ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
19/08/12(月)23:50:05 No.614158528
ピピピ、という電子音と共に目が覚める。飛び込んでくるのは、無機質な天井。いつもと変わらない、カルデアでの目覚め。 ふと、視界の端になにやら動く影がある。俺を起こしに来たのだろうか。 「おはよう、アナスタシア」 上体を起こし、伸びをしつつ挨拶をする。でも、そこに居たのは、ぽかんとした顔をしていたマシュだった。彼女は柔らかく微笑み、挨拶を返してくれる。 「おはようございます。ですが、私はアナスタシアさんではありませんよ?あなたの後輩、マシュ・キリエライトです」 くすくすと小さく笑っている俺の後輩。なんだか少し恥ずかしかった。 「私をアナスタシアさんと間違えるなんて、まだ先輩は半分夢の中なのでしょうか」 「かもね。それか、夢の中にアナスタシアが出てきたのかも」 恥ずかしさを誤魔化すために頭を掻きながらベッドから抜け出す。 なんで自然とアナスタシアの名前を呼んだのかは、自分でも分からない。夢で見たなんて言ってみたけど、今日は夢すら見ていなかった。
1 19/08/12(月)23:50:52 No.614158782
着替えて、マシュと一緒に食堂に向かう。いつもの風景だけど、少し違うことがあった。 一つは、俺の心。インド異聞帯を切除した直後は心がかなり落ち込んでしまっていたが、今では大分マシになっている。これはきっと、いい変化だ。 そして、二つ目が、多分悪い変化。 「あ……」 「……あ。おはよう、アナスタシア」 「ええ……。おはようございます、マスター」 食堂に向かう途中、アナスタシアと出くわす。普段であれば、自然とこの後も会話が続くのだが、俺も、アナスタシアも二の句を繋げられないでいた。 「では、私はこれで……」 「あ……」 そのままアナスタシアは何処かへと立ち去ってしまう。いつもなら、一緒に食事をしよう、なんて誘うはずなのに。 さっき言いかけた二つ目は、俺とアナスタシアの関係の変化。気がつけば、彼女とのコミュニケーションが取れなくなってしまっていた。別に、彼女が嫌いになったわけでもない。ただ、掛けるべき言葉が、向けるべき感情があるはずなのに、それがなにか掴めない。結果、会話が途切れてしまう。 最近起こったプラスとマイナスの変化。それはきっと、ひとつの出来事に起因する。
2 19/08/12(月)23:51:16 No.614158917
特異点ノーバディ。突如発生したその特異点を攻略するために、俺たちカルデアは件の特異点にレイシフトしたらしい。一部のサーヴァントが特異点に侵入できない、カルデアとの通信が断絶していた、というトラブルもあったらしいが、時間をかけて少しずつ攻略し、つい先日、聖杯を回収して、特異点が消滅した、らしい。 先程から自分が攻略したはずの特異点の説明なのに伝聞形ばかりなのは、特異点での出来事をほとんど何も覚えていないからだ。 千里眼で状況を唯一把握していたマーリンからの説明はこう。 あの特異点は何も始まっていなかった特異点。だから、例え聖杯を得るまでに何かがあっても、結局は何も起きていなかったのと変わりがない。何も起きていないのだから、過程が丸々抜けているのも当然、だそうだ。 事実、俺からしても特異点にレイシフトしたと思ったら、気づいたら聖杯を手に持ってコフィンの中にいた、という状況だった。
3 19/08/12(月)23:51:38 No.614159040
でも、何かはあったはずなんだ。俺の魂を揺さぶる何かがあって、それが抜け落ちてしまったから、こうなってしまっている。まるで魂が欠けてしまったような、やるせない感じ。この頃、何事にもやる気が起きなくて、一人でボーッとしている時間が増えた。 どうやったら、前みたいにアナスタシアと話せるだろう。どうしたら、自然に笑い合うことができるだろう。どうやったら――……。 最近は、ずっとアナスタシアのことを考えている。 だけど、それだけじゃ事態は何も好転しない。それは分かっていたから、俺はなんとかアナスタシアと会話しようと何度も試みた。試みたが、アナスタシアの反応は鈍く、数言交わしただけで会話は終わってしまい、逃げるように去られてしまう。 流石に少しへこむ。でも、アナスタシアに悪気がないことは分かる。何せ、自分がそうなのだ。全く何も覚えていないのに、急にアナスタシアに対して言葉にできない感覚を抱いている。きっと、あちらも同じなのだろう。そのせいで、戸惑ってしまっているのだ。振り回されてしまっているのだ。しかも、自分のことなのに自分に覚えがないから、解決するにもどうしようもない。
4 19/08/12(月)23:52:14 No.614159220
仕方ない。からかわれそうで嫌だったから避けていたけど、素直にマーリンに頼るとしよう。彼はほぼ唯一、あの特異点の出来事を覚えているのだから。 だけど。 「悪いね。その件については、私は君に何も話したくない」 頼みの綱のグランドろくでなしは、その頼みをきっぱりと切り捨てた。 「……なんでさ」 カルデアの誰かが呟いていたそんなセリフが出るのも、仕方ないだろう。だって、「知らない」でも「分からない」でもなく、「話したくない」だ。その理由を聞きたくなるのは当然だった。 「いやあ、だって語ることが多すぎてね。それぞれきりのいいところで区切ったとしても、全てを話そうとしたら私は君の話を五百回くらいしなければならなくなってしまう」 そんなに。時間の流れが違うという話は聞いていたが、それだけの物語があったのか。 「っていや、俺が知りたいのは俺とアナスタシアの話で、特異点での出来事全てじゃないんだってば」 そう抗議するが、目の前の男は右から左に受け流すだけで取り合ってくれようとはしない。
5 19/08/12(月)23:52:29 No.614159300
「マスター。君にはね、そのことについて、誰かから聞いて知るようなことはして欲しくないんだ。君が気づいて、君が考えて、君に結論を出して欲しい。誰かに言われたからではなくて、君自身に決断して欲しいんだ」 「マーリン……」 その声色が、真剣なものであると気づいた。気づいてしまったからには、何も言えなくなってしまう。きっと彼は、真剣に俺のことを思って言ってくれている。なにせ、彼は自称俺のファンだから。 「……わかったよ、マーリン」 「そう言ってくれて本当に嬉しい。いいかい?これは君の物語だ。何を選ぶのか、どの道に進むのかは、君の選択次第だよ」 そう言って、部屋から出て行く俺を見送ってくれる。俺はとりあえず、自室に戻ることにした。歩き出した背後で、マーリンがこう呟いていたことは、俺は気づけなかった。 「まあ、それはそれとして、手助けくらいはさせてもらうけどね?」
6 19/08/12(月)23:52:49 No.614159435
「ふう…………」 思わず、大きなため息をついてしまう。皇女として相応しくないと思いつつも、抑えきれるものじゃなかった。それに、この面子だと気が緩んでしまうというのもあった。 「アナスタシアさん、何か悩みでもあるのでしょうか?」 「よかったら、話してみてください。お力になれるかは分かりませんが、話すだけで楽になることもありますので」 マシュと、リリィ。この二人と一緒にお茶会をしていた。始まりからずっと一緒に戦ってきたこの二人とは、お互い予定が何もなければこうやってよくお茶会をしている。 「実はね……」 そうして私は事情を話す。特異点から戻ってきた後の、マスターと話をしようとした時のもやもや。そのせいで、会話どころかまともに挨拶を交わすことも出来ていない現状を。 「……自分でも、どうしてこうなってしまったか分からないの。でも、知らないうちに繋いだ手を離してしまったような気がして。心が、まるで穴が空いてしまったみたいに寒くて」
7 19/08/12(月)23:53:08 No.614159536
この話をしている時もそう。彼のことを「マスター」と呼ぶたびに、何かが違う、という感覚に駆られる。特異点に赴くまではそう呼べていたはずなのに、そうする事も出来なくなっている。 辛かった。彼との思い出を忘れてしまったことが。なにより、いつも通りの会話すらできないことが。思わず、涙が溢れてきてしまった。 「……だったら!」 リリィが、普段とは違う剣幕で声をあげる。私もマシュも驚いて、彼女の顔を見つめる。 「だったら、余計逃げてちゃダメなんです!辛いからそうやって逃げてしまうのかもしれません。でも!だからこそ向き合わなくちゃいけないんです!」 「そう、ですね。私もリリィさんと同じ考えです。逃げてばかりでは、悪循環に陥ってしまいますから。まずは、先輩とちゃんとお話ししてみましょう。そうすれば、何かは変わるかもしれません」 「リリィ……、マシュ……」 二人の顔を見回す。彼女たちは、優しく微笑みを返してくれた。ああ、なんてありがたい。私は、善き友達を持つことができたと、深く実感した。 「そうね。このままは良くないもの。私も勇気を出して、彼と向き合ってみます」
8 19/08/12(月)23:53:50 No.614159750
涙を拭い、席から立ち上がる。お茶会の途中だったが、この気持ちが変わらないうちに話をしたかった。彼女たちは、そんな私を笑顔で見送ってくれる。本当に、素敵な人たち。 「って言ってもなー……。思い出すも何も、手がかりは他にないし……」 部屋に戻ってきた俺は、そんな事を言いながらベッドに倒れこむ。さっきはなんかいい感じの話をされたような気になったから引いたけど、そもそも思い出すきっかけがないからマーリンを頼ったのだ。これではただ振り出しに戻っただけ。ため息も出ようものだった。 「フォウ?ンキュ、フォーウ」 「フォウくん。もしかして、慰めてくれてるの?」 チロチロと、頬を舐められる。ちょっとくすぐったかった。でも、その気遣いに少し癒される。 「ありがとう。でも、少し一人で考えたいんだ」 「フォ、フォーウ」 俺の言葉が通じたのか、ピョンとベットから飛び降りるフォウくん。俺は再び天井を見つめ、どうしようかと考えを巡らせる。
9 19/08/12(月)23:54:10 No.614159857
ああでもない、こうでもないとうんうん唸っていると、ドサドサと、少し大きめの物音が起きる。突然のことにびっくりしながら音の方を向くと、フォウくんが本棚をつついたのか、何冊かの本が床に落ちていた。 「フォウくん、大丈夫?怪我とかない?」 「フォウ、ンキュ」 抱き上げて軽く見てみるが、特に怪我という怪我もなさそうだった。本人も気楽に返事を返してくれている。 俺はそっとフォウくんを床に下ろし、散乱した本を片付け始める。ノートや小説、アルバムなど……。 「……あれ?」 その中に、見覚えのないものが混じっていた。表紙を見ると、『夏休み帳』と書いてある。……このページ数だと、もはや鈍器と言われた方が信じられる。というかどうやってこれを全部埋めるんだろう。 そんなツッコミが思い浮かんだが、俺は、それに魅入られたかのように暫くそれを手に持って立ち尽くしていた。そして、ページを捲り始める。なぜだか、この夏休み帳は読まないといけない気がした。肉体が、魂が、精神が、意識を捩じ伏せて体を動かしていた。
10 19/08/12(月)23:54:27 No.614159919
「でも今更、話をしてくれるかしら……」 マスターの部屋へ向かって足を動かしながら、私は悩んでいた。彼は私に話しかけようとしてくれていたのに、私はずっと素っ気ない態度をとるばかりだった。もしかしたら、愛想を尽かされたかもしれない。私と彼の仲だからそんなことはないとは思うけど、もしもを考えてしまう。そして、怖くなって足を止めかけてしまう。 駄目だ。そうやって逃げてきたのを、あの二人に後押ししてもらったんだ。送り出してくれた二人のためにも、なにより早くマスターと仲直りしたかったから。そう思い直し、一歩を踏み出した。 ところで、走ってきたマスターがいきなり現れた。向こうからやって来ると思ってなかったから、とてもびっくりしてしまう。マスターも私に気づいたみたい。かと思ったら、私に向かって駆け出し、そのまま私を抱きしめた。 …………。 ……………………。 ……………………!? 突然抱きしめられたせいで、頭の処理が追いつかない。なんで、どうして。そればかりが頭の中を巡り続ける。
11 19/08/12(月)23:55:07 No.614160166
「アナスタシア……!アナスタシア……ッ!」 マスターは私の耳元で名前を呼び続ける。一体何があったのだろう。少なくとも、突然こんなことをする人ではない。 「ま、マスター?一体どうしたのかしら?」 ようやく落ち着いてきた私は、マスターに質問を投げかける。彼も少し落ち着いたのか、私の体を解放する。 「アナスタシア。これを、読んで欲しいんだ」 そう言って差し出されたのは、辞書よりも分厚い書物。表紙には、『夏休み帳』とだけ書いてあった。 「これを……ですか?」 「ああ、これをだ」 こんな分厚い物を読めとは一体どういうことかと思ったけど、彼の真剣な表情を見て、何かがあると悟る。 それに、どういう訳か、私もこれを読まないといけない、という気持ちになっていた。魂が、そう叫んでいる。 少しずつ、ページをめくる。中身は、写真付きの生物図鑑だった。飛ばし飛ばしで見ると、様々な種類の生き物が載っている。そのせいで、ページ数が凄いことになっているのだろう。 「そこじゃなくて、もっと後ろ」
12 19/08/12(月)23:55:28 No.614160274
マスターが乱雑に、一気にページをめくっていく。暫くすると、日記のようなページが現れた。なるほど、夏休みの絵日記といったところだった。 しかし、ページをめくり続けても、その殆どは白紙だった。この中に、何かが書いてあるのだろうか。 突然、栞が挟まれたページが現れた。あまりにも本が厚すぎて、栞があっても目立たなかったのだろう。そのページには内容が書き込まれていた。何が書いているのかと、頭から追っていく。 『夏祭りでアナスタシアと告白し、俺と彼女は恋人同士になった。』 「あ――――」 その一文を見つけた時、欠けてしまった私の心の最後の一ピースが見つかったような気がした。記憶にはない、だけど、これだと、この肉体が、魂が叫んでいる。 「この栞を手にとって」 リツカの言葉に導かれるように、挟まれていた栞に触れる。その瞬間、あの日の出来事が、実感を伴って蘇ってきた。そうだ、私はリツカに告白して、彼も私に告白して、両想いだった二人は結ばれた。 ページをめくり、記述のある箇所を探していく。
13 19/08/12(月)23:56:38 No.614160616
『ルルハワで、毎日毎日デートをした。』 その内容を読むたびに、記憶が昨日のことのように蘇って来る。 『二人きりで映画鑑賞会をした。』 あの特異点での、平穏な日々。 『アナスタシアが手料理を振る舞ってくれた』 だけど、私とリツカが結ばれた、特別な日々。 『遅めの七夕祭りのあと、誰も知らない天体観測をした。』 なによりも大事な宝物が、帰ってきた。
14 19/08/12(月)23:56:55 No.614160718
「リツカ、私、全部、全部思い出したっ!」 衝動のあまり、私はリツカの胸に飛び込む。彼は、優しく私を受け入れてくれた。あの特異点でそうしてくれたように。 嬉しくて、涙が出てきた。そんな様を見られるのが恥ずかしくて、顔をリツカの胸元に押し付ける。耳に響いてくるリツカの心音が、何よりも私を安心させる。 「アナスタシア。改めて、もう一度、言わせて欲しい。記憶だけじゃなくて、ちゃんと言葉にしておきたいから」 抱きついたまま、こくりと首を動かす。私も、しっかりと聞きたかった。 「繋いだ手は離さない。離したくない。好きだ、アナスタシア。俺の恋人になってくれ!」 私の答えは、もう決まっている。あの時できなかった返事を、記憶に残るように言葉に出す。 「はい。私も、貴方のことが好きですーーーー」 そして私たちは、その言葉を誓うように、唇を結んだ。
15 19/08/12(月)23:57:09 No.614160767
これは、運命の物語。 平穏な日常を過ごしていた少年は、ある日突然その日常を奪われた。戦う宿命を押し付けられた少年は、その日、自分の運命と出会った。 少年少女は果てしない旅を続け、その絆を紡いでいく。 その結果、微睡みのような平穏の中で、とある夏に、二人は結ばれる。 その微睡みは覚め、夢は終わり、忘れてしまった。 けれど、二人の愛は夢幻ではなかった。こうしてまた、二人は結ばれた。 それはきっと、必然だろう。何度繰り返しても、何度も同じ結果に行き着くだろう。 なぜならこれは、運命の物語なのだから。
16 19/08/12(月)23:57:50 No.614160940
夏休み特異点アナスタシアルート、これにて完結。
17 19/08/12(月)23:58:49 No.614161226
よくやった!!!!
18 19/08/12(月)23:58:52 No.614161238
>「いやあ、だって語ることが多すぎてね。それぞれきりのいいところで区切ったとしても、全てを話そうとしたら私は君の話を五百回くらいしなければならなくなってしまう」 学士殿がそれくらい纏めてたな...
19 19/08/13(火)00:00:44 No.614161776
投下期間28日、総文字数約63000字です 読んでくれた人はありがとう
20 19/08/13(火)00:02:35 No.614162355
やっぱりオルジュナ狂いには文字数勝てなかったよ…
21 19/08/13(火)00:06:32 No.614163546
勝つとか負けるとかではないのだ これは君の物語なのだから
22 19/08/13(火)00:12:03 No.614165310
うん、やれるだけはやりきった 皇女好きの一心で頑張り続けた
23 19/08/13(火)00:14:37 No.614166050
随分な大作だな ちょっと読んでくるか
24 19/08/13(火)00:15:15 No.614166255
まとめとかあったほうがいいのかな? やり方わかんないけど
25 19/08/13(火)00:21:13 No.614168208
まとめも欲しいけどこんだけ大作なら渋とかに投稿してもいいんじゃないかな…
26 19/08/13(火)00:22:13 No.614168496
渋かあ…そうしてみるわ まだ書きかけの話が少しあるし
27 19/08/13(火)00:44:18 No.614174593
まとめ1(かき氷~幕間・愛称) ss336523.txt まとめ2(料理~幕間・祭装) ss336524.txt まとめ3(最終章) ss336525.txt
28 19/08/13(火)00:45:06 No.614174794
あれ、ダメか どうやるんだろう
29 19/08/13(火)00:47:48 No.614175430
見えてるけれど ありがとう