ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
21/06/30(水)01:09:12 No.818485450
「うーん、トレーナーさんの車に乗るの久々だなあ」 「久々ってほどでもなくないか。ちょうど先週の釣り振りじゃん」 「あれ、そうでしたっけ。なんか随分乗ってない気がしてた」 「まあ移動って言ったら電車だからなあ。車って案外機会がないよな」 ひとしきりの情報を手に入れた俺たちは、目的地までの移動手段を模索していた。選択肢は二つ。特に疲れず目的地まで直行できる電車と、だらだら休憩しながら目的地を目指せる車。俺的には電車の方が楽なのだが、今日のホストはスカイなわけで。 「あー、マジで車かあ~……!」 「んふふふ、やだった?」 「やー……別に! 近場の山やら海行くんじゃないからちょっと緊張してるだけ! っていうか、本当にマジでリアルに車でいいのか?」 「おおう、畳み掛け。いいのいいの、それに定期的に運転しないとトレーナーさん、いつまでたってもペーパーくんから進歩できませんよ」 「……本当に?」 「もー、疑り深いなあ。本当だってば。それにわ、あ……セイちゃんと、車で遠出するのも乙でしょ?」
1 21/06/30(水)01:10:39 No.818485798
曲がりなりにも東京住まいの俺にとって車を運転する機会なんて、それこそ釣りのアシに駆り出される以外では無いに等しい。誰かを横に座らせて長距離掛けるのは、運転にさほど自信がない俺にとっては結構なプレッシャーなのだ。解錠ボタンを押してドアを開ける。乗りな、と声をかけるより早くスカイが車に飛び込んだ。どうやらうちのお嬢様はえらくご機嫌なようだ。仕方無い、そろそろ覚悟を決めるか。事故らないぞ、と一念込めて俺も車に乗り込む。 座ってシフトレバーに触りペダルに足を掛けて、さあいくぞと意気込んで。精神統一よろしく、ふう、と息を吐いて、すぐ。 「にしてもさ~……」 スカイが目を細めて、なんとも言えない表情で、言った。 「相変わらずへんなにおい、しますよねえ」 そして、ワインの香りでも確かめるような顔付きで、くんくんと鼻をならした。スカイの仕草を見た瞬間、俺の頬が加速度的に熱くなっていく。あまりに唐突で破壊力高過ぎて結局のところ耐えきれず、エンジンを掛けようとした右手で顔を覆った。 「やめろぉ……」 「どうして?」 「や、恥ずい……」
2 21/06/30(水)01:11:44 No.818486042
乙女じゃない俺にだって、恥じらいという感情はある。俺は喫煙家ではないし、車の芳香剤なんかも付けてはいないから、つまるところ彼女が嗅いでいるものは大体俺の匂いという訳で、これ見よがしに嗅がれるとまあ、その何だ。非常に落ち着かない。 「んー? 良く聞こえないですね~。ふんふん、なんかこう……うーん、じいちゃん家?みたいな……なんだろ、不思議ですなあ」 「テイスティングした結果みたいなこと言わんといて……」 「えー? 別にいやだとは言ってないのになあ~」 「だとしてもなんか嫌だろ、スカイだって自分の部屋の匂いやたらめったらに嗅がれたらどうさね」 「うーん……あ、確かにちょっとアレかもね」 「だろ? なんで、やめてください」 真摯に謝罪すればスカイはきっとわかってくれる。いや、もっと大手で白旗を振っておこう。降参、降参だ。拝み手組んで頭を下げて、軽い上目遣いでもってスカイを見た。 「あらら、そんなにやなの?」 「そりゃもう……」 「ふ~ん……ならこの当たりにしといてあげましょ」 よし、これで大丈夫。そう思ったのだが、安堵するも束の間、スカイはにやりと笑って。
3 21/06/30(水)01:12:22 No.818486163
「……うーん、ふんふん。うふふ、へんなにおいだなあ……」 「ああもーっ! だからやめろって、頼むからやめてくれって言ってるだろ!」 「にゃはははは……あーおかし……」 放っておくと延々とこのやり取りが繰り返されそうな気がする。辱しめを受ける前に、さっさと話題を断ち切らねば。 「ほら、シートベルト締めて! いくぞ!」 「はいはい、セイちゃん了解。安全運転でお願いしま~す」 スカイの追及から逃げるようにイグニッションのボタンを押せば、コンパネに生気が宿りタコメーターが回って、車は簡単にアイドリング状態になる。 「じゃ、出発しますよ。では、今日は一日よろしくお願い致します」 「はい。こちらこそよろしくお願いします、トレーナーさん」 日常的に繰り返してきた作法は、やはりどんなときでも身体に染み付いて離れないものだ。座席に身体を預けている関係上、いつものようにちゃんと向き合えはしない。それでも顔だけは向き合って、定型の挨拶と一緒に会釈し合う。
4 21/06/30(水)01:13:28 No.818486397
そこで切り替わる。十把一絡げの、他人と他人の関係性から俺たちは抜け出し、絆で結ばれるただ二人だけの存在、トレーナーである俺と担当ウマ娘であるセイウンスカイだけになれる。この独特の感覚を他者に説明するのは難しい。ただ一つ言えることがあるとすれば、この関係性にどことない気分のよさを感じているということで、それはきっと、俺の独占欲が為せるものなのかも知れなかった。 「ええと、ゆっくり行きたいんだっけ?」 「うん、そうですねえ」 「じゃあ高速使わないで行くか。あんまりにも混雑してたら考えるけど」 「はーい。あ、セイちゃんのナビ、いる?」 「そうだなあ、片手間だとしてもあるなら嬉しいかも」 「にゃは、素直でよろし~い。それじゃあ、カーナビくんと合わせて私、そこそこ頑張っちゃいますかね!」 「助かるよ。あ、そういえばさ」 「ん?」 「なんで水族館なの?」 丁度いいタイミングだったので、かねてよりの疑問を、カーナビをポチポチと弄っているスカイに問い掛けた。
5 21/06/30(水)01:13:55 No.818486467
「ええ? なんでってそれは……」 「いやさ、どうにも不思議なもんで」 これが釣りの誘いならわかるのだ。竿やクーラーボックスあと、アウトドア用具などは持って歩くにはだいぶかさ張る。力に溢れるウマ娘であっても、荷物を大量に持つのは面倒だろう。現に前述したような理由でスカイから釣りの同伴を何度も頼まれている。 「魚は釣る専門じゃなかったっけと思ってさ」 水族館なら別にポーチかリュックさえあれば事が済むわけだし、何も俺を誘わなくても友達と一緒に行った方が楽しめるんじゃないか。割と当然の帰結だと思うのだが、当のスカイは。 「はあ~……」 心底呆れたと言わんばかりに、ひどく大きな溜め息を吐いて。 しかも。 「今から帰っちゃおっかな」 なんでかご機嫌を斜向かいに飛ばしてしまっていた。 「はあっ?! なんで?!」 「いやあ私が言うことじゃないかも知れないけど、トレーナーさんはもう少し察するってこと覚えた方が……あ、次右折ですって」 カーナビのアナウンスより早いスカイのアシストを聞きながら俺は首を右に傾げた。
6 21/06/30(水)01:14:25 No.818486568
「えぇ、察しろって何……? 俺なんか変なこと言ったかな……」 「べっつに~? ほらほら首だけじゃなくてウインカーも」 どうにも腑に落ちないが、不満げだった表情はほんの少し和らいでいたから、深くは考えないことにする。スカイの顔が百面相なのは今に始まったことじゃない。俺の理解が足りないのも、右に同じではあるのだが。 そういえばキングとスぺちゃんがね、へえスカイはどうしたの。合間合間に雑談を交わしながら、小一時間ほど走らせた辺りだろうか。スカイの口数が目に見えて少なくなった。信号に引っ掛かったついでにスカイの方をちらりと見れば。こくん、こくん。彼女は見事に船を漕いでいて、寝ぼけ眼を擦りながらカーナビとにらめっこしていた。 「眠い?」 「ん~……んーん! だいじょうぶ、セイちゃんは別に……」 「無理しないで寝て良いよ、スカイ」 「んー……ん。おことばに、あまえます」 「はいよ。着くあたりで起こすから、おやすみ」 「うん、ありがと」
7 21/06/30(水)01:15:04 No.818486721
言うが早いか、スカイは座席にしっかりと体を預け目を瞑った。するとすぐに息遣いが落ち着いたものに変わった。彼女が寝付いたのを確認して、俺はカーステレオの音量を下げる。信号はまだ変わらない。いやはや、本当に幸せそうな寝顔だ。どこでも寝れると常日頃から豪語しているスカイだが、どうしてだろう。いつもより気持ちよさそうに見えるのは。律動的な車体の揺れに、安息感でもあるのだろうか。むにゃむにゃと唇を波打たせ、シートに両手揃えて寝ている姿は、それこそ夢見る少女そのものだった。 「相変わらずかわいいやつだな、ホント」 そう呟くと同時に、前の車が動き出す。横目で確認した信号機のカラーは青に変わっていて、流石に運転に集中しなければいけなくなる。
8 21/06/30(水)01:15:30 No.818486808
スカイがいま幸せそうに寝ているのなら、多分いま俺がしていることは間違ってはいないのだ。枕詞に俺にとっては、という助詞は付くが彼女の仕草や気持ちは、顔に書いてあると言い換えても良いぐらい分かりやすい。ひとの顔は千変万化だ。笑ったり、怒ったり、その状況によって喜怒哀楽がまるで万華鏡のように移り変わる。 だから俺は、今が割と嬉しい。 「さてと……」 俺は前へと向き直り、アクセルをゆるく踏み込む。 現地到着にはまだまだ、時間がかかりそうだ。
9 21/06/30(水)01:17:00 No.818487105
fu123134.txt 前の幻覚 次は多分水族館デート本番
10 21/06/30(水)01:17:23 No.818487171
いい…
11 21/06/30(水)01:35:26 No.818490584
好きな雰囲気だ
12 21/06/30(水)01:46:30 No.818492820
続きありが鯛
13 21/06/30(水)02:13:34 [s] No.818497341
読んでくれて本当に多謝 励みになるよ
14 21/06/30(水)02:26:39 No.818499385
助手席ってなんであんなに眠くなるんだろうね
15 21/06/30(水)02:28:12 No.818499614
>助手席ってなんであんなに眠くなるんだろうね 眠くなれるのは運転してる人に対する信頼と安心感があるからだと思うよ