21/07/14(水)07:39:58 シャ... のスレッド詳細
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画像ファイル名:1626215998054.jpg 21/07/14(水)07:39:58 No.823312561
シャツから顔を離そうとすると、布地が顔にくっついた。鼻水と涙が乾いて糊みたいになってしまったらしい。少し力を入れて、べりべりと引き剥がす。泣いている間に私を包んでくれた心臓の鼓動が耳から消えていった。 「痛っ」 「ごめん」 「そうじゃないって、ちょっと鼻水が……うわっ」 彼のシャツを改めて見ると、左胸の部分が見事にカピカピになっている。所在なさげに目線を彷徨わせている彼がちょっと面白かった。 「肩……」 トレーナーさんが私の肩を指差した。雨でも降られたかのような濡れ方をしている制服は、徐々に乾いていっていた。 「大丈夫、大丈夫。クリーニング出すから平気。替えもあるしさ」 「そっか。……申し訳ない。今の行動はトレーナーとして失格だった」 小さな声に反して、彼の目線はしっかりとしていた。瞳は未だに揺れていたけれど、それでも前を向かんとする目だ。でも今の行動って何を指してるんだろう?
1 21/07/14(水)07:40:22 No.823312609
「え、どこが?」 「……ハグとか」 「ハグなら前にもしたよ?私からだったけど」 「……泣いちゃったこととか」 「私だって大泣きしたよ?」 うーん、と彼は唸って目線を逸らした。すでに時間は夕方を過ぎ、太陽は地平線の際にあった。そろそろ他の子たちが寮に帰ってくる時間だ。 「いいかい?私は脚を壊す方法を選んで勝ってしまったし、トレーナーさんは練習プランを間違えた。私はシャツを鼻水まみれにしたし、トレーナーさんは制服を涙まみれにした。つまり……おあいこってこと」 「でも……」 「私がいいって言うんだからそこで止めて。お願い」 ここまで言って彼はやっと頷いた。放っておくと全自動謝罪機になりそうだったから、釘を差してあげる。黙り込む彼は、それでも何か言いたそうにしていた。 「……わかった。でも責任は取るぞ、トレーナーだからな」 「責任……?!」 「何考えてんだ!フジのこれからだよ!」 「あ……うん……ふふっ、あはは!」 「ぐだぐだになっちゃったなあ……」
2 21/07/14(水)07:40:35 No.823312634
私も私で掛かり気味だったみたいだ。今日で初めて、二人で笑いあった。彼の涙と鼻水まみれの顔が、眩しかった。
3 21/07/14(水)07:40:48 No.823312652
--- 「まず、レースの復帰を早めることは絶対にしない。これは大前提だ」 笑いをどうにか収めてから、私達は気を取り直して作戦会議を行う。当面の間はターフを駆けることを許されない、私のための計画だ。 「うん。分かってる」 「基本的にはリハビリメニューをひたすらこなす。それでも時間は空くようになるはずだ。無理はさせられないからね」 「……うん」 「だから、その時間で、」 ここで一旦、トレーナーさんは言葉を切った。目を閉じて、少しだけ逡巡し、目を開く。その瞳には、――少し変わったような気がするけれども――以前の輝きが戻っていた。私と契約を交わしたとき、朝日杯を征したとき、3冠を目指すことを信じていたときの炎が、再び灯っていた。 「自由に道を探すんだ」 「自由……?」 「君がレースでも、レースじゃなくても、どんな道でも構わない。君が行きたいと思った道があれば、俺は全力で支える……!それが責任だ」
4 21/07/14(水)07:41:04 No.823312687
レース以外でなんて、トレーナーとしては失格かもしれないけど、とトレーナーさんは小さく付け加えた。……私にはまだ分からない。演劇の世界を離れ、自分の意志で選んだレースが遠くなってしまった今では。自分が別の夢を見つけられるか、それともレースに今まで通りの情熱を持って戻るのか。そもそもエンターテイナーであることが自分の夢のままであり続けるのかも、もはや分からない。それでも彼は私を、信じていた。……その重みは、どこか心地よいものだった。 「本当に、支えてくれるのかい」 「一人で歩けるようになるまで、ね」 「そっか」 「ああそうだ……フジに渡さなきゃならないものが」 そう言って、トレーナーさんは私に診断書のコピー、痛み止め、その他薬を渡した。私が受け取って全て鞄に収めたのを確認すると、最後に掌を見せた。その上には500円玉が乗っている。 「500円?一体……」 「さーてさてさて、何が出るかな……」
5 21/07/14(水)07:41:32 No.823312752
トレーナーさんは手を閉じて、バーテンダーのように手を振った。……密かに動くもう片方の手は見なかったことにしておこう。マジシャンにタネを突きつけるのはご法度だ。しばらくして、彼が私の前で手を開いた。ブローチが私を出迎えた。 「どうぞ、我が一番星……いや北極星よ。いかなる空にあっても、君の輝きは損なわれない!」 朗々と……いや少し自信なさげに宣言し、彼は私を見た。演技慣れしてないなあ。でも。 「驚いた……サプライズをされる側の気分って、こんなだったんだ」 トレーナーさんの瞳の火が、私の心に燃え移る。燃え尽きかけた心が、再び動き始める。ブローチが載った彼の手を、私の手は包み込む。ひんやりとした感触と、脈が伝わった。 「ありがとう……大丈夫。私はもうきっと、大丈夫だから」 枯れたはずの涙が、私の頬を濡らした。 「私、頑張るよ」
6 <a href="mailto:s">21/07/14(水)07:42:59</a> [s] No.823312907
めちゃくちゃ遅れたし分量もそこまででもないですし申し訳無いが続けますよ私は これまでの→sq140268.txt Q.全自動謝罪機ってなんですか? A.最後の晩餐のライナーです
7 21/07/14(水)07:55:39 No.823314465
待ってた
8 <a href="mailto:s">21/07/14(水)07:58:09</a> [s] No.823314764
ネタバレ:彼女のレースはいずれアニメ準拠の夢の11Rに通じます
9 21/07/14(水)08:02:44 No.823315379
いい…
10 21/07/14(水)08:04:31 No.823315615
寮長いい…