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キタ━━━━━... のスレッド詳細

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20/08/07(金)01:37:35 No.715467944

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

1 20/08/07(金)01:38:59 No.715468257

おちちみえとる!!

2 20/08/07(金)01:40:49 No.715468658

朝鮮人は道徳的優位にあるから仕方ない

3 20/08/07(金)01:48:27 No.715470364

戦後復興、レスラーは実に太陽であった。真正の英雄であった。今、レスラーは月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに『青闘』は初声を上げた。現代の日本のレスラーの頭脳と手によって始めて出来た『青闘』は初声を上げた。レスラーのなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。 平塚サンダーバード(談)

4 20/08/07(金)01:54:04 No.715471540

「」は与謝野明子をなんだと思ってるのさ…

5 20/08/07(金)01:55:23 No.715471828

ジークンドーの達人

6 20/08/07(金)01:56:55 No.715472126

それっぽい文章止めろや!

7 20/08/07(金)02:01:13 No.715472873

本来の実力であれば力道山に負けるわけない、と意気込み取材にあたる著者であったが 『新訳源氏物語』を刊行するにあたり、『湖月抄』の誤りを訂正することや、関東大震災による資料の焼失等で疲弊していた晶子の精神では、 その実力を発揮することもかなわず、結果敗戦してしまうのは悲運でしかなかった。 この敗戦について師匠である森鴎外は 「ブック破りがあったというのは後付けの言い訳。常在戦場を是として生きた歌人が油断したのであれば、結果は実力によるものと認めるしかない」 と突き放した。

8 20/08/07(金)02:08:25 No.715473932

Why did Akiko Yosano not kill Rikidozan?

9 20/08/07(金)02:10:45 No.715474248

リキ死にたまふことなかれ

10 20/08/07(金)02:20:32 No.715475623

晶子もし戦わば

11 20/08/07(金)02:22:30 No.715475896

ブック破りってそういう…

12 20/08/07(金)02:24:12 No.715476124

10月8日のメインイベントの時に事件が起きる。それは3対3のタッグ戦の入場の順番で与謝野が力道山に突っかかっていった。それは力道山の前を歩いて入場すること、力道山の前にコールされることに我慢ができなかったのである。 その試合では与謝野のタッチ拒否から始まり、試合中に同じチームである与謝野力道山で叩きあったりする場面もあった。試合後にもリング上でお互い激しく争い続けた。 その背景にはロシア特攻帰りでエネルギーが余っていたこと、どこか表に出ていきたかったことがあった。 純文学において華々しい力道山と比べての自分の境遇に不満があったのである。 その後、与謝野は「俺はお前のかませ犬じゃない」と発言、力道山及び体制に対して牙を向いたのである。 後日談ではあるが、実はこれは与謝野が「力道山に嫉妬を含めていろんな感情があって起こした行動だ」と告白したことでメディアから強く発信された経緯がある。特に古舘アナによるリードの功績が大きい。 力道山との激しい抗争に入った与謝野は反体制組織として近代文学派を結成。 明星紙面に限らず手紙での詩のやり取りでも対立を続けた。

13 20/08/07(金)02:25:12 No.715476263

なぜ じゃねえよ

14 20/08/07(金)02:26:57 No.715476485

また古舘が暗躍してるのか

15 20/08/07(金)02:29:37 No.715476790

力道山って純文学の人だったんだ…

16 20/08/07(金)02:31:02 No.715476963

きみ死にたまへ

17 20/08/07(金)02:34:29 No.715477388

実際こんなタイトルの本を書店で見かけたら手に取るよな…

18 20/08/07(金)02:35:00 No.715477442

~リキ死にたまふことなかれ~ なぜ与謝野がこの歌を詠んだのか。それは当時の時代背景を鑑みる必要がある。 当時勃興したプロレス文化に対し、与謝野が否定的だったという意見は間違いである。 だが、与謝野は力道山の力士としての才能を惜しんだのだ。 「あゝをとうとよ 君を泣く」の一節は可愛がっていた力道山が髷を切り、 力士としての死によって、プロレスラーになることへの哀切の念から詠まれたものである。

19 20/08/07(金)02:37:47 No.715477777

与謝野は一体何なんだよ…

20 20/08/07(金)02:40:04 No.715478015

知らない怪文書だ…

21 20/08/07(金)02:42:41 No.715478304

反相撲主義を危険思想だと見ていた日本プロレスの取り締まり強化に対し、アマレスを国庫に補助させようとする平塚らいてうの唱えるレスリング中心主義は、形を変えた新たなプロレスにすぎないと論評し、平塚らいてう、山田わからを相手にプロレス論争を挑んで「プロレスは相撲にもアマレスにも寄りかかるべきではない」と主張した。 ここでリングに登場したプロレス解放思想家・山川菊栄は、アマレス(平塚)か柔道(与謝野)かの対立に、プロレスの歴史的文脈を明らかにし、差別のないリングでしかプロレスの解放はありえないとサンボ社会主義の立場で整理した。 文部省の意向とは全く違う次元で論争は終始した。

22 20/08/07(金)02:42:43 No.715478310

与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさのあきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家、柔道家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。「鬼の与謝野」の異名を持つ。 雑誌『明星』に15年間短歌を発表し、「与謝野の前にロマンなく、ロマンの後に与謝野なし」[注釈 3]と讃えられ、ロマン主義文学の中心的人物となった。

23 20/08/07(金)02:43:32 No.715478384

su4105920.jpg

24 20/08/07(金)02:43:59 No.715478432

マジもんの怪文書やめろや!

25 20/08/07(金)02:46:32 No.715478664

>文部省の意向とは全く違う次元 だろうね!

26 20/08/07(金)02:47:37 No.715478756

>純文学において華々しい力道山と比べての自分の境遇に不満があったのである。 この一文好きすぎる

27 20/08/07(金)02:49:34 No.715478933

「明星に寄稿させてください君死に!」 「ええ?」 「明星に君死に寄稿させてください!今日僕何もやってないです!もういい加減に許してください!まっすぐ自分の思うことやります!お願いします!ハッキリ言って明星と青鞜と同時連載無理ですハッキリ言って!私自分が原稿落としたから言える立場じゃないけど…俺らは何なんですか俺らは!」 「命かけたのか命を!勝負だぜお前!このまま…」 「もう何年続くんですか何年これが!」 「ああ?俺は前から言ってる!遠慮なんかするこたあねえって!雑誌の上は戦いなんだからよ!先輩も後輩もねえ!遠慮されたら困るよお前!何で遠慮するんだお前!」 「遠慮してないです!これが流れなんですこれが近代文学の!ねえそうじゃないですか!」 「じゃあ力でやれよ!力で!」 「やりますよ!やりますよ!(突然特攻機に乗り込む晶子 「待て待て!待て!

28 20/08/07(金)02:50:21 No.715479007

☆☆☆☆☆一言で言うなら時代がそれを許さなかった 老いたりとはいえ血気盛んな晶子が力道山に後れを取るということはない。 若い力道山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。 本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの証言によって進められるドキュメンタリーである。 平塚らいてう、山田わか、児玉誉士夫、田岡一雄などへのインタビューによって、 与謝野晶子の創作活動、また東スポ紙上で行われた論戦の顛末が詳細に浮かび上がる。 そこには若い力道山に対する親愛の情やプロレス文化への期待が読み取れる。 なぜ殺さなかったのではなく、なぜこの二人がこの時代を生きたのかを書き起こした一冊である。 このレビューは参考になりましたか? はい/いいえ

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