20/06/03(水)20:52:34 キタ━━━━━... のスレッド詳細
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画像ファイル名:1591185154918.png 20/06/03(水)20:52:34 No.696012191
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
1 20/06/03(水)20:53:07 No.696012375
キミシニタモウコトナカレ
2 20/06/03(水)20:53:22 No.696012475
接点が無いからだよ!
3 20/06/03(水)20:53:50 No.696012609
キミコロスカチナシ
4 20/06/03(水)20:54:37 No.696012860
与謝野晶子って脱ぐと凄かったんだな
5 20/06/03(水)20:55:04 No.696013008
実際殺したのは何という無茶を!だし
6 20/06/03(水)20:56:00 No.696013308
時代が許さなかった
7 20/06/03(水)20:56:02 No.696013328
力道山全盛期には晶子はすでに衰えていたからな
8 20/06/03(水)20:56:15 No.696013398
寿司>力道山
9 20/06/03(水)20:56:38 No.696013510
らいてうは殺したんでしょ?
10 20/06/03(水)20:57:26 No.696013759
>らいてうは殺したんでしょ? 雷帝殺しの与謝野晶子
11 20/06/03(水)20:57:53 No.696013893
時代がそれを許さなかった
12 20/06/03(水)20:58:04 No.696013956
☆☆☆☆☆一言で言うなら時代がそれを許さなかった 二人の邂逅は昭和15年、晶子61歳、力道山15歳のことであった。 老いたりとはいえ血気盛んな晶子が力道山に後れを取るということはない。 若い力道山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。 本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの証言によって進められるドキュメンタリーである。 平塚らいてう、山田わか、児玉誉士夫、田岡一雄、梶原一騎などへのインタビューによって、 官能的とも言われた寝技を駆使し『やわ肌の晶子』と異名をとった柔道活動や、東スポ紙上で行われた論戦の顛末が詳細に浮かび上がる。 そこには若い力道山に対する親愛の情や、これから花開かんとするプロレス文化への期待が読み取れる。 『なぜ殺さなかったのか』ではなく『なぜこの二人がこの時代を生きたのか』を書き起こした著者渾身の一冊である。 このレビューは参考になりましたか? はい/いいえ
13 20/06/03(水)20:59:58 No.696014605
>東スポ紙上で行われた論戦 ダメだった
14 20/06/03(水)21:02:30 No.696015446
もしもし総理かい?今から首相官邸にいくぜ… 与謝野晶子です
15 20/06/03(水)21:04:39 No.696016110
梶原一騎が何を知ってるんだよ
16 20/06/03(水)21:06:29 No.696016692
>このレビューは参考になりましたか? はい/いいえ 絶対に参考にならねーやつだろ!これ!!
17 20/06/03(水)21:14:23 No.696019371
また知らない怪文書が増えてる…
18 20/06/03(水)21:15:18 No.696019668
本来の実力であれば力道山に負けるわけない、と意気込み取材にあたる著者であったが 『新訳源氏物語』を刊行するにあたり、『湖月抄』の誤りを訂正することや、関東大震災による資料の焼失等で疲弊していた晶子の精神では、 その実力を発揮することもかなわず、結果敗戦してしまうのは悲運でしかなかった。 この敗戦について師匠である森鴎外は 「ブック破りがあったというのは後付けの言い訳。常在戦場を是として生きた歌人が油断したのであれば、結果は実力によるものと認めるしかない」 と突き放した。
19 20/06/03(水)21:18:06 No.696020654
どんな人生歩めば与謝野晶子と力道山の両方に関しての豊富な知識が得られるんだよ
20 20/06/03(水)21:20:36 No.696021546
長髪を振り乱し相手を投げ飛ばすところから「みだれ髪」と呼ばれていたが、 その才能を認めた与謝野鉄幹に、堺の明星道場に招かれてからは、寝技の技術を磨き「やは肌の晶子」と恐れられるようになる。 その圧倒的な強さから、負けた対戦相手を気遣い「君死にたまふことなかれ」と言った事は今では伝説となっている。 [要出典][独自研究][誰が?]
21 20/06/03(水)21:23:07 No.696022423
独自研究がすぎる…
22 20/06/03(水)21:23:25 No.696022555
ブック破りがあったらしいな
23 20/06/03(水)21:24:25 No.696022899
>[要出典][独自研究][誰が?] お あ し す
24 20/06/03(水)21:25:31 No.696023239
アンネ・フランクとナチ道山のほうはまだわかる どんな青春時代を過ごせば与謝野晶子と力道山を絡ませるなんて発想が出てくるのだ
25 20/06/03(水)21:26:16 No.696023501
>アンネ・フランクとナチ道山のほうはまだわかる わからねぇよ!
26 20/06/03(水)21:27:16 No.696023802
バルセロナ五輪の時の全日本合宿で宮部みゆきが「この人が一番強いんだからこの人が五輪出ればいいじゃねぇか」となったのが曽根綾子で モスクワ五輪の時の全日本合宿で曽根綾子が「この人が一番強いんだからこの人が五輪出ればいいじゃねぇか」となったのが与謝野晶子
27 20/06/03(水)21:28:36 No.696024273
何言ってんだよ「」!?
28 20/06/03(水)21:28:58 No.696024416
なんでそんな怪文書がスイと出るの
29 20/06/03(水)21:29:30 No.696024586
森は軍人だから惰弱な敗北者には厳しいよな…
30 20/06/03(水)21:31:54 No.696025434
三島由紀夫で官能小説描く人の話思い出した
31 20/06/03(水)21:34:09 No.696026162
「」ってたまに妙にインテリな遊びするよね…
32 20/06/03(水)21:36:01 No.696026824
戦後復興期、レスラーは実に太陽であった。真正の英雄であった。今、レスラーは月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに『正闘』(ストロングスタイル)は初声を上げた。現代の日本のレスラーの頭脳と手によって始めて出来た『正闘』は初声を上げた。レスラーのなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。 平塚・ザ・サンダーバード(談)
33 20/06/03(水)21:36:26 No.696026955
>三島由紀夫で官能小説描く人の話思い出した 仮面の告白とか官能そのものだし
34 20/06/03(水)21:38:02 No.696027562
このインテリジェンスがないと文句も反論もできない感じのスレ 俺好きだよ
35 20/06/03(水)21:38:32 No.696027743
>『正闘』 せいとうかっけえ…
36 20/06/03(水)21:38:45 No.696027826
>平塚・ザ・サンダーバード(談) コピペに言うのもあれだがサンダーバード平塚の方が女子プロっぽいと思うんだよな
37 20/06/03(水)21:38:51 No.696027864
かつて文壇にその人ありと言われ、その実力は誰もが認めるところであった与謝野晶子が、 ショーであるプロレスを行い、あろうことか力道山に苦杯を舐めさせられるというのは、文学界にとって到底受け入れがたい出来事であった。 この試合をリングサイドで観戦していた中原中也は、衰えた与謝野の姿を見て『汚れつちまつた悲しみに』という詩を発表した。
38 20/06/03(水)21:40:37 No.696028488
>『正闘』(ストロングスタイル) だめだった
39 20/06/03(水)21:41:08 No.696028648
力道山が成年する前に死んでるじゃねーか!
40 20/06/03(水)21:41:41 No.696028838
>独自研究がすぎる… もしかして:妄想
41 20/06/03(水)21:41:47 No.696028887
与謝野晶子 1878年12月7日~1942年5月29日(63歳没) 力道山 1924年11月14日~ 1963年12月15日(39歳没) 年代的に接点が0って訳でもないのよね
42 20/06/03(水)21:41:49 No.696028894
>この試合をリングサイドで観戦していた中原中也は、衰えた与謝野の姿を見て『汚れつちまつた悲しみに』という詩を発表した。 気軽に降霊すんなや!
43 20/06/03(水)21:42:15 No.696029038
中也は関係ねえだろ中也は
44 20/06/03(水)21:42:36 No.696029164
>戦後復興期、レスラーは実に太陽であった ここ卑弥呼の一文パクってるの好き
45 20/06/03(水)21:42:50 No.696029254
アキコはねぇ、ギスギスしてたね。ギスギスしてた、ウン。
46 20/06/03(水)21:42:53 No.696029273
突如洗われる中也吹いた
47 20/06/03(水)21:44:18 No.696029733
~リキ死にたまふことなかれ~ なぜ与謝野がこの歌を詠んだのか。それは当時の時代背景を鑑みる必要がある。 当時勃興したプロレス文化に対し、与謝野が否定的だったという意見は間違いである。 だが、与謝野は力道山の力士としての才能を惜しんだのだ。 「あゝをとうとよ 君を泣く」の一節は可愛がっていた力道山が髷を切り、 力士としての死によって、プロレスラーになることへの哀切の念から詠まれたものである。
48 20/06/03(水)21:44:30 No.696029799
>年代的に接点が0って訳でもないのよね 晶子死ぬギリギリでも力道山は力士時代じゃねーか!
49 20/06/03(水)21:44:53 No.696029924
僕にはこの胡乱な文章らしきものに抗えるだけの知性がない…
50 20/06/03(水)21:45:24 No.696030081
月刊 秘伝あたりにソースありそう
51 20/06/03(水)21:46:00 No.696030290
>だが、与謝野は力道山の力士としての才能を惜しんだのだ。 >「あゝをとうとよ 君を泣く」の一節は可愛がっていた力道山が髷を切り、 >力士としての死によって、プロレスラーになることへの哀切の念から詠まれたものである。 ちなみに余談ではあるが力道山が廃業をしたのは1945年 与謝野晶子は史実では既に亡くなっているという事を付け加えたい
52 20/06/03(水)21:47:13 No.696030696
前のアンネと猪木の奴はこう…なんていうのかな… 一応文句というかそれなりに薄い知識でも荒らせる糸口ぐらいはあったんだけど… ちょっとこの与謝野晶子と力道山のはどこからどう言えばいいのかよくわかんねぇ
53 20/06/03(水)21:50:21 No.696031770
>>年代的に接点が0って訳でもないのよね >晶子死ぬギリギリでも力道山は力士時代じゃねーか!
54 20/06/03(水)21:50:23 No.696031787
レス読んだ後にもう一回スレ画見るともう耐えられない
55 20/06/03(水)21:50:33 No.696031845
10月8日のメインイベントの時に事件が起きる。それは3対3のタッグ戦の入場の順番で与謝野が力道山に突っかかっていった。それは力道山の前を歩いて入場すること、力道山の前にコールされることに我慢ができなかったのである。 その試合では与謝野のタッチ拒否から始まり、試合中に同じチームである与謝野力道山で叩きあったりする場面もあった。試合後にもリング上でお互い激しく争い続けた。 その背景にはロシア特攻帰りでエネルギーが余っていたこと、どこか表に出ていきたかったことがあった。 純文学において華々しい力道山と比べての自分の境遇に不満があったのである。 その後、与謝野は「俺はお前のかませ犬じゃない」と発言、力道山及び体制に対して牙を向いたのである。 後日談ではあるが、実はこれは与謝野が「力道山に嫉妬を含めていろんな感情があって起こした行動だ」と告白したことでメディアから強く発信された経緯がある。特に古舘アナによるリードの功績が大きい。 力道山との激しい抗争に入った与謝野は反体制組織として近代文学派を結成。 明星紙面に限らず手紙での詩のやり取りでも対立を続けた。