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    20/05/25(月)22:46:25 No.693150995

    与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか

    1 20/05/25(月)22:49:16 No.693152205

    詩人だから

    2 20/05/25(月)22:49:52 No.693152485

    どうせユダ公のヒットマンにやられるからじゃね

    3 20/05/25(月)22:51:19 No.693153152

    一言でいうと時代がそれを許さなかった

    4 20/05/25(月)23:12:37 No.693162161

    ☆☆☆☆☆一言で言うなら時代がそれを許さなかった 二人の邂逅は昭和15年、晶子61歳、力道山15歳のことであった。 老いたりとはいえ血気盛んな晶子が力道山に後れを取るということはない。 若い力道山のバナナを揉んでやろうという気概は当然持っていた。 本書は『なぜ』の部分にスポットを当て、関係者たちの証言によって進められるドキュメンタリーである。 平塚らいてう、山田わか、児玉誉士夫、田岡一雄、梶原一騎などへのインタビューによって、 官能的とも言われた寝技を駆使し『やわ肌の晶子』と異名をとった柔道活動や、東スポ紙上で行われた論戦の顛末が詳細に浮かび上がる。 そこには若い力道山に対する親愛の情や、これから花開かんとするプロレス文化への期待が読み取れる。 『なぜ殺さなかったのか』ではなく『なぜこの二人がこの時代を生きたのか』を書き起こした著者渾身の一冊である。 このレビューは参考になりましたか? はい/いいえ

    5 20/05/25(月)23:26:48 No.693168119

    与謝野晶子は所詮ブックだからな

    6 20/05/25(月)23:31:01 No.693169789

    だから無理があるって!

    7 20/05/25(月)23:32:39 No.693170403

    だからそのレビューはおかしいって!

    8 20/05/25(月)23:33:35 No.693170775

    >二人の邂逅は昭和15年、晶子61歳、力道山15歳のことであった。 結構年齢差あるな

    9 20/05/25(月)23:33:57 No.693170890

    この近代史に喧嘩うる「」 俺は好きだぜ

    10 20/05/25(月)23:35:08 No.693171342

    戦後復興、レスラーは実に太陽であった。真正の英雄であった。今、レスラーは月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに『青闘』は初声を上げた。現代の日本のレスラーの頭脳と手によって始めて出来た『青闘』は初声を上げた。レスラーのなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。 平塚サンダーバード(談)

    11 20/05/25(月)23:36:00 No.693171683

    >平塚サンダーバード(談) ここはサンダーバード平塚の方がレスラーっぽかったと思う

    12 20/05/25(月)23:38:25 No.693172615

    >戦後復興、レスラーは実に太陽であった 原始、女性は太陽だった吹いた

    13 20/05/25(月)23:39:31 No.693173036

    ~リキ死にたまふことなかれ~ なぜ与謝野がこの歌を詠んだのか。それは当時の時代背景を鑑みる必要がある。 当時勃興したプロレス文化に対し、与謝野が否定的だったという意見は間違いである。 だが、与謝野は力道山の力士としての才能を惜しんだのだ。 「あゝをとうとよ 君を泣く」の一節は可愛がっていた力道山が髷を切り、 力士としての死によって、プロレスラーになることへの哀切の念から詠まれたものである。

    14 20/05/25(月)23:40:08 No.693173311

    学がないと笑えないの辛い… もっとお勉強しなきゃ