想いに気付いていたんでしょうね……」 私の用事は、これで済みました。 一人にしてくれたタキオンさんのトレーナーさんたちを呼びに、病室を出ようとしました。 「……でも……どうして」 それでも、その一言だけは、トレーナーさんに言わずにはいられなかったんです。 「どうして私と一緒にいることより……その子を助けることを選んだんですか……?」 私は、病室をあとにしました。
4 21/10/14(木)23:38:43 No.856419520
トレーナーさんが亡くなってから二週間ほどが経ちました。 直前のクラシック勝利で目立っていたことも相まって、『菊花賞バ、マンハッタンカフェの身に起きた悲劇』として、スポーツメディアは連日、私とトレーナーさんの話で持ち切りでした。 「……放っておいて欲しいんですけどね……」 放課後、誰もいなくなった教室で呟きます。 「年頃の学生なんですから、もう少し気遣って欲しいものです……あなたもそう思いませんか……?」 『お友だち』にそう問いかけると、うんうんと頷いてくれました。 メディアの直接取材はトレセン学園が受け皿になって防いでくれていましたが、情報が手に入らないせいか、どのメディアも勝手なことを書き並べていて。 きっと……私が涙ながらにトレーナーさんとの思い出を語ったり、半狂乱になったりしてる画でも欲しかったんでしょうが……。 大半は『幼い少女を救った英雄の美談』でしたが、 「不仲説に恋人説、重圧に耐え兼ねて自らとか、挙句の果てには少女趣味があったんじゃないか、ですか……」
5 21/10/14(木)23:40:03 No.856420006
目立ちたい零細メディアやブロガー、配信者、逆張り好きなSNSユーザーあたりは、荒唐無稽な発言をしては毎日のように炎上しています。 本当に……バカバカしい……。 「……外野が何を言っても構いませんが……煩いのは何とかならないですかね……」 お陰様で、学園内でも腫れ物扱い。 元々学生の中では浮いていたので、それで困るような交友関係も大してありませんが。 それでも流石に、ルームメイトのユキノさんを始め何人かの顔見知りは、私のことを心底心配してくれているようでした。 事故の翌日、ライスさんに涙ながらに手を握られたときは、自分のこと以上に申し訳無さしかありませんでした。 「私としては……そこまでのショックでもないんですけどね……」 そう話しかけると、お友だちの隣で聞いていた『トレーナーさん』が苦笑いします。 「何笑ってるんですか……大体はあなたのせいなんですからね……」 むっとして睨むと、トレーナーさんは慌てたように手を合わせて謝罪のポーズ。 「全く、相変わらず情けない人です……でもそんなところも含めて、私は惹かれたんですけどね……」
6 21/10/14(木)23:40:54 No.856420329
そんなことをぼやくと、トレーナーさんは照れたように頭を掻きました。 お友だちは他の方々には見えないようなので、以前から会話していると周囲から奇異の視線を向けられてはいましたが。 そこにトレーナーさんが加わったことでより一層、悪い意味でも心配されるようになってしまいました。 「それでも、私は構いません……二人と一緒にいられるのが、私の幸せですから……」 柄にもないことを言って、二人も嬉しそうに微笑んでいると。 がらりと、教室のドアが開きました。 「やぁやぁカフェ、ここにいたのかい!」 「……また煩い人が来ましたね……」 「そんな寂しいことを言わないでくれたまえよ、私と君の仲じゃあないかぁ!」 ある意味メディアよりも鬱陶しくて面倒な、タキオンさんその人が現れました。 流石のタキオンさんも事故から数日は不気味なくらい静かでしたが……このところは以前にも増してやかましくて……。 「それで考えてくれたかい? 私のところで一緒に、モルモット君にトレーニングを見てもらう話は!」 「……はぁ……何度も言っていますが、緑色に発光してる方から教わる気は、なかなか起きないと思います……」
7 21/10/14(木)23:41:33 No.856420588
「えーっ!? なら虹色ゲーミングカラーならどうだろう?!」 「尚更御免被ります……」 『なら』って、その自信はどこから来るのでしょうか……。 そもそも、発光してるのが嫌なのであって。 そのせいであなたたちは、私とは全く別の意味で学園内で浮いてる存在じゃないですか……。 「そうかい……名案だと思ったんだが……」 残念そうに大きなため息をつくタキオンさん。 その姿に改めて、このところ感じていた違和感を覚えました。 「仕方ない、また日を改めるとしよう。では、私はモルモット君の筋肉を肥大化させる実験に……」 「待ってください」 教室を出ようとするタキオンさんを、私は呼び止めました。 「聞きたいことがあるんですが」 「なんだい?」 「……どうして……そんなに私のことを心配しているんですか……?」 ぴたり、と。私に背を向けたまま、タキオンさんが止まりました。
8 21/10/14(木)23:42:12 No.856420823
返事はありません。 「演技が下手なのに、無理をして何を隠しているんですか……? 最近のタキオンさんは……浮足立っているのを隠すために、テンションを無理矢理上げているようにしか見えません……」 「……我ながら上手いことやれてると思っていたんだがねぇ……」 「何を気にしてるんですか……?」 タキオンさんからは先程までの大袈裟な声色が消えて。 こちらへ振り向いたときの表情は、まるで皐月賞に挑んだときのような、真剣な面持ちでした。 「カフェ、君はあれ以来、ずっと自主トレーニングをしているだろう?」 「はい……それが、何か……?」 確かに傍から見れば、GⅠバがトレーナーも付けずに走り続けるのはおかしく見えるでしょう。 ですが私は、みんなには見えないトレーナーさんが適切なメニューを指示してくれているので、何も心配はいらない、と。 お友だちのことも知っているタキオンさんには、既に説明済みのはずですが。 「先日お話しした通り、タキオンさんには見えないでしょうが、トレーナーさんが……」 「だったら何故!!」 私の言葉を遮るように突然、タキオンさんが俯きながら叫びました。
9 21/10/14(木)23:43:03 No.856421126
「カフェ……だったら、何故……」 絞り出すようなタキオンさんの声が、教室に響きます。 「何故、あれからずっと……あの事故の前日に指示されたトレーニングしか、していないんだい…………」 ぽたり、と。 小さな雫が、タキオンさんの足元に落ちました。 「それは……トレーナーさんがそう仰るので……」 「カフェのトレーナー君は! 確かに情けないところもあったし、抜けているやつでもあったが!」 タキオンさん。 何故、あなたは。 「ウマ娘の育成理論に関しては的確で、決してこんな、意味のないトレーニングをさせ続ける人ではなかった!」 何故あなたは、泣いてるんですか。 「そう言われても困ります……ですよね、トレーナーさん……」 「カフェ!!!」 大きな一歩で私に迫ったタキオンさんは、大声で私の名前を呼ぶと。 そのまま、涙をぼろぼろと溢しながら抱きしめてきました。
10 21/10/14(木)23:43:47 No.856421390
「カフェ……そこには、誰もいないんだ……トレーナー君は、そこにはいないんだ……!」 「……そういう反応には慣れてます。別に、見えないあなたに信じて貰えなくても、私は……」 「違う……違う、違う、違う、違う!!」 泣きながらタキオンさんは、何度も何度も首を左右に振り乱して。 「確かにカフェには、私たちに見えないモノが見えるのかもしれない! お友だちとやらと話している目を見れば、そのすぐ先に誰かがいるのは分かるさ!」 タキオンさんの震える声。強まっていく、抱きしめる腕の力。 「でも、トレーナー君と話していると言うとき……きみはすぐ目の前ではなく、遥か遠くを、虚ろな目つきで見ていて……」 私は何もせず、ただ棒のように立ち尽くしていて。 「カフェ……きみは、何を見ているんだい…………」 「私は、ただ……トレーナーさんを……」 「っ…………ぐ、ぅ……ぅく……」 そこから先、言葉を発せずに涙を流し続けるタキオンさんの肩越しに。 トレーナーさんはいつもと同じように、私が一番好きな笑顔を浮かべていました。
11 21/10/14(木)23:45:58 No.856422203
めちゃ長くなってしまったので分割して投下してく 多分全部で3~4回だけど最後はそんなに暗くならない 今日はここまで閉廷!
12 21/10/14(木)23:48:05 No.856423035
おい待てぇ ここで切られると寝られねぇだろ
13 21/10/14(木)23:48:38 No.856423247
おい待てェ 残りも置いてけェ
14 21/10/14(木)23:48:45 No.856423292
つらい…つらいよ…
15 21/10/14(木)23:49:28 No.856423558
つらいけど続きが気になる
16 21/10/14(木)23:50:36 No.856423968
逃げるなァァ!
17 21/10/14(木)23:51:52 No.856424414
後半がまだ書き切れていない珈琲豆なんだすまない……もうちょっとで完成だが あんまり長いの一度に投下するとアレだから分割したけどもう一回分くらいは投下できる 明日明後日くらいで終わろうと思ったけど今日追加いる?
18 21/10/14(木)23:52:47 No.856424702
よこせ寝れん
19 21/10/14(木)23:53:12 No.856424852
無理にとは言わんが読みたい
20 21/10/14(木)23:53:59 No.856425092
いや ゆっくり落ち着いて書いてくれ 待つから
21 21/10/14(木)23:54:36 No.856425308
すごく読みたいが焦らないで書いてくれ 待つから
22 21/10/14(木)23:56:58 No.856426147
とりあえずもう一回分は書き終わってるんで投げとく 5分くらい待ってくれ
23 21/10/14(木)23:57:10 No.856426242
可能なら追加が欲しい この状態で明日まで待つのは結構つらい
24 21/10/14(木)23:57:25 No.856426330
>とりあえずもう一回分は書き終わってるんで投げとく >5分くらい待ってくれ ありがとう…
25 21/10/14(木)23:58:01 No.856426543
>とりあえずもう一回分は書き終わってるんで投げとく >5分くらい待ってくれ 非常に助かる
26 21/10/14(木)23:58:32 No.856426728
続きは気になるが無理せずキリのいいところでまとめてくれ…
27 21/10/14(木)23:58:35 No.856426748
おい待てぇ 寝ずに明日まで待ってるからな
28 21/10/14(木)23:58:40 No.856426775
明日早いから3時までは待つよ
29 21/10/15(金)00:00:59 No.856427592
タキオンさんとそんなやり取りをしてから、約ひと月後。 私は、トレーナーさんの故郷へと訪れていました。 海沿いの小さな田舎町。ここでトレーナーさんは生まれ育ったそうです。 今日はトレーナーさんの四十九日法要の日。トレセン学園から出席するメンバーは、タキオンさんとそのトレーナーさんと私、計三人です。 当初は担当ウマ娘だった私と、公私ともに交流が深かったタキオンさんのトレーナーさんの二人だけの予定だったのですが、 『私も一緒に行かせてもらうよ。ご家族には既にご了承頂いているからねぇ』 とのことでした。 トレーナーさん同士の仲が良かったことや、タキオンさん自身も私のトレーナーさんと親しい関係だったこともあり、かねてよりタキオンさんのことを知っていたご家族からはスムーズに返答を頂けたようです。 法要の開始までは、まだ時間があるようで。 トレーナーさんの実家のそばで、海を眺めていました。
30 21/10/15(金)00:01:23 No.856427763
「こうして話すのも久しぶりだね、カフェ」 「……そうですね」 ひと月前に放課後の教室でやり取りをしてから、タキオンさんとはあまり会話を交わしていませんでした。 元々私から話しかけることは滅多になかったため、あれ以来タキオンさんが言葉少なになると、自然とコミュニケーションが減っていったので……。 今も特に話題がなく押し黙っていると、タキオンさんのバッグから振動音が聞こえました。 「ん……コンビニに行ってるモルモット君が、何か飲み物でも買っていこうか、だとさ」 「ならお言葉に甘えて……私は缶のブラックコーヒーを」 「うん、返信しておくよ」 モバイル端末の画面を見ながら、タキオンさんが返事をします。 その声色は淡白で、しつこかった頃と比べると研究者然としており、喪服姿も相まってなかなかどうして様になっていました。
31 21/10/15(金)00:01:41 No.856427872
「年末の有マも近いが……出走予定だそうじゃあないか。体調はどうだい?」 「コンディションは悪くありません……トレーナーさんも気を遣ってくれていますから」 「……そうかい……なら、いいんだが」 以前より減ったとはいえ会話が全く無くなっていたわけではないのですが、あれ以来、タキオンさんは私のトレーナーさんについて何も言わなくなっていました。 勿論、トレーナーさんと一緒にいるのは事実なので、何か言われる筋合いはないのですが……。 「しかし、だいぶ冷え込むようになってきたねぇ」 「潮風も冷たいですね……」 冬の海に来たのは初めてでした。 夏の海なら合宿などでも訪れますが、冬のそれは、夏とは全く違う顔を見せていて。 「確か今日は、法要のあとで海に散骨するんだろう? 寒くないのかねぇ……」 タキオンさんが苦い顔で呟きます。遺骨がどうなろうと、トレーナーさんはここにいるので、あまり関係ないでしょうが……。
32 21/10/15(金)00:02:03 No.856428028
そんな時候の挨拶のような問答のあとに、タキオンさんが思い出したように言いました。 「そうそう、カフェに聞きたいことがあったんだが……」 「なんでしょうか?」 「そういえば聞いたことがなかったんだが、トレーナー君とはどんな出会いだったんだい?」 「私と、トレーナーさんの出会い……」 そっと目を瞑り、思い出します。トレーナーさんとの出会いは、メイクデビュー直前の……。 「……そうでした。実は私、元々は別のトレーナーの元でトゥインクル・シリーズを走る予定だったんですよ」 「……初耳だねぇ!?」 目を丸くし、想像以上に驚くタキオンさん。考えてみればこの話を知っているのは、トレーナー陣始め、トレセン学園側の人々だけかもしれません。 「あれは……選抜レースの直後のことでした――」
33 21/10/15(金)00:02:23 No.856428153
当時、選抜レースに出場した私は、手前味噌ですがトレーナー陣から注目を浴びる存在でした。 そんな中、最初に声をかけてきたのはGⅠウマ娘の育成経験もある、ベテランの有名トレーナー。 『私の才能を磨かせて欲しい』、と。 よくある誘い文句でしたが、トレーナーとしての能力は疑い無いと思い、トレーナー契約を了承しました。 他のトレーナー陣は、 『あの人が担当するなら』 といった様子で、すぐに去っていきました。 そして、正式に契約する前にトレーナー室で会ったとき。 私がお友だちと話していると、そのトレーナーは言いました。 『虚空に向かって何を話している、何かストレスでも抱えているのか』 それに対して、入学したてで世間知らずだった私はバカ正直に、 「他のみんなには見えないお友だちがいて……いつも、話しているんです……」 と、答えました。
34 21/10/15(金)00:02:41 No.856428260
するとそれを聞いたトレーナーは、つい口が滑ったように言いました。 『頭がいかれてるんじゃないか』 恐らく本人も、頭ではそう思っていても口にまで出すつもりではなかったのでしょう……腐ってもプロですから。 ですが一度口にしてしまい、私と信頼関係を築くのは無理と判断するや否や、即日、契約キャンセルの手続きが行われました。 まだ契約が決まっていないトレーナー陣も多く、私は気にしていませんでした。 ですが……その考えは甘かった。 有名トレーナーから契約キャンセルを言い渡された私は、著しい気性難とでも思われたようで。 経緯を公表されたわけではありませんでしたが……誰も私を担当しようとはしませんでした。 メイクデビューの日が近付いても、私には誰一人見向きもしない。 このまま担当が付かなければ、トレセン学園を退学しようとすら考えました。 そんなときでした……あの人が、私に声をかけてきたのは。
35 21/10/15(金)00:04:37 No.856428896
「なんか俺たち、ちょっと似てるな」 自販機の横で、話す相手もおらず一人座り込んでお弁当を食べていたときのことでした。 挨拶も何もなく……突然話しかけられた第一声がそれだったので、不審者かとも思いましたが……。 「……誰ですか、あなたは」 「あ、ごめんごめん! いきなり声かけられたらびっくりするよな」 「はい……それで……あなたは誰ですか……」 「あはは、知らないのも当たり前か。何か飲むかい?」 「だから! 誰ですか!?」 「うへぇ?!」 後にも先にも、あんな風に怒鳴ったのはそのときだけかもしれません……イライラしてしまって……。 私の剣幕に驚いたのか、体が飛び上がっていました。 「あ……よく分からんボタン押しちゃった……」 その人は、あちゃー、と声を漏らしながら、自販機から缶を取り出して、私に差し出しました。
36 21/10/15(金)00:05:32 No.856429182
「今年から配属になった新人トレーナーだよ。ええと……コーヒー、飲める?」 そう言って渡されたのは、ブラックコーヒーの缶。 今でこそ常飲してますが、その頃はコーヒーなんて飲んだことがなくて。 「……飲んだことないので、分かりません……」 「だよねえ……お茶とかジュースとか炭酸飲料とかの方が良かったよね……どれがいいかな」 追加でもう一本買おうとしているのを見て、なんだか申し訳なくなって。 今思うと、あんなに不審がっていた気持ちがスッと無くなっていたのは、あの人から滲み出る人の良さが理由だったのかもしれません。 「いえ、そのコーヒーで構いません……いただきます……」 「そ、そう? 口に合わなかったら無理しなくていいからね」 少し警戒しながら、渡された缶コーヒーを飲んでみると。 確かに苦く、それまでなら決して好んで飲む味ではなかったのですが。
37 21/10/15(金)00:06:39 No.856429533
「……にが……」 「あああ! 無理しないで無理しないで、俺が飲むから! ……いや待って、女の子が口を付けたのを知らない男に渡すのはどうなんだって話だよな……」 「……大丈夫です、これくらいなら飲めますから」 「む、無理させちゃってごめんな……はぁ、俺こんなんばっかだな……」 「無理をしてるわけでは、ないですよ……」 苦いと思ったのは本当で。好んで飲む味でなかったのも本当で。 でも、何故か……その人に貰ったこのコーヒーは、なんだか暖かい味がして。 どうにも飲みたいと、思ってしまったんです。 「きみ、マンハッタンカフェだろ?」 「ええ、そうですが……」 何故私の名前を、と一瞬思いました。ですが、すぐに気付きました。私の悪い噂は、こんな新人トレーナーにまで届いていたのだと。 けれど、だとしたらわざわざ話しかけてきた理由が分かりませんでした。 「何かご用ですか……?」 「いや、特に何か、ってわけじゃないんだけどさ」 話しながら、その人も同じ缶コーヒーを買いました。
38 21/10/15(金)00:07:42 No.856429908
缶を開けて一口飲むと、ふぅ、と息を吐いて、空を見上げて。 「俺、こんな感じで抜けてるからさ。学生さんと話しててもすぐ呆れられちゃって、担当契約まで全然至らなくてね……」 そこまで言うと、慌てたようにこちらを見ました。 「いや! きみも抜けてるとかそういうことじゃないよ! 俺みたいなのと一緒にされちゃ迷惑だよな!」 真顔の私の前で勝手にあたふたしている内に、手元も怪しくなっていました。 案の定次の瞬間、持っていた缶コーヒーを落としてしまいました。 溢れて広がったコーヒーは、私の制服のスカートの端を濡らしてしまって……。 「うわああぁ!? ごめんマンハッタンカフェ!!」 「……気にしないでください、端が少し濡れただけなので……」 「俺、何やってんだ……」 ハンカチを取り出すと、スカートの端に当て、コーヒーを吸い取ろうとします。 ですがすぐに手を止め、再び青ざめた表情で。 「……ねえ、これってセクハラになっちゃう……?」 「……別に、私はこれくらいなら気にしませんが……人によっては、初対面でされるのはダメかもしれませんね……」
39 21/10/15(金)00:08:14 No.856430103
「……こんなんだから俺、誰も担当させてもらえないんだよな……育成については人並み以上に勉強してきたつもりだけど……」 ハンカチを私に手渡し、しょぼくれながら落とした缶を拾う姿を見ていると。 全然性格も違いますし、しでかしてることも全く異なりますが。 変な話ですが、でも何故か私も、どこか似てるな、と思ったんです。 他人から、呆れてすぐに見限られてしまう者同士。 その気持ちが分かるこの人なら、浮いてしまっている私のことも、自然に受け入れてくれるんじゃないか、解き放ってくれるんじゃないか、と。 そんな淡い期待を、心のどこかで抱いていたんだと思います。 だから私は、残っていた自分のコーヒーを一気に飲み干して。 この人に、諦めかけていた夢を賭けてみようと思ったんです。
40 21/10/15(金)00:08:39 No.856430251
「コーヒー、ご馳走さまです……」 「あ、全部飲めたんだ……大丈夫? ほんと無理してない?」 「ええ、大丈夫で――」 と、答えようとしたのですが。 「……」 「……顔色悪いけど、本当に大丈夫……?」 「……」 「えっと……どうしたのかな……?」 「……お腹、痛い、です……」 「わああああ!? ほ、保健室保健室ぅーッ!!」 そんな慌ただしい出来事が、私とトレーナーさんの出会いでした。
41 21/10/15(金)00:09:25 No.856430521
「あっはっはっは! 確かにカフェとトレーナー君らしいねぇ!」 「そんなに笑わなくても……兎に角、それで体調が落ち着いてから、私から担当を依頼したんです」 「トレーナー君はお友だちのこと、何も突っ込まなかったのかい?」 「お友だちのことは、正式に契約する前に話したのですが……」 今思えばそのときが、トレーナーさんの大好きな笑顔を、初めて見たときだったかもしれません。 「『いい友だちじゃないか、俺はカフェみたいには見えないから羨ましいよ』、と……欠片も疑わず、誰もいない方向に挨拶してましたね……」 「あっはっはっは!」 タキオンさんが、心底面白そうに笑います。 決してバカにしているのではなく、懐かしい友人の思い出話を聞く表情で。 「そうか、道理できみたちはあんなに仲が良かったわけだ。なんだかんだ、カフェも面倒見がいいからねぇ」 別に、それだけが理由というわけじゃないんですけど……。 「それから、一年強を一緒に過ごして……トレーナーさんのことを、少しずつ知っていったんです」 「彼は分かりやすい部類の人だと思うけどねぇ……」
42 21/10/15(金)00:10:15 No.856430858
「基本はそうなんですが、例えば……トレーナーさんが実は喫煙者だって、知ってましたか?」 「……えーっ?!」 本日二回目の驚きを頂きました……。 ええ、ああ見えて、普通に接してると意外と知らないところ、沢山あるんですよ。 「あんまりイメージがつかないねぇ……」 「トレセンでは勿論、一切吸ってませんでしたからね……遠征に行ったとき、休憩で立ち寄ったコンビニで吸っているのを見て知りました」 「ふゥん、てっきり『煙草は身体に悪いよ!』とか言うタイプだと思っていたんだが……」 「実際そう思ってはいたようですが……学生の頃、カッコつけて吸い始めたら止められなくなってしまったそうで……」 「……ふふふ、しょうもない感じが確かに、言われてみると彼らしいねぇ……」 他にも色々ありますよ……教えてあげる気はありませんが……。 カフェ、と愛称で呼ぶために、わざわざ菓子折りを持ってお願いに来るとか。 実はバイクも趣味で、ウオッカさんを乗せてあげたとか……知ったとき、思いっきり拗ねて困らせましたが……。 あとは……。
43 21/10/15(金)00:11:28 No.856431281
「……よく、地元の海が好きだと言ってました。この場所で冬の空気を吸いながら、コーヒーと煙草を味わうのが特に好きだって……」 そう口にしたとき、小さな痛みを胸元に感じました。キュッと、わずかに締め付けられるような。 「だから……散骨するのかもしれませんね……」 私が今、コーヒーを好んで飲んでいるのだって。 トレーナーさんに貰った缶コーヒーの暖かさが忘れられなくて。 こそこそ飲んでいるのが見つかったとき、どうせなら、とトレーナーさんがサイフォンで淹れてくれたのが切っ掛けでした。 「今の私を造っているものは……その沢山が、トレーナーさんから貰ったモノなんです……」 「そうだねぇ……この一年強で、カフェは本当に表情豊かになったよ」 「そこまでですか……?」 「ああ、恋する乙女の顔をするくらいには、ね」 「?! ごほっごほっ……!」 「つばが気管支にでも入ったかい、全く世話が焼けるねぇ」 そう呆れたように背中をさすりつつ、タキオンさんが私に向ける表情は、とても優しく、穏やかで。
44 21/10/15(金)00:12:31 No.856431653
「たった一年と少し程度で、と宣うバカ者もたまに見るがねぇ。互いの夢を重ねて四六時中一緒にいるんだ、そりゃパートナーの一部が自らの血肉になることもあるだろうさ」 「……タキオンさんも、ですか……?」 そう聞いたとき、少し離れたところから、駆け寄ってくるタキオンさんのトレーナーさんの声が聞こえました。 「二人とも、飲み物を買ってきたよ」 声がする方を見やり、タキオンさんは目を細めた。 「ああ、勿論私もだ。モルモット君からは日々、色々なモノを貰っているよ。実験データ以外にも、ね」 「ん、何の話だ?」 「いやいや、きみは気にしないで結構だ」 含み笑いをするタキオンさんに、わけがわからないと頭を捻る、彼女のモルモットさん。 私もついこの前まで……同じように、トレーナーさんと二人で……。 「……いえ、トレーナーさんは今も隣にいますから……そうですよね……?」 そう独り言ちてトレーナーさんを見ると、いつものように微笑んでいて。 そんな私を見る目の前の二人は、何故か一瞬、寂しそうな目で、私を見ていました。
45 21/10/15(金)00:14:30 No.856432325
今度こそここまで閉廷! 最近えっちな怪文書とか曇らせ怪文書とか書く内容の乱高下が激しくてしにそう 残りは書き上げ次第明日明後日に投下する 投下済みのtxtと一緒に投げるんでよろしく
46 21/10/15(金)00:14:54 No.856432453
待ってるぞ
47 21/10/15(金)00:15:43 No.856432729
寝れねえな
48 21/10/15(金)00:16:25 No.856432953
明日と明後日を震えて待とう
49 21/10/15(金)00:17:07 No.856433228
残された傷が大きい お疲れ様続きも待ってるぜ
50 21/10/15(金)00:18:06 No.856433572
あーただ明日ヤクキメるんで副作用激悪だったら数日開くかも 投下するときは日が変わる前には開始するから見つかんなかったら翌日夜また探してみてくれ
51 21/10/15(金)00:19:00 No.856433903
>あーただ明日ヤクキメるんで副作用激悪だったら数日開くかも >投下するときは日が変わる前には開始するから見つかんなかったら翌日夜また探してみてくれ 無理は良くないので自分第一でな…お大事に 了解です
52 21/10/15(金)00:21:34 No.856434793
続きありがとう…無理はしないでくれ 待ってる
53 21/10/15(金)00:22:37 No.856435122
しんみりしてるけどそれだけじゃない名作怪文書助かる…
54 21/10/15(金)00:23:01 No.856435238
>あーただ明日ヤクキメるんで副作用激悪だったら数日開くかも 言い方!
55 21/10/15(金)00:24:39 No.856435825
心が粉々になる!
56 21/10/15(金)00:29:43 No.856437353
いい…
57 21/10/15(金)00:31:19 No.856437839
心半ばに逝ったトレーナーも無念だろうな…
58 21/10/15(金)00:33:43 No.856438597
フクトレなら霊感あるんだけどな...本当にカフェトレの霊なのか確かめられないのかな