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19/05/04(土)10:42:43 逃げ出... のスレッド詳細

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19/05/04(土)10:42:43 No.588643554

逃げ出したとき、さっきまで晴れていた空には灰色の雲がかかり、雨が降り始めていた。さっきまで不気味なほど綺麗に輝いていた太陽が、もう何も見えない。 ひたすらに走った。息が切れるのにも構わずに、走って、走って、走り続けた。 誰かにぶつかる。怒声が響く。背中から声が降ってくる。 でも、もう何も聞こえなかった。音は耳に入ってきたけれど、頭が認識を拒んでいた。 「私は、あなたなんか、大嫌いです……!」 その言葉だけが頭の中でいつまでも反響して、心を止めどなく締め上げる。もう彼女は、俺のことなんて--- だから、俺が今どこにいるかだって、もう俺にはどうでもいいことだった。

1 19/05/04(土)10:43:09 No.588643628

もう走れなくなるまで走って、ようやく止まった。着いた場所は、まるで知らない広場だった。 昔から悪運だけは強いと思っていたが、ここまで一度も止まらずに走ったのに、車に跳ねられなかったというのは、まったく笑うしかない。どうせなら、ダンプカーか何かにでもぶつかって、気づく間もなく爆ぜて砕けてしまえたなら、きっと楽だったのに。もし俺を壊して中身を取り出したところで、何の面白味もないだろうけれど。 彼女は、俺の全てだった。 俺は彼女を真剣に愛していた。彼女も、俺のことを愛してくれていた、と思っていた。 けれどそうじゃなかった。きっと、彼女は俺に不満があったんだろう。こんな、カルデアのマスターでなくなってしまった、ただの藤丸立香というつまらない人間に、彼女を幸せにできるはずがなかったんだ。 何もかもに、人にも神にも自分自身の在り方にも傷つけられてきた彼女の伴侶に、自分などがなれるはずがなかったんだ。

2 19/05/04(土)10:43:31 No.588643685

こんな俺に、抜け殻のような自分に、何が残っているというのだろう。 ならいっそ、派手に散らかしてしまえばよかった。もし自分が死んでしまったなら、彼女は少しくらい、俺のことを思い出してくれるだろうか--- そのとき、ポケットの中の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。ああ、うるさい。最後くらい、もう放っておいてほしいのに。 「藤丸立香様でよろしいでしょうか。落ちついて聞いてください、奥さまが---」 さっきまで死んでしまいたいと思っていたことも忘れて、俺は病院に駆け出していた。タクシーを呼び止めて病院の場所を伝え、なるべく早くと急かした。 早く、早く、早く。早く、彼女のところへいかないと--- 着いたとたんに、おそらく事情を全てわかっている看護婦に案内され、薄暗い廊下を歩いていた。 廊下の突き当たりにあった重厚な扉の上には、「手術中」の文字が赤く照らし出されていた。

3 19/05/04(土)10:44:21 No.588643822

看護婦と警察官から、全ての経緯を聞かされた。 飛び出していった自分と鍵のかかっていない家を見た隣の家の人が、ただ事ではないと思い家に入ったところ、胸にナイフを突き立てて意識を失っている彼女を見つけたこと。まだ息があったので警察と救急車を呼び、この病院に搬送されてきたこと。 今度は警察官が、俺に何があったのか尋ねてきた。 全て話した。彼女の様子がここ最近おかしかったこと。おかしいと思い調べたところ、彼女が子供を堕ろそうとしていたこと。彼女と口論になり、家を飛び出したこと。 話を終えたあと、警官はこう言った。 「ナイフには、奥さまの指紋しか残っていませんでした。親指の指紋が小指の指紋より柄の先端に近いことから、刺さったときにナイフが逆手に持たれていたこともわかっています。これらの状況証拠とあなたの証言から、断定はできませんが、奥さまは自殺を図ったと考えてまず間違いないでしょう」 手術を終えた医者の言葉は、俺を更に絶望させた。 「手は尽くしましたが、なにぶん衰弱がひどい。お腹の赤ちゃんのこともありますし--- はっきりと申し上げてしまえば、かなり危険な状態です」

4 19/05/04(土)10:45:26 No.588643982

誰もいなくなった。警察官も医者も、俺に気を遣って話しかけないようにしてくれているらしい。本来なら面会などできない状態だが、彼女の病室に一緒にいることを許してくれた。 誰もいない病室で、俺は途方に暮れていた。何があったのかはわかっても、何故こうなったのかがわからない。 「それは、彼女が未だ獣の呪いに苛まれているからでございますよ。ああ、何ということ。私を一度は握り潰しただけはありますわ」 振り返ると、先程自分を案内した看護婦が、その言葉とは裏腹に嬉しそうな顔で、そこに立っていた。 そのとき、何もかもを理解した。 みんな、自分のせいだ。俺があのとき逃げ出したから、彼女は--- 「カーマ…カーマ……カーマぁ……!!」 情けない声が漏れるのも、涙が溢れ落ちるのも止められない。本当に辛いのは、今までずっとひとりぼっちで戦っていた彼女なのに。彼女が苦しんでいたこともわからずに、彼女を傷つけてしまった俺なんかに、彼女を想って泣く資格なんかないのに---

5 19/05/04(土)10:45:50 No.588644040

全ての戦いが終わり、カルデアのマスターでなくなった俺を、サーヴァントのみんなは暖かく見送ってくれた。 でも、不安だった。もう、自分はひとりで生きていかなければならないのだから。 改竄されたプロフィール。操作された経歴。家族や昔の友人に会うことも、新しい職場の人々と深く関わることも許されなかった。魔術師である以上、魔術に関わりのない他者と安易に接触すれば、神秘の秘匿を大義名分に魔術協会が動き出す可能性があるからだという。 昔から、人と話すことだけには自信があった。だからこそ、カルデアではサーヴァントのみんなと分かりあうことができたんだと思う。どんなに魔術の才能がなくても、どんなに弱くても、信じられる仲間の力を借りて共に全力を尽くせば、どんな敵とだって戦えるんだと。 だが、今や自分は最大の武器を封じられてしまった。まるで自分が、安寧を手に入れた代わりに自由を失った、檻の中の動物になったように思えた。 何もかもうまくいかなかった。何もかもが嫌になった。

6 19/05/04(土)10:46:32 No.588644152

「捨てられた犬みたいな顔の人がいると思ったら、マスターさんじゃないですかぁ。あんまりみすぼらしかったから、動物さんだと思っちゃいました」 彼女と再会してから、俺の生活は少しだけ様変わりを遂げた。彼女と話すのにだけは、気兼ねがいらなかった。いつも軽口と皮肉が飛び出すけれど、彼女はカルデアを出た俺ときちんと話してくれる、初めての人だった。 いつしか、一緒に話すようになった。 いつしか、一緒に出かけるようになった。 いつしか、一緒に暮らすようになった。 そしていつしか、君から目が離せなくなっていって---

7 19/05/04(土)10:46:56 No.588644226

ああ、ようやく思い出した。 誰になんと言われようと、たとえ誰に拒まれようと、俺はカーマのことが好きなんだ。だからカーマが苦しんでいるなら、どこへだって助けに行く。 どんなに惨めでもいい。どんなに弱くてもいい。選んだ答えが何もかも間違いでも、信じたいと思う人がそこにいるなら、大切なものを取り戻すために、大切な人と生きるために、何度だって立ち向かってみせる。生きるために、戦う--- それだけが俺の、藤丸立香の全てだった。 小さいと笑われるかもしれない。でも、それだけあれば十分だ。このちっぽけな願いが一つあれば、きっと世界だって救えるだろう。 傷だらけの心に火を灯して、確と前を向く。もう、逃げない--- 目を覚ますと、病室は真っ暗で、外の夜景の光だけが静かに部屋をなぞっていた。 何をすべきかは、とうにわかっていた。 「キアラさん。お願いがあります」

8 19/05/04(土)10:47:19 No.588644292

五停心観。 対象者の心の揺らぎを数値化し、異常を摘出するプログラム。 彼女の肉体の傷を治すことはできる。 だが、傷が癒えても彼女が目覚めることはない。プログラムに示されたステータスは、彼女の意識がきわめて深い領域に埋もれていることを表していた。 傷を治す方法にはあてがあって、協力してくれる人もいるとキアラさんは言った。しかし意識を戻すためには、プログラムの自動処理では足りない。誰かがプログラムを介し、彼女の意識を見つけ出して浮上させなくてはならない。 「かなり危険であるとは、一応申し上げておきましょう。彼女の中には、未だ魔性が潜んでいるのですから。しかし、あなたには無用の助言でございましょうか」 確かにそうかもしれない。誰になんと言われようと、この役割を譲る気は微塵もなかった。 決着は自分の手で付ける。必ず、連れ戻してみせる---

9 19/05/04(土)10:47:52 No.588644383

暗い。 何も見えない闇のなかに、私はまた立たされていた。 私の業は最後まで、私を離すつもりはないらしい。当然の報いといえばそれまでだが、それでも心のどこかで願っていなかったといえば嘘になる。 これが最後なら、彼の夢を見たかった。 あの人の胸に抱かれて、あの人を想って死にたかった。自分から彼の想いを裏切っておいて、なんとも虫のいい話だと我ながら思う。けれど、この世で自分が最も嫌うものを見ながら死ぬなんて。どうせ、苦しみならこれから地獄に落ちて散々味わうのだ。ならせめて、もう何もかもなくしてしまった、惨めな女の最後の願いくらい、聞き届けてくれてもよいではないか---

10 19/05/04(土)10:48:22 No.588644459

周りが明るくなってゆく。ああ、やはりだめか。こんな自分には、今度こそあの闇に喰われて死ぬのがお似合いなのだろう。でも、それも仕方ない。あの人を傷つけてしまった罰は、私自身の手で受けなければ--- 目を閉じてその時を待つけれど、いくら待ってもあの闇は現れない。いったいどうしたのだろうと思って、恐る恐る瞼を上げる。 そこには、満天の星空が広がっていた。 「ここは…!」 彼が私に想いを伝えてくれた、あの高台の公園-- 「うん。やっぱり、ここにいたんだね」 誰よりも来てほしくなかった、誰よりも愛しい声が、そこにあった。

11 19/05/04(土)10:49:02 No.588644557

「どうやって、なんて聞きません。聞いたって、しょうがないです。 でも、どうして、来ちゃったんですか…!ここに来たのなら、もう私のなかに何がいるのか、知ってるんでしょう…?それに取り込まれてしまうかもしれなかったのに、なんで… なんで、私なんかのところに……!あなたにあんなひどいことをした私に、あなたに会う資格なんてないのに……!!」 許せなかった。彼に背を向けた自分も、彼が来てくれて嬉しいと思ってしまった自分も。

12 19/05/04(土)10:49:46 No.588644674

「そんなこと決まってる。カーマが泣いてるから、助けに来たんだ」 そん、な--- そんな、こと--- 「俺、あのとき生きてるって実感が湧かなかったんだ。何をやったってどうにもならない、このまま何もかも縛られて、何も思うようにならないまま生きていくんだって。 でも、君が会いにきてくれた。君がいてくれたから、俺は生き返れたんだ。 俺に色彩をくれたひとのためなら、命だって惜しくないよ」 ああ、ああ--- 「君が俺をどう思ってくれてもいい。嫌ってくれたってかまわない。 でも、これだけは言わせて。 俺は、君を救いたい。誰になんと言われようと、俺は、君のことが--- 世界で一番、大好きだから---」 足がひとりでに駆け出していた。唇がひとりでに、言葉を紡いでいた。 「あなたを、いつまでも見ていたいです。あなたと、いつまでも一緒にいたいです……! あなたがいてくれるなら、もう何もいりません…!ずっとずっと、私のいちばんは、あなたなんですから……!」

13 19/05/04(土)10:51:03 No.588644886

黒い闇が、私達を呑み込もうとするように、大きく広がってきた。 けれど、もう何も怖くない。今だけは、どんな相手にだって、負ける気がしない。 彼と目を合わせる。呼吸が一つになる。 「愛もて焦がすは恋ゆえなり」 闇を切り裂いた炎の矢が、夜空に虹をかけてゆく。 二人いっしょに、お互いを抱き寄せた。 「もう、ここにはいられないです。どこに行けば、いいんでしょう」 「どこでもいいよ。きみがいて、わらってくれるなら、どこだっていい。 きみの隣だけが、俺の本当の居場所だから」 いつだってそうだ。彼の紡ぐ言葉は、いつだって私の心を満たしてくれる。 もう、夢も終わる。だから、これだけは言わなければ。 「好きです。ずっとずっと、あなただけが、大好きです---」

14 19/05/04(土)10:51:16 No.588644918

夜の街が、静かに二人を照らしていた。 「ただいま、あなた」 「うん、おかえり、カーマ」 誰も見ていないことは、わかっていたけれど。 煌めく夜の街にだって、誰にだって、二人のキスの邪魔はさせたくない。

15 19/05/04(土)10:51:35 No.588644971

「これで満足か?締め切り前の作家をこんな夜中に呼び出すとは。労基法違反と猥褻物陳列罪でよほどこのまま法廷の世話になりたいと見える」 いつものように憎まれ口を叩く。まったく、人が寝ているところを叩き起こしてから。 「あらあら、それではあなたには病院のベッドをあてがわなくてはなりませんね」 「ふん。まあいいがな。しかしどういう了見だ?よりにもよってお前が獣退治に自分から乗り出すとは。どぶ川から桶一杯の水を浚ったところで、その川は清流にはならんのだぞ」 「何ということもありません。あの方が求める所を為し、愛する人とその子を救ったように、私も欲する所を為しただけでございます。一度仕置きをした相手が性懲りもなくまた動き出すようなら、今度はもっと重い折檻が必要ですから。 それに、あなたにとっても面白い見世物だったのではなくて?」

16 19/05/04(土)10:51:52 No.588645009

思わず笑い転げそうになる。この女にネタの心配をされるとは、ついに俺にもヤキが回ったか。 「貴様、その余分な脂肪は目玉の中にも詰まっていたのか?俺がこの話を書けるなら、お前は今ごろ清らかな恋する乙女にでもなっていただろうよ」 馬鹿馬鹿しい。作家が書ける物語は、読者や作者の心を揺さぶると、作者自身が思えるものだけだ。 自分の定義する愛のかたちは、何かを忘れる代わりに誰かを求めることだ。愚かにも不幸を忘れて、幸せを求めることだ。こんな、誰も悲しまない幸せな結末を、自分は愛の物語と呼ぶことはできない。 彼らの紡いだ物語に、哀れな人魚姫が立ち入る余地はないのだ。 「あら、それは残念。では、聞き方を変えましょうか。 これは、あなたが読みたいと思う物語ですか?」 「ふん。さあ、どうだかな。俺はこの話を書く気にはならんが、悪くはない結末ではある。ただ---」 ひとつ、考えるならば。 王子にその手で触れることもなく、泡と消えた人魚姫と、愛する人に救われた、愛に倦んでいた愛の女神が最後に手に入れた想いは--- 誰かを誰よりも深く愛するということだけは、きっと同じだったのかもしれない。 【HAPPY END】

17 19/05/04(土)10:53:00 No.588645204

かなり大きな抜けがあったので加筆修正しました

18 19/05/04(土)10:57:09 No.588645875

ンンンンンンンン!!

19 19/05/04(土)11:13:28 No.588648867

うん、良い…やっぱりハッピーエンドが一番だ…

20 19/05/04(土)11:27:48 No.588651654

再放送かと思ったら加筆だった!

21 19/05/04(土)11:29:25 No.588651963

前半しか読めてなかったからこれはありがたい…

22 19/05/04(土)11:29:55 No.588652076

かなり長くなりましたが一応これで完結です 何か燃料投下があったらアフター放出するかも

23 19/05/04(土)11:35:08 No.588653126

面白かった

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