虹裏img歴史資料館

ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。新しいログはこちらにあります

21/08/14(土)00:15:25 ちぎれ... のスレッド詳細

削除依頼やバグ報告は メールフォーム にお願いします。個人情報、名誉毀損、侵害等については積極的に削除しますので、 メールフォーム より該当URLをご連絡いただけると助かります。

画像ファイル名:1628867725663.png 21/08/14(土)00:15:25 No.834719851

ちぎれ雲が列をなして大空をゆったりと流れていく。 季節は秋。時刻は夕暮れ時。一日の終わりに心も自然と緩む。 といっても、まだ夕方にさしかかったばかり。 日没間近のぎらつくような光はなく、空も雲もそれぞれの色をしっかりと残したうえでほんのりとオレンジに染まっていて。 散歩中に眺めるにはこれくらいの調和が程よいな、と歩きながらゼンノロブロイは思う。 偶然できた空白なのか、河川敷には人影も車の音すらもなく静寂が広がっている。 緩やかに、しかしはっきりと分かる雲の流れをその中で見ていると、この空だけが世界の全てになったようで…… ロブロイはずっと頭上を眺めながらその不思議な感覚に浸っていた。 だからまるで気付かなかったのだ。進む先の土手に誰かが座っていることに。 「やあ、散歩かい?」 「ひゃっ!?」 完全に意識の外からの呼びかけに、反射的に小さく飛び跳ねてしまった。

1 21/08/14(土)00:15:40 No.834719951

慌てて声の主を確認すると、温和な顔立ちの青年がロブロイを見上げていた。 「ごめんごめん、いきなりすぎたかな」 苦笑しつつ謝る青年だったが、それでも気さくに続けて語りかけてくる。 「ずっと空を眺めてたね?」 随分フランクな人だなと思いつつも、その人当たりの良い雰囲気につい乗せられてしまいロブロイは頷く。 「はい。しっかり秋を感じられる、いい空模様なので」 「ああ、確かに……」 青年は視線を空へと移す。 「空には雲しかないのに、どうしてか季節をはっきりと感じられるよね」 その言葉にロブロイは笑みを浮かべ、自分もまた再び空を見やる。 こういう感覚的な部分で共感を得られると妙にうれしいものだ。 「──走れや走れ 夕空の下」 自分の口からこぼれた言葉に、ハッとなり手で口を塞ぐ。

2 21/08/14(土)00:15:56 No.834720042

やってしまった。度々起こしてしまう自分の悪い癖。 強く気分に浸っていると、好きな本の一文をついそらんじてしまうのだ。 今も知っている詩の一つを無意識に口にしてしまった。 きっと笑われる。それとも引かれるか──…… 「流るる雲を追いかけて 秋空の中 走れや走れ」 「────!!」 後悔するロブロイの耳に届いたのは、詩の続きだった。 記憶に自信がないのか少したどたどしい口調。向けられた目配せは(合ってるかな?)と問いかけている。 「……我が足取りは軽くとも 胸に差しこむ秋風は」 頷く代わりにさらに詩の続きを読む。青年の頬が安堵で緩んだ。 「冷涼たる感傷となり 心を撫でる 」 「夏の日差しも焼け付く風も 生まれた愛さえ連れ去る雲を」 「追いかけつつも その心は空虚にあらず」 「「走れや走れ 胸には既に 秋の情熱灯したり」」 最後の一文は声を揃えて読み終える。

3 21/08/14(土)00:16:41 No.834720385

ロブロイの喉から歓喜に打ち震えた唸りが洩れた。 「~~~~~っっ、いいですよねっ、葉車清次郎!!前向きなセンチメンタリズムという相反する要素の内包!  感傷という心の動きを愛しつつも、それだけが感情の全てではないってテーマ性が彼の作風となっていて!  エッセイも執筆していて長い文章もとても整っているんですけど、あえて詩を活動の中心にしたのは  やはり感傷を文で表すには短い文章で区切ったものの方が『静』の行間を伝えやすいからなんでしょうね。  そしてそんな心の側面をテーマに置いておきながら人間自体に焦点を当てた作品は少なくて、  季節や場所、時刻といった光景を通して表現しているのは日本古来からの侘び寂びの精神と根っこは同じではないかと  私は考えてます。同じ方向性の詩人に丹波山慎司や甲野一花がいますけど、それらに比べて使う言葉に  若さを感じられるのも特徴で。だから移ろいや儚さだけじゃなく希望や前進が生まれてるんですよーー!!」  内から湧き出る情熱のままに、感銘を受けた詩人を語る。 そんなロブロイの姿を青年は微笑んで見つめていた。

4 21/08/14(土)00:17:00 No.834720516

「…………ああぁ、やっちゃったあ~~~……」 その日の晩。青年とのやり取りを思い返しつつ、ロブロイはベッドの中で身悶えていた。 自分のもう一つの悪い癖、一人語りがまた出てしまうとは。 ──いや、今回に限っては自覚無しにやらかしたわけではない。 詩をそらんじることができるほど造詣の深い相手だから、きっと共感を得られるだろうという考えあってのものだった。 現に、青年は喋り終えるまでちゃんと話を聞いてくれていたし。 しかし、こうして就寝する時になってようやく思い至ったのだ。 ──あれほどロマンチシズムを理解してる人間とは、薀蓄ではなくさらに詩を重ねて語るべきではなかったか? 目の前の景色や流れゆく時間、季節の感触を詩をもって共有するべきだったのだ。 それを無粋なひけらかしで台無しにしてしまった。そう考えると自己嫌悪が渦巻き叫んでしまいそうになる。 「あの人、明日もあの場所にいるかしら……?」 できればもう一度会って、興を削いでしまったことを謝りたい。 そして詩を愛する者同士の有意義な時間を作り直したい。 そんな想いを巡らせながら、ロブロイは悶々と深夜まで布団の中の暗闇を見つめ続けるのだった。

5 21/08/14(土)00:17:14 No.834720610

翌日。ロブロイは青年に会うため、再び河川敷を訪れていた。 まるで昨日の再現のように空模様は穏やかで、周囲は心地よい静寂に満たされている。 「────!」 はたして青年は前日と変わらぬ場所にいた。 土手に腰を下ろし、ちぎれ雲の流れゆく夕空をのんびりと見上げている。 「あのっ!」 声をかけるとロブロイに気付いた青年は顔を向け、うれしそうに笑った。 「よかった。ここで待てばまた会えると思ってたんだ」 相手も自分と再会することを望んでいたことにロブロイもうれしくなったが、まずはと頭を下げる。 「昨日はすみませんでした。私、一人でベラベラと薀蓄を垂れて……」 「いや、なかなか興味深かったよ。本当に読書家なんだね」 その言葉には皮肉も嫌味も、社交辞令的なニュアンスもなく。 青年の素直な気持ちであることが伝わってきて、ロブロイは心から安堵した。

6 21/08/14(土)00:17:33 No.834720739

「……もう一度、あなたに会いたいって思ってました」 ロブロイの頬がほんのりと朱に染まる。 「想いを込めて語り合いたいって。……こんなふうに感じる男の人、あなたが初めてです」 「俺も。別れてからもずっと君のことを考えてた」 二人はしばし見つめ合う。 「じゃあ語り合あおう。情熱的に!」 「ええ、思いっきり!」 「秋を謳った詩の数々を!!」 「レースに対する熱い想いをっ!!」

7 21/08/14(土)00:17:48 No.834720830

「「……………………え?」」 全く別の言葉が互いの口から飛び出したことに、二人はしばしポカンとなる。 「……あの、レースって?」 ようやくロブロイが言葉を紡ぐと、青年は目を丸くする。 「え、俺のスカウトを受けに来てくれたんじゃ……?」 言われて、初めて彼の胸元にある見慣れたバッジに気付く。 「トレーナーさんだったんですか!?」 「気付いてなかったの!?」 「え、でも昨日はそんな話全然……」 「ああ、それが……夢中で話す君の講釈を聞いてるうちに、持ちかけるのうっかり忘れちゃってて」 青年──おそらく今年赴任したばかりであろう新人トレーナーは、気まずそうに頭を掻く。 「あれ、でもそれじゃあ君はどうしてまた会いに?」 「それは……また一緒に、いろんな秋の詩を読み上げたくて……」 「俺、詩なんて全然知らないけど」

8 21/08/14(土)00:18:06 No.834720936

「ええ!?だって昨日は葉車清次郎の『走れや走れ』を──」 「あれは学生時代に授業で習って、なんでか暗記してただけで……。  というかあれ、レースに対する想いを詩で伝えてくれたんじゃなかったんだ……?」 「はい……。純粋に、好きな詩だから口にしただけで……」 二人はまた無言でしばし見つめ合う。 「──プッ!あはははははっっ!!!」 「クスクス……うふふふふ!!」 そして声を揃えて盛大に吹き出した。 「私達って本当に──」 「うん。まったくもって──」 「「どうにも気が合わない!!」」

9 21/08/14(土)00:18:21 No.834721022

「うん。残念だけど、そうするよ」 トレーナーは頭を下げるロブロイの言葉を素直に受け入れる。 「必ずしもウマ娘とトレーナーの感性が合ってなきゃいけないわけじゃないけれど、  本当に相手のことを理解できるパートナーの方がいざという時に力になるだろうからね」 「──あの、もし今回のことで少しでも詩に興味を持ったなら図書室にいらしてください」 「そうだね。勉強以外で本なんて読まない俺があの詩を覚えてたのは、心に響くものがあったからだろうし。  今度また、その……葉車清次郎?について教えてくれる?」 「はい!蔵書に何冊もありますから、お勧めを用意しておきます」 「じゃあこっちも、有望なウマ娘がいることをそれとなく同僚に話しておくよ。読書家なことも含めてね」 「うふふ、ありがとうございます!」 こうして一瞬だけ重なった二人の運命は、すぐにそれぞれの向かう方へと分かれていった。

10 21/08/14(土)00:18:35 No.834721124

数か月後。ロブロイは学園のエントランスホールで、あのトレーナーが一人のウマ娘と寄り添ってるのを見かけた。 スラリと引き締まった体型で、表情の変化がはっきりしている、読書よりも体を動かす方が好きそうなウマ娘。 一目見ただけで、阿吽の呼吸でつながってそうだと感じる二人。 ロブロイが小さく手を振ると、気付いた向こうも笑顔で手を振り返してくれた。 「あいつと知り合い?」 二人を見送るロブロイの隣にも、専属のトレーナーが立っている。 頼りになるけどちょっと寂しがり屋で、情熱的で、詩を愛するロマンチスト。 誰よりもロブロイのことを理解してくれる、かけがえのない人。 「はい。少しだけ」 微笑んで頷くと、ロブロイはそっと詩を口ずさむ。 「恋の花は咲かねども」 「慕情の実の色あでやかで」 流れるようにスマートに言葉を受け継ぐ、彼女のトレーナー。 ──この人なら、語らずとも私のこの気持ちを分かってくれる……。 ロブロイは彼の大きな手に、自分の手を重ねるのだった。

11 <a href="mailto:s">21/08/14(土)00:18:57</a> [s] No.834721262

おしまい。ロマンスが始まらないのもまた一つの物語。

12 21/08/14(土)00:20:47 No.834721969

こういうのもいいね…

13 21/08/14(土)00:22:45 No.834722776

健全のロブロイひさびさに見たわ…

14 21/08/14(土)00:24:19 No.834723369

ほんの一瞬交わっただけのよき友人か… それぞれに幸せを掴むのだろう

15 21/08/14(土)00:26:43 No.834724343

>スラリと引き締まった体型で、表情の変化がはっきりしている、読書よりも体を動かす方が好きそうなウマ娘。 ロブロイと真逆なのわかりやすいね いやロブロイがデブでだらしないわけじゃないが…

16 21/08/14(土)00:30:31 No.834725896

まさに一期一会、味わい深いなぁ… みんな幸せになってほしい

17 <a href="mailto:s">21/08/14(土)00:31:24</a> [s] No.834726240

ちょっとコピペミスしたの補足。 9レス目先頭に 「そんなわけですので……ご縁がなかったということで」 というロブロイの台詞が入ります。

18 21/08/14(土)00:44:51 No.834731150

ほほう……中々興味深いですねえ

19 21/08/14(土)00:52:04 No.834733825

>まさに一期一会、味わい深いなぁ… >みんな幸せになってほしい こういうの読むとトレーナーとモブ娘の方にも ちゃんとドラマがあるんだろうな…って思えてくる

20 21/08/14(土)00:53:36 No.834734381

ちゃんとお互い理想の相手を見つけてるのがとても良い

↑Top