ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
21/04/18(日)15:57:56 No.794025331
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
1 21/04/18(日)15:58:59 No.794025611
ま派はばかだな…
2 21/04/18(日)15:59:50 No.794025852
うままになっちゃうのか…
3 21/04/18(日)16:00:30 No.794026059
う味味!
4 21/04/18(日)16:00:42 No.794026118
あじした
5 21/04/18(日)16:29:16 No.794034023
WAY-SHITA BR,
6 21/04/18(日)16:53:55 No.794040860
>味舌(ました)は、現在の大阪府摂津市の地名。 >味舌藩(ましたはん)は、摂津国島下郡味舌(現在の大阪府摂津市三島)に藩庁(味舌陣屋)を置いた、江戸時代初期の藩である。所領の多くはむしろ大和国にあった。 >織田信長の弟長益(有楽)は、信長の次男信雄が改易された後、大坂城で豊臣秀吉の御伽衆として仕え、摂津国島下郡味舌に2千石を知行していたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、大和国山辺郡・式上郡・宇陀郡に新たに恩賞として2万7千石を加増された。これにより都合3万石を領し、大名に列することになった。有楽は藩領3万石のうち、大和国の知行地それぞれ1万石を子供の長政と尚長に分与(のちの芝村藩、柳本藩)し、自らは隠居料として摂津国島下郡の1万石を残した。長益はおそらく味舌1万石を次男頼長に継がせるつもりであったろうが、元和6年(1620年)に先立たれると自分も翌年に死去し、よって後継のいない味舌藩は除封となり、幕府に召し上げられ旗本の知行地となった。このために味舌の名は維新まで残った。 ぐぐったら意外にも長い歴史があってうろたえた