ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
20/10/02(金)22:57:12 No.733228731
読書の秋
1 20/10/02(金)23:00:15 No.733229850
画期的過ぎるだろ!
2 20/10/02(金)23:00:30 No.733229942
なぜのか
3 20/10/02(金)23:01:23 No.733230262
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさのあきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家、柔道家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。「鬼の与謝野」の異名を持つ。 雑誌『明星』に15年間短歌を発表し、「与謝野の前にロマンなく、ロマンの後に与謝野なし」[注釈 3]と讃えられ、ロマン主義文学の中心的人物となった。
4 20/10/02(金)23:04:15 No.733231444
>柔道家としての晶子を論じたものは少ない 他にあるのかよ!
5 20/10/02(金)23:10:40 No.733234048
山力 道
6 20/10/02(金)23:11:26 No.733234364
与謝野晶子が堺の明星道場で研鑽を積み、そこで開発された技を与謝野鉄幹がまとめたものが『みだれ髪』である。 『みだれ髪』の技の殆どは、鉄幹への強い尊敬の感情が見られる。「明星」の師範だった鉄幹は晶子の才能を認め、さらなる鍛錬を勧めていた。 晶子も鉄幹の柔道に強く引かれる物を感じていた。立技の得意技は強烈な大外刈で[注釈 14]、寝技ではあらゆる体勢から取ることができる腕緘であった。 全日本選手権の前身ともいえる日本選士権を3連覇し、さらに天覧武道大会でも5試合をすべて一本勝ち[2]という圧倒的な強さで優勝した(決勝戦の相手は平塚らいてう)。 その後、全日本選手権では13年連続保持という驚異的な記録を残し、「鬼の与謝野」と畏怖されるようになると、 「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(血の滾るがままに柔の道に邁進したら敵がいなくなった。しかし敵無しで寂しいと慢心せず柔の道を歩む) という歌を詠んでいる。 「与謝野の前に与謝野なく、与謝野の後に与謝野なし」[注釈 15]と讃えられた柔道家誕生の瞬間であった。
7 20/10/02(金)23:13:48 No.733235325
>「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(血の滾るがままに柔の道に邁進したら敵がいなくなった。しかし敵無しで寂しいと慢心せず柔の道を歩む) しらそん
8 20/10/02(金)23:16:51 No.733236646
また知らない本が出てる・・・