21/06/07(月)00:25:46 出だ... のスレッド詳細
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画像ファイル名:1622993146278.png 21/06/07(月)00:25:46 No.810616572
出だしはまずまず、悪くない。各バ一斉にスタートし、私はいつものように先頭集団の位置に付けた。今日はハナを切ることはしない。スタミナは出来る限り溜めておきたい。先頭を切るウマ娘をペースメーカーにして、後方の出方を窺っていく。まだ全力は惜しむべきだ。勝利は上がり三ハロンの更に先にあるんだから。 直線を踏破し、コーナーを刻めば、ハロン棒に描かれた数字が徐々に減っていく。二十二、二十、十八を数えて、それでも未だゴールは遥か先だから、芝を踏み締めることを繰り返し、更に前へとにかく前へと駆けていく。周りのウマ娘たちもオートクチュールの靴でもって地面を力強く踏み締めている。蹄鉄が鳴らす音はかちかちなんて弱々しいものじゃない。地面を叩き割るような勢いで、十五対三十脚の爆風たちが雄叫びをあげている。芝を割るように土煙が舞うのは、私こそが一位に相応しい、栄冠を手にする資格があるのは私だって吼えるためだ。きっと誰もが確信している、ウイニングライブのセンターに立っている自分の姿を。そうじゃなきゃこの舞台になんか立てやしない。ターフに立った時点で、信じられるのは自分の心と脚のみだ。
1 21/06/07(月)00:27:12 No.810617096
私だってそうだ、みんなと同じようにこの三年を戦ってきて、結果として有マの舞台に立てている。事実は空に浮かぶ太陽みたいなもので、絶対あるのにないと嘯いても無駄なことなんだ。 私にだってプライドがある。彼と一緒に培ってきた日々がある。一着の夢は、そう易々と譲れるものじゃない。頑張ってくれたトレーナーに、ずしりと重たいトロフィーを持たせてあげたい。でも今はそれ以上に、私は、私であるために、勝ちたい。これまでの思い出は一時の夢なんかじゃないって証明したい。私が彼と歩んできた軌跡を、もっと確かなものにしたい。ただ、勝ちたい。 真っ当なきずなを育んできたのなら、どのパートナーもそう思っているはずだ。いや、思っていなければ嘘だ。自分のためだけに走るなんて孤独すぎて苦しいばかりだ。 走り続けてもう結構経ったように感じる。恐らくそろそろ誰かがペースを見失い、規則的な息継ぎが喘鳴に変わる頃合いだ。中盤で乱れれば勝てない。とまでは言わないが、大変な不利を被ることに違いはない。私はそうはならない。そのための頭は持っているし、ここでスタミナが尽きてしまえば、後を駆け引くことがかなわなくなる。
2 21/06/07(月)00:27:46 No.810617292
バ場の状態は悪くないが内ラチに近い場所はやや荒れていて、このまま走ると足をとられそうだ。最短距離である内側はシャットアウトすべきだが、走りづらい場所を私で埋めてバ群に埋もれたらやってられない。レーン内側は見ないフリしつつ、更にタイムを刻んでいく。普段のペースなら大体今が千六百メートル通過付近のはず。もう一度内ラチに視線をやる。通り過ぎたハロン棒の数字は、十。見えた瞬間、息をするのもしんどいのに笑ってしまった。あと千メートルもあるのか、いつもよりだいぶ遅いな。ああきっと、終わらせたくない想いが、私のペースを落とさせているんだ。しっかりしなきゃ、セイウンスカイ。自分に喝をいれて更なる先を臨んだ。 まだ中盤なんだ、ここからの組み立て次第で未来が決まる。得意の逃げでもって並み居る強豪たちをどう打倒するか。末脚、差し脚、豪脚。そのすべてを封殺するにはどうすべきか。今日の私の思考は単純明快シンプルだ。力で強引にねじ伏せるでもなく、技で他者の意気を削ぐでもない。ただひたすらに想いを乗せる。この脚に、未来に、私のために勝ちを目指してひた走る。余計な飾りは要らないんだ、だってそうでしょ?
3 21/06/07(月)00:28:21 No.810617475
この舞台は、私が贈れる最後のG1の勝利だから。 そうなるはずだから、そうしたいから、まだ私は走ってるんだ。 八、先頭だった子が失速する。六、私がハナに立つ。横にいるみんなを置き去るために加速して、そこで四を数えればすぐに始まる終盤戦。瞬く間に辿り着くのはラストの直線。距離にして三百十メートル。到達するナンバー2のハロン棒。あと二百メートル、あと一息。私の先には誰も居ない、私が先頭、ハナを切っているのは私だから、あと少し脚を回せば、そうすれば、私の勝ち―― 「私を、忘れてはいませんか……!」 息を呑んだ。戦いはまだ終わっちゃいない。ほぼ隣に現れるグラス、すぐ後方にスペちゃん……いや彼女だけじゃない。ラストスパートで駆け上がって来た、後方一バ身差の数々の強敵。斜め後ろのすぐ近くから聞こえてくる荒い息に、どくんどくん、バ道を歩いていた時にも高鳴っていた私の鼓動が、更に更に、恐ろしいまでに早くなる。 「負けっ……ないいいいっ!」 追いつかれたら負ける、そんなこと分かっている。くそ、ここで追い縋るのか、なんて相手だ、なんて奴らだ、だけど、だけど……!
4 21/06/07(月)00:28:44 No.810617603
「こっち、だって……負けられないんだあああっ!」 残しておいたスタミナを振り絞って加速する。友達の脈動を感じる、速い、速い、まるで空に浮かび上がるよう。芝を蹴る脚が遠くなる、ただただ空気を裂いて、前の芝へと進む。負けない、抜かれてたまるか。勝って、負けて、今はそんなことどうでもいい。些細なことでしかないんだ、一時の勝負の行方なんて、全力を振り絞るための理由にはならないんだ、私は、私は勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい――! 「……イ、スカイっ! いけえええええっ!」 ざわつく歓声の中にあっても聞こえる、馴染み深く一際大きい声によって私の耳がびくんと震えた。ゴールの近くになんて居ないはずなのにさ。遠くから伝わる大好きな彼の声援が、私の身体に滲み通っていく。 「にゃはは……」 あはは、さっきと言ってること一緒じゃん。私より緊張しちゃってさ、思えばメイクデビューのときからそうだったなあ。だけど、そんな不器用さが私にとって一番の励みになるのも確かで。ああ、ここ一番ってときに頑張らなくちゃと前を向ける。
5 21/06/07(月)00:30:33 No.810618260
そんなこと言われたらさ、頑張るしかないじゃん。 大好きなあなたのために捧げるよ。 私の全力を、輝く有マのトロフィーを。 風に逆らう、過去に抗う、今だけは血筋も才能も関係ない。 今だけは、今だけは、誰のためでもなく。 自分勝手かも知れないけれも、ただひたすら自分のために。 「私の空にっ!」 進むんだ、前に。 勝つ、勝つよ、私、絶対負けたくない。 負けられない、負ける訳には、いかない。 負けない、負けて、たまるか! 「勝ちしか、いらないんだああああああッ!」 絶対勝ちたいんだ、誰よりも。 気勢を吐くだけ吐ききって、底をついたスタミナを酷使して、無我夢中で電光掲示板の前を駆け抜ける。見えないゴールテープを引きちぎって、ゴールしたのにも気付かないで、流すことも出来ず意味も無いのに数十メートルの距離を全力で走った。ハナ差、写真判定、どっちが勝った? ざわめくレース場の様子が、分からないようで分かる……気がする。私は歓声に耳をそばだてた。
6 21/06/07(月)00:31:10 No.810618474
「――だ――一着は、セイウンスカイだ!」 誰かが、そう叫んだ。 電光掲示板を見る。写真判定の結果は、私のハナ差勝ちと出ていた。実感はないけれど、そこでようやく気付くことが出来て、ようやく私は止まることが出来て、気持ちを落ち着かせるために深呼吸することも出来た。 勝った。勝ったんだ、私。 ああ、勝っちゃった。ついに勝ってしまった。 とてつもない達成感の裏側に、もうすぐ終わってしまうって気持ちが貼り付いている。それでも身体はいつもの流れを追っていく。周りから掛けられる労いの言葉を、適当な文句で返しながら、私は勝者のためのお立ち台へと近づいていく。 「や……あはは、ありがとう……勝ったぞーっ、なんてね~」 ウィナーズサークルに立ち、記者からの質問とかを適当に受け答え、観客へのパフォーマンスもそこそこに、私は帰り道、控え室に繋がるバ道へと歩みを進める。太陽が入り込めない暗がりに足を踏み入れて前を向く。そこには、本当にいつものように、涙で顔をくしゃくしゃにしたトレーナーが立っていた。
7 21/06/07(月)00:31:46 No.810618710
「スカイ……スカイっ!」 「わっ! あつくるしいなあ、トレーナー」 「やっぱり、スカイはすごいよ。俺の、誇り、だよ」 感極まっちゃったのか、トレーナーは涙交じりにそう言って、私を抱き締め続けている。良いことをした子を褒めるみたいに、私の身体を包み込むように、抱き締めてくれている。嬉しい、嬉しい、嬉しい。嬉しいのに、なんでこんなに目があついんだろう。 「あ、ありが、ありが、とお……」 泣かないで、お願い。堪えてよ、私。今はまだ、感傷に浸るようなタイミングじゃないでしょ。ほの暗い気持ちに背中を向けて、一時の逃げをひたすらに徹する。過ぎ去ったあの夏はもう還らない。暮れなずむ晩秋を通り過ぎた時点で、私は覚悟するべきだった。今更悲しんだところで、関係を惜しんだところで時間切れ。考える暇すら与えてくれない冷酷な冬は今まさにやってきていて、芽吹こうとする感傷を、息吹こうとする好きの気持ちを根こそぎ冬枯れさせていく。だから、これからの私に出来ることはただひとつだけ。この先に待つ別れの春を全力で彩るべきなんだ。
8 21/06/07(月)00:32:08 No.810618852
「スカイ、どうし……」 強迫観念に囚われた、意固地なままの私が、私にろくでもない虚勢を張らせる。 「ううん! なんでも、ないよ~」 必死に取り繕って、苦笑いひとつ溢してから彼の背中をぽん、と叩いた。 あなたの枷にはなりたくないよ、私。 だから、勝っても負けても、私の意志は変わらない。 もう、決めたんだから、変えられない。 「ありがとう、トレー、ナー」 彼の胸に顔を埋めたまま、横目で青く光る雲の切れ間を目だけで追う。胸が痛い、ずきずきする、レース前とは違う痛みだ。ああ、そうだよね。私、有マが嫌いなんじゃない。嫌なのは、別。この日常がもうすぐ終わってしまうことが、何よりも嫌なんだ。 漏れ出そうになる涙と嗚咽を必死に堪えた。ここに居る理由がもっと欲しい。欲しいんだ、URAを越えても一緒に居て良い理由が。でもそれが、今はまだ私のなかにはなくて、やっぱり離れなきゃいけないんだなって思って、やだ、喋れない、何か言わなきゃ涙を隠せない。
9 21/06/07(月)00:32:53 No.810619126
「ありがとう、次も……つぎ、も、がんばろ」 逃げるように空を見つめながら、無理矢理に声を発した。 あはは、どうしてだろう、笑えないよ。 勝ったからこそ続いてしまう、あと三ヶ月ぐらいのモラトリアム。あまりにも辛くて寂しくて、なのにどこか嬉しくて、子供みたいに泣きそうで、泣いてしまいたくて、つらい。 バ道の陰から眺める、青く澄んだ私の空はいま、遠く遠くに霞んで見える。太陽だけが明るいこの空の下で、半年後に訪れるだろう未来を想った。 制限時間の近づいた未来は、びっくりするほどの明るさを保ったまま私のことを追い掛けてくる。逃げられない、手を伸ばせない、私と彼の最後の冬が駆け足で終わらせられていく。私たちの関係を清算するための、藍色した春のにおいが、迫ってくる。
10 <a href="mailto:s">21/06/07(月)00:35:15</a> [s] No.810619960
fu64851.txt 以前に投げた幻覚の後編 契約終了後、桜舞う頃に続く予定
11 21/06/07(月)00:38:28 No.810621080
桜が散ってしまう…
12 21/06/07(月)00:38:59 No.810621228
熱い幻覚素晴らしい
13 21/06/07(月)00:45:20 No.810623293
最後は晴天で終わるんだろ!?
14 21/06/07(月)00:45:51 No.810623432
レース描写上手いなあ…文章にちゃんとテンポがあるからレースのスピード感も出てる
15 21/06/07(月)00:56:09 No.810626672
勝ったからこそ失うのが怖くなるのいいよね
16 <a href="mailto:s">21/06/07(月)01:05:14</a> [s] No.810629494
幸せにはなってもらうよ と言うか救いのない幻覚とか見たら数週間は寝込む気がするしスカイには笑ってて欲しいからね…
17 21/06/07(月)01:08:27 No.810630403
ありがとう…
18 21/06/07(月)01:23:09 No.810634458
充分結果出てるし契約切るとも思えないが…怪我は厳しいか
19 画像ファイル名:1622996891941.png 21/06/07(月)01:28:11 No.810635714
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
20 <a href="mailto:s">21/06/07(月)01:30:07</a> [s] No.810636177
幻覚見といてなんだけど…ありがてえのに辛え…
21 21/06/07(月)01:30:10 No.810636188
いい…