ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
21/08/11(水)05:49:02 No.833599077
「まだ、」 「まだだめですよ、トレーナーさん」 俺をトレーナーと呼ぶ見知らぬ少女は、そう告げて。 「ここはあなたの幸せ空間。私にとってのナイトメア。でも、トレーナーさんのためなら。終わらなくたっていいと思う」 言っている意味がわからない。確かに周りは遥かに伸びる壁と細く長い一つの道だけで、悪夢だというのなら筋が通った光景だが。 「君は…誰だ?」 「…誰、でしょうね?」 芦毛のウマ娘。それは当たり前のようにわかるけど、それ以上は何もわからない。 「…じゃあ、始めましょう。まだ、まだなのですが。まだ夜は、少ししか溶けていないのですが」 彼女は指を交差させ、口元で妖しくバツを作る。 「いけない夜の、はじまりはじまり」 二人きりのナイトメア。二人だけの幸せ。
1 21/08/11(水)05:49:23 No.833599099
「ルールはひとつです。あなたが私を捕まえられたら私の負け。そしてその逆。トレーナーさんなら、簡単ですよね」 「…とても簡単には思えないけど…」 常識的に考えてウマ娘と追いかけっこをして勝てるわけがない。ずっと続く一本道を進むたび、どうしようもないと理解するだろう。 「…そんなことないですよ」 そう、彼女は顔色ひとつ変えずに。 「これがただの悪夢なら、ずっと届かないと思いますけど。トレーナーさんはいつだって、私の予想も期待も超えてくれるから」 まるで試すような言動。彼女の目的はなんなんだろう。 「なあ、君は一体何のために、」 ここにいるのか。それを聞こうとする前に、口は彼女の人差し指で塞がれて。 「まだ、」 「まだだめですよ、トレーナーさん」 「朝はきっと来るけれど。それまでは終わらないのが、ナイトメアですから」 相変わらず、要領を得ない。
2 21/08/11(水)05:49:39 No.833599111
虚数に沈む空無き空間。悪夢を名乗る少女のカタチ。まるでわけがわからないけれど。 「…選択肢はそれしかないのなら。よし、乗った」 「…さすが、かっこいいや」 彼女は小さく呟いた。そこに込められた何かの感情には気づかないふりをする。 彼女はくるりと背を向けて、遅れた尻尾がふわふわと浮かぶ。 「じゃあ行きますよ、トレーナーさん」 「…ああ、絶対に捕まえてみせる」 「…嬉しいなあ。とはいえ、私も逃げには自信があります」 じゃ、と短く言って。彼女はゆっくりと走り出す。突然のことでぼーっとしてしまっていると、はにかむような笑顔がこちらを向いた。 「はやく来てくださいよー」 「…おっと、ああ!」 自分も脚を動かす。驚くほどに身体は軽く、これなら本当に追いつけるかもしれない。 …そう思えたのは最初だけ。全くペースを崩さず軽い調子で走り続ける少女と、それにだいぶ距離を置かれながら食らいつくのが自分。 これではいつになっても追いつかなくて、悪夢は本当に終わらないのかもしれない。そう思った自分を見かねてか、あるいはただ暇を持て余してか。前を行く少女が話しかけてきた。
3 21/08/11(水)05:49:56 No.833599122
「トレーナーさんって、どんなウマ娘を担当したいとかありますか?」 トレーナー。自分はつい先日新しくトレーナーになったばかりで、誰とも契約を結んだことはない。けれどずっと話していると、彼女との会話はしっくり来る。…若い勘など当てにならないが。 「…うーん、そうだな。きっと色んな子がいるからなあ。誰でもいい、って言ったら失礼だけど」 「サボり魔で才能もない、口ばっかり達者な子とかでもいいですかー?」 おちゃらけた口調が前から聞こえる。確かにそれは難儀そうだが。 「そんな子がいるなら、むしろほっとけないかもな」 「…へーえ、その心は」 「きっとその子も勝ちたいからだよ。素直じゃないから担当しない、なんてのはトレーナーとしてはだめだ…なんてのは新人だから言えることなんだろうが」 「勝ちたい、勝ちたい…一番でいたい。逃したくない」 代わる代わるの言葉を述べて、前の動きが止まる。…今のうちか?…いや。 「…ボーナスタイムのつもりだったんですけどねえ。トレーナーさんは女の子には触れないタイプですかー?」 「考えごとをしてる時に捕まえるのはフェアじゃないよ」
4 21/08/11(水)05:50:08 No.833599137
「フェア。ふーん…じゃあ次の質問です」 また彼女は駆け出して、しばらくして言葉が飛んでくる。 「あなたの担当ウマ娘が、回りくどいことしかできない卑怯者だったらどうしますか?」 なるほど。 「例えば考えごとをしていたら容赦なくそれを捕まえて、得意げに突き出します。悪びれることなんて万に一つもなくて、いつも小細工ばかりを使おうとします。…どうです?」 「…うーん、案外相性は悪くないと思うけど」 「…その心は」 「俺がいっつもこうなのは不器用だからだしな。そりゃいつも小細工ばかりなら、その子も不器用かもしれないけど。お互いの苦手を補えるなら、不器用同士だって悪くない。むしろいいコンビになれるだろうさ」 「…さすが、なーんて」 少しだけ、二人の走る距離が縮まる。
5 21/08/11(水)05:50:21 No.833599148
「では次の質問。もし人生をやり直せるとしたら、またトレーナーになりますか?」 これは正直、自信がない。 「…なる…と言いたいところだが。実は俺、そんなに頭の出来がいいわけでもなくてさ。なんとか資格を取れたような程度だから、またなる!というかなれる!と言うには少し自信がないな」 「…なるほど。たまたま、というような」 「…まあ、な」 「…それなら、あなたのパートナーになるウマ娘は幸せですね」 「…どうしてだ?」 意図が分からず、聞き返す。 「だって、100回やって1回あるかの運命の出会い、みたいなもんじゃないですか」 100回中1回というほど試験合格できないわけではないと思う…多分。そんな俺の心中を見抜いたのか。 「…ああ、お相手のウマ娘が真面目にやる気を出したなら、と言うもう一つの前提がありますから」 先程から例に上がっているサボり魔のウマ娘は、暫定俺の初めての担当ウマ娘らしい。 「なるほど。滅多なことではどうにもならない同士が巡り会えたなら、それは確かに運命かもな」 「ですねえ」
6 21/08/11(水)05:50:35 No.833599158
そんな出会いができるなら、確かに素晴らしいと思った。 だんだんと、近づいていく。 「更なる質問です。好きな食べ物は」 「またまた質問。小さい頃の将来の夢」 「もっと質問。担当ウマ娘にされて嬉しいこと」 次々と大小の問題が投げかけられ、それに答えるたびに走る間隔が狭くなってゆく。気がつけばお互い僅かに息を切らしながら、手を伸ばせば届く距離。 「…それでは、最後の質問です」 「ああ、最後まで付き合うよ」 「やさしいですね、トレーナーさん…。では」 「あなたは、目を覚ましたいですか?」 「そう来たか」 「私と、お別れしたいですか?現実に戻り、素敵なウマ娘に出逢いに行きますか?」 これは、きっと。悪夢を名乗る彼女が決めた、悪夢の取り払い方、あるいは。 「もちろん望むのなら、ずーっと寝ててもいいんですよ」
7 21/08/11(水)05:50:55 No.833599173
文字通りの、悪魔の誘い。それはひどく魅力的に思えた。彼女とならば、ずっとずっと退屈しない気がした。 「二人きりのナイトメア。数億人の現実世界。私一人と、世界のすべて。どちらを選んでくれますか?」 二者択一。だが、でも。 答えはそれだけじゃない。 「俺は、」 選ぶのは。 「目覚めるよ。…現実の君に会うために」 か細くてもいい道。それしかあり得ないから。 「…何を言ってるんですか。私が現実にいて、あなたがそれに会って。それでもって意気投合。…どんな低確率だと」 「運命なら、それもあり得る。いや、」 「それしか、あり得ない」 彼女の語った運命の出会い。それが俺たちを結ぶのならば、何があっても会うことができる。 「…参ったなあ…」 「…嬉しくないならやめておく」 「さっすが、トレーナーさん。今のはずるいですね」
8 21/08/11(水)05:51:09 No.833599186
完全に彼女は足を止める。振り向いて、俺の目と鼻の先に立つ。 「ありがとうございます。また会いたいって、言ってくれて。これで心置きなく、私は役目を終えられます」 「…役目?」 「悪夢の中だから言っちゃえるんですけど。ほんとうは、お別れのために来たんです。遠く遠くから、あなたをちゃんと幸せにするために。二度と、私と会わなくて済むように」 「…それは」 「だからさっさと幻滅してもらって、私に追いつくのも諦めてから夢を出て欲しかったんですけど。…やってみたらめちゃくちゃで、失敗しちゃいました」 「…失敗なんてしてないよ。君のおかげで、これから俺は君に会える。君が何故会わないほうがいいなんて言ったのかは分からない。でも、そんなことないのはもう分かる。君と俺とは、きっと運命なんだ」 「…にゃはは。本当に、敵わないなあ」 彼女の瞳はいつのまにか、光り輝いて見えた。 上を見ればいつのまにか、青空が光っていた。 「…じゃあ。またね、ですかね」 「きっと、また」 「私ももう少し頑張ってみます。あなたのために」
9 21/08/11(水)05:51:22 No.833599199
そうすれば、きっと幸せが掴めるはず。 「俺も、まずは君に会わないとだな」 「…どちらにせよ、悪夢はこれっきり」 「今の君とは、もう会えない」 それだけは少し寂しい。 「もう、じゃないですよ」 そう言って、彼女はまた口元に両人差し指を添えて。 「まだだめなだけ、ですから」 刻が進めば、また会える。 朝が来る。夜を食んで、朝が来る。 おはよう。 長い夢を見ていた気がする。その感覚とは裏腹に思考は冴えていて、よく眠れたような気がする。少なくとも悪夢にうなされていたわけではないらしい。 「今日こそ、担当ウマ娘を見つけるか」 まだお眼鏡に適うウマ娘には出会えていない。お眼鏡というのは相手側からの話だ。新人の自分にはまだまだ選ばれる側が似合っていると実感する。
10 21/08/11(水)05:51:57 No.833599238
荷物を軽くまとめて、今日もトレセン学園へ向かう。空は雲が僅かに浮かんだ青空で、朝からいい気持ちだと思った。 時間が過ぎるのはあっという間で、すぐに昼の12時を回った。トレーナー室で作業に追われ、結局誰かに声を掛けたりはできなかった。仕方なくキーボードを打ち、未だ片付ききらない書類を一枚一枚処理していく。 「…ふぅ」 「…おつかれみたいですねえ」 …え?誰もいないと思って吐いたため息に、反応があった。驚いて前を向くと、そこにいたのは一人のウマ娘。眠そうに欠伸をしている。 そして。
11 21/08/11(水)05:52:21 No.833599255
「君は…」 なぜかはわからない。 「なあ、君」 一千年を超えて逢えたような錯覚があって。 「…なんですかー?」 夜から覚めても、心に残った影があって。 「…俺の担当ウマ娘になってくれないか。…せめて、名前だけでも」 誰かの想いを、確かに果たせた感触があって。 「私?奇特な人ですねえ、まあ契約は置いといて名前を、とりあえず」 「私の名前はセイウンスカイ。これからも末永く…なんちゃって。ま、よろしくです」 だから、この出会いは運命だ。
12 21/08/11(水)06:00:27 No.833599678
こういうのなんか昔あった気がする なんだったっけ……
13 21/08/11(水)06:03:50 No.833599839
すごい読ませるな…
14 21/08/11(水)06:12:51 No.833600283
元ネタは「まだだめよ」です