ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
19/04/13(土)21:02:39 No.583450685
ジョルジェ・マルティノヴィッチ事件(ジョルジェ・マルティノヴィッチじけん)は、1985年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国のコソボ社会主義自治州にて セルビア人の農家・ジョルジェ・マルティノヴィッチが肛門へのガラス瓶の挿入による負傷の治療を受けたことに端を発し、ユーゴスラビアの政界を巻き込んだ騒動に発展した事件である。 その後長年にわたって真相は明らかになっていないが、この事件はコソボに住むアルバニア人とセルビア人の対立に大きな影響をおよぼした。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1 19/04/13(土)21:04:29 No.583451253
985年5月1日、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国・セルビア社会主義共和国のコソボ社会主義自治州の町・グニラネ / ジランにて、セルビア人の農家であるジョルジェ・マルティノヴィッチが病院に来た。 このときのマルティノヴィッチの肛門にはガラス瓶が挿入され、瓶は割れていた。マルティノヴィッチは、畑で作業していたところアルバニア語を話す2人組の男らによって攻撃されたと主張した。 しかしその後ユーゴスラビア人民軍の大佐から事情聴取を受けた時には、マスターベーション目的で自ら瓶を挿入したことを認めたと伝えられている。 公式の調査では、「検察官は書面にて結論をまとめ、それによると本件負傷者は自身の畑にて『自己満足』のための行為を行ったとみられ、木製の棒の上にビール瓶を乗せたものを地面に設置し、瓶の上に座り、楽しんだ」と報告された[1]。
2 19/04/13(土)21:05:20 No.583451485
マルティノヴィッチは後に自身の供述を撤回し、供述は3時間におよぶ尋問の中で強いられたものだとし、供述と引き換えに自分の子供たちの雇用を保障すると約束されたと述べた。 マルティノヴィッチの息子は新聞社に対して、父は単にセルビア人であるが故に攻撃されたのだとして、「アルバニア人の民族統一主義者が報復目的にやったことだと友人たちは話している。…連中は、犠牲者がセルビア人なら誰でも良かったのだ。」と述べた[1]。
3 19/04/13(土)21:06:15 No.583451788
この事件に関して、セルビアのメディアからは民族主義的・反アルバニア人的な論調が噴き出した。これはかつてないことであった。ユーゴスラビアの社会主義政府は、民族主義を公然と訴えることをタブーとし、それまでユーゴスラビアのメディアは組織的に民族主義を蔑視し続けてきた。 マルティノヴィッチの事件でそのタブーが破られたことは、ユーゴスラビアにおける民族主義の高まりを予兆させるものであり、この民族主義が後の1991年に連邦を崩壊させることとなる[1]。
4 19/04/13(土)21:07:02 No.583452031
割れた瓶で 火の上で 貫かれる 尻を しかし生き延びた ジョルジェ・マルティノヴィッチが貫かれる 奴らが踏みにじった、奴らの将来の畑を手にするための、最初の、しかし大きな一歩 阿片が切れると痛み ジョルジェ・マルティノヴィッチがやってくる 遠い過去から トルコ人の時代から 火刑場から蘇ったのだ