21/08/27(金)23:04:47 「ああ…... のスレッド詳細
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21/08/27(金)23:04:47 No.839841752
「ああ…うう…ひっ…ぐっ…」 なぜ、私はあの時は彼を置いてロンドンに行ってしまったのだろう? 愛する人が病に臥せているのに、どうして私は彼の傍に居なかったのだろう? 一見元気に見えるからと言って、病が身体を蝕み死を齎すなんて私たちの年齢では決して不思議なことじゃないのに。 嗚呼、あの日にさえ戻れたならば。
1 21/08/27(金)23:05:06 No.839841920
「インフルエンザだなんてな、大学生以来だぞ、あの頃でも吸引薬1回だけで済んだのにな」 病院のベッドに仰臥位で横たわる彼を重病人だと思う人間は居ないだろう。 点滴針は刺さっているが、呼吸器はつけていないし、血色の良い顔色は健康であると訴えている。 現代ならば、錠剤1つ飲むだけで翌日には治っている病気だが、彼の場合ウイルスが心臓に達し炎症を起こしていたのが入院している理由だった。 そんな中で私が招待されたロンドンでの国際会議、断っても良かったのだが――。 「本当に行ってもいいのかい」 「いいさ。ウイルス性心筋炎とは言え抗ウイルス薬の投与も済んでるし。それに頼りになる子供たちも居る」 「呼ばれるうちが華、さ」 そんな彼の後押しもあって、私はロンドンでの会議に出席を決めた。
2 21/08/27(金)23:05:45 No.839842227
ロンドンに居る間も、彼の消灯時間ギリギリまで連絡を取り合った。 昔はよく病院食が不味いなんて聞いたがここの食事は美味しいとか、自分を担当している看護師が学園の卒業生で私のことは今でも語り継がれているとか、 ロンドンは寒波で大雪だとニュースでやっているが風邪などひいてないかとか。 自分が入院しているのに、私の健康を心配してくるところが若い頃と何一つ変わっていなくて可笑しかった。 容態について聞くとあれから熱が出たが解熱剤を飲んだから大丈夫だと聞かされると、流石に心配になり子供たちにも聞いてみると同じ回答が返ってきた。 気がかりはあるものの、帰る前にウィーンから彼の好物のザッハトルテでも取り寄せてそれをお土産にして帰ろうか、そんな気楽な考えすら浮かんでいた。
3 21/08/27(金)23:06:51 No.839842803
冬のロンドンはめったに晴れない。 だが、その日は何故か日本にいるのかと錯覚してしまうほどの青空だった。 ランチティーを終えて、せっかくだから茶葉も買って帰らないとなと考えていた時だ。 長男が送ってきた危篤のメール。それを見たときから記憶がない。 一体どうやって飛行機に乗って帰ってきたのかもよく覚えていない。 彼の遺体と対面したことは覚えているがその後のことは思い出せない。 気がつけば私は彼の書斎に居た。 扉の外では子供たちが何やら言っているが、私にとってはもはやどうでも良かった。 今更何をしたところで、誰が何を言ったところで私は自分が許せないのだ。 普段彼が使っていた書斎は、入院してからそれ程経っていないからか、つい先程まで部屋の主人が そこに居たようにすら錯覚してしまうほどで、生きていた頃の彼を強く感じられた。 彼の残り香を求めて、書斎椅子に座ろうとした時だった。 何かに蹴躓いて盛大に転けてしまう。
4 21/08/27(金)23:07:30 No.839843133
「目覚まし…時計…?」 私を転けさせた正体はアナログ式のレトロな目覚まし時計。 私が現役で走っていたころ、彼が使っていたらしいのは覚えている。 らしいというのは、実際に使っているところを見たことがない、私も彼も携帯電話のアラーム機能を使っていた。 しかし、とても大切に扱っていたからその時計は何か思い出の品なのかと聞いてみると、別にそうでも無いと彼は答えていた。 ただ、大切なものなんだとこの仕事をするうえでな、と言うばかりだった。
5 21/08/27(金)23:08:10 No.839843410
50余年の時を経て劣化が見受けられるが、私が足をひっかけたことが原因かガラスにヒビが入ってた。 どうしてこの時計がここにあったのかわからないが、いずれにせよ、これも彼との思い出の品と手に取ったとき、奇妙な点に気が付いた。 いくら足を引っかけて蹴ってしまったと言え、外装はともかく文字盤にまでヒビが入るだろうか? 長針を回そうとつまみをひねってもまったく動かないなどあり得るだろうか? 壊れている、というよりまるで時が止まったように、この時計は止まっていた。
6 21/08/27(金)23:09:52 No.839844342
父が亡くなってから2ヶ月、母のことが心配になり実家訪れている。 「ああ、よく来てくれた。みんなが来てくれると聞いて持てなさねばと思ってな。ケーキ屋をチラ見した時にこれだと決めたんだ。ティラミスしかないと。」 「ティラミスをチラ見ス…ふふっ」 「……お義母さん、立ち直ったみたいだね」 確かにそう言って良かった。 あれほど打ちひしがれていた母が、以前と同じように私たちを出迎えてくれているのだ。寒くつまらないダジャレを添えて。 父の死に取り乱し、父の書斎に閉じこもっていた母が、突然飛び出してきて 目覚まし時計がどうのこうの言い出した時は、正気を失ってしまったのかと膝から崩れ落ちそうになった。 兄と二人がかりで捕まえ身だしなみを整えさせ、弔問客を迎えるころにはすっかりいつもの母に戻っていたから、流石<皇帝>シンボリルドルフと感心するしかなかったが。
7 21/08/27(金)23:10:35 No.839844663
あれ以来、仕事もきっぱりと辞めてしまった母。御手伝いさんが言うには時折図書館に出かけるくらいで、ほとんどを父の部屋で過ごしているという。 そこでどう過ごしているのかというと、お茶を持ってくる等命じられないかぎり彼女たちも立ち入らないのだが、父との思い出のアルバムやビデオを見ている程度で特別不審な点も見当たらないと。 「俺の祖母も、祖父を亡くした後は仏壇に向かって話しかけていたよ。君のお義父さんとお義母さんはとても仲の良い夫婦だったのだから、それだって何も不思議じゃないさ」 御手伝いさんも似たようなことを言っていたし、そういう境地があるのかもしれない。 とにかく、母が元気そうにしているのを見ると心配の種も消えてしまった。
8 21/08/27(金)23:11:11 No.839844921
「そういえば、ちょうどこんな夜だったね。貴方に私の幼名を教えたのは」 老婦が窓辺の椅子に座り、針の止まった目覚まし時計に向かって語りかけている。 「あれは私にとって1つの告白だったのに、意外と鈍いところがあるからね。全く呼んでくれなくて焦ったものだよ」 「いやいや、呼んでくれるなと言ってのは皆の前ではあってだな…」 銀の弓のように引き絞られた三日月は、止まった時計を愛おしそうに撫でる老婦をいつまでも照らしていた。
9 21/08/27(金)23:12:44 No.839845578
MTR…そういうのもあるのかと思って書いたが 看取られてないような看取られてるような… 誰も悪くないのに取り返しのつかないことをしてしまい泣いてる会長も見てみたいのもあった
10 21/08/27(金)23:14:58 No.839846634
看取れてない!
11 21/08/27(金)23:15:22 No.839846808
これ立ち直れてないですよね?
12 21/08/27(金)23:15:40 No.839846935
会長が目覚ましでやり直すのかと
13 21/08/27(金)23:15:56 No.839847030
>看取れてない! ちゃんと子供たちに看取られてるし…
14 21/08/27(金)23:18:00 No.839847952
俺も一瞬会長が目覚ましでぶわーっ時をかけるかと思った…
15 21/08/27(金)23:20:14 No.839848996
まぁそれで心が静まるなら...うん...
16 21/08/27(金)23:23:47 No.839850560
死ぬ時に側に会長が居ないけど子供たちは居たトレーナー 父の死から立ち直れてるのを見て安心する子供達 夢幻の中でトレーナーと余生を過ごす会長 ハッピーエンドでは?
17 <a href="mailto:s">21/08/27(金)23:48:50</a> [s] No.839860598
目覚ましでやり直しは思いつきはしたけどあの目覚ましって書いちゃうのが良くなかったな 多分スレが落ちるまで間に合わないけどちょっと続き書いてみるか
18 21/08/27(金)23:49:16 No.839860734
ありがたい…
19 21/08/27(金)23:52:37 No.839861891
突然、耳をつんざくようなけたたましい音を鳴り、手の中の目覚まし時計が震える。 「えっ…あっ…時計、壊れていたはずじゃ」 その瞬間、目眩に襲われて座っていることすら不可能になり、床が勢いよく近づいてくるのが見えた。
20 21/08/27(金)23:53:49 No.839862349
「…様、奥様、早く起きてください。支度をしませんと飛行機の時間に遅れますよ」 目が覚めるとそこは自分の寝室だった。彼の書斎に居たはずなのに、皆が私を運んでくれたのだろうか? それにしても飛行機の時間?なにを言っているんだろう彼女は。 「ロンドンの会議に出席なさるんでしょう?」 ロンドンの会議?端末を見ると、彼が死ぬ2週間前、これは一体どういうことで…時間が巻き戻っている…?
21 21/08/27(金)23:58:09 No.839863872
私は大急ぎで着替えると運転手に彼が入院している病院に向かうように指示を出す。 年齢も立場も忘れて、規則を無視して病院の中を走り階段を駆け上がる。エレベーターを待っている時間すら惜しかった。 年は取りたくないなと、息切れをしながら力強く病室の扉を開けると、あの日から会いたいと願ってやまない彼の姿があった。 「ルナ?一体どうしたんだ。そんな大きな音を立てて。いや、それより君は会議に出るんじゃなかったのか」 まだ朝食を摂っていた彼は私の突然の来訪にただただ驚いているようだった。 彼を見た瞬間に、体から力が抜けてゆく。 「目覚まし、時計…」 色々と言いたいことがあったはずなのに、開口一番がその言葉だった。それを口にした瞬間、足がふらつき目の前が暗くなる。 「誰か、誰か来てくれ!」 真っ暗になった瞬間、聞こえたのは彼の叫び声だった。