執着。 ... のスレッド詳細
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19/03/03(日)01:57:35 No.573372012
執着。 既に死んだ身と成ってから、その二文字へ対する感じ方が変わりつつ有ることを水野愛は感じていた。 生きてきた頃はその言葉にあまり良いイメージを持っていなかった。 それは、当然といえば当然かも知れない。 偶像《アイドル》として活動する上で、その言葉は汚れと同じ意味を孕んでいる。 アイドルたるもの、清く有るべし―― アイドルたるもの、理想であるべし―― そう生きる事を望み望まれた少女達には、何かに執着することは望まれてなど居ない。 執着という言葉は、アイドルが使うには余りにも人間的過ぎた。 では、死人が使うには、どうなのだろうか――
1 19/03/03(日)01:57:53 No.573372060
水野愛は苛立っていた。 現世に蘇ってから――いや、生きていた頃と比べてもこれ程腹の立つことは無かっただろう。 原因は分かりきっている。それは、彼女が現在所属しているアイドルグループ、「フランシュシュ」内部でにわかに流行り始めているとある「遊び」の所為であった。 巽幸太郎を噛む――それも、彼にばれないように夜中に、だ。 それが内容であった。 最初聞いた時は己の耳を疑った。二度目に聞いたときは笑い飛ばした。しかし、三度目となるとそうは行かない。愛は激しい苛立ちと不快感を覚えたのだ。 例えるならば、子供の頃抱きしめて眠った人形を泥水の中へと落とされたときに感じる不快感。愛が感じた怒りはそれをそのまま更に深く煮え滾らせた物だった。 何時もの燃え上がるような激情ではない、深く染み込んでいくような失望にも似たそれとの付き合い方を、彼女は知りはしなかった。
2 19/03/03(日)01:58:26 No.573372144
ある日の事、である。 彼女はプロデューサーである巽幸太郎の寝室に居た。 最近知ったことだが、彼は眠る時には非常に奥まった場所にある部屋を使うらしい。 そこは酷く殺風景な部屋であった。 寝具以外は古ぼけた棚と、鏡台と、大時計。生活感などありはしない、本当にただ眠るだけの部屋。そこに生きている人間の血が通っているとは思えなかった。 断りを入れておくが、愛は好き好んでこの様な部屋に足を踏み入れた訳ではない。 幸太郎に新曲の相談をする為に、彼を探しているだけである。 ――尤も、それが変わってしまった仲間達と顔を合わせない為の言い訳に過ぎないことも、彼女自身重々承知していた。
3 19/03/03(日)01:58:47 No.573372206
表面上は何一つとして変わりはしない。 しかし、日常の薄皮一枚を剥ぐとそこには何かが孕まれている。 ドクドクと脈打つそれは、重く、温く、サイケデリックであった。 愛はその存在を感じていた。 その存在を嫌悪していた。 だからこそ、彼女は距離をとった。 何時もの彼女らしからぬ事である。 しかし彼女は距離をとった。 まるで野生の獣が未確認物質から距離を取るように。 それは果たして正解なのか、それとも――
4 19/03/03(日)01:59:04 No.573372244
閑話休題。 彼女は幸太郎の寝室に居た。しかし、彼の姿は見えなかった。 それならばと即座に踵を返そうとした愛であったが、その視界の端に見過ごせない物が見えた。 古ぼけた戸棚の奥。ともすれば彼女以外は気づかなかったであろう場所。 そこにそれはあった。 それは、一枚のCDアルバムだった。 見間違えようが無い。 それは、彼女の物だ。 アイアンフリルのCDだったのだから。
5 19/03/03(日)01:59:44 No.573372344
「何これ……」 引き寄せられるようにして、愛はそれを手にとった。棚に飾られているように置かれたそれは、この部屋で唯一生命を感じるものの様にさえ感じられた。 それは埃一つ被っては居ない。愛が嘗て、十年前にサンプルとして見たものそのままのものが其処にあった。 何故これが? そう思う愛の耳に、カツリと音が聞こえた。 「何をしている」 巽幸太郎の声である。愛はこのCDについて問いただそうと振り向いた。 瞬間、彼女の全身から――死者に対して適切な言葉かどうかは分からないが――血の気が引いた。 そこにいるのは亡霊だった。そうとしか言いようがなかった。 逆光だったから彼の姿に影がかかっていたとか、彼が微動だにしなかったとか、そういった物が理由でないことは愛にも分かった。 ただ、ぼっかりと。世界に空いた穴のように。それは其処に居た。 勿論それは巽幸太郎その人であるのだ。その人でない訳がないのだ。
6 19/03/03(日)02:00:05 No.573372407
それを理解している愛は喉の奥から言葉を滲み出させる。 「あの、新曲で、話があって――これ、見つけて」 影の視線が愛の差し出した手元にあるそれを見た。 直様彼は言った。 「それを元に戻せ」 先ほどと変わらないトーンの声だった。 だと言うのに、隠し切れない悍ましさが潜んでいた。 愛の頭が真っ白になる。 彼に問いただしたい思考と彼に怯えた肉体が乖離し、ちぐはぐな動作を行う。 当然、それが正しい結果を生み出すはずもない。 アルバムが落ちた。 それに愛が気付いたのは、ガシャンと言う音を聞いた後だった。 視線を下に向けると、無数の破片が煌めいている。 キラキラと砕け散った嘗ての栄光。 愛は慌ててそれに手を伸ばした――
7 19/03/03(日)02:00:32 No.573372483
「触るな!」
8 19/03/03(日)02:00:43 No.573372515
怒声が響いた。今まで聞いたことのない声色だった。 ピタリと、愛が動きを止める。 幸太郎はそれ以上何も言わずに、彼女の目の前に立った。 ――打たれる とっさに愛はそう思った。 しかし幸太郎は愛に何もしなかった。その目は彼女には向けられてなど居なかった。 彼はしゃがみ込み、砕け散った破片を拾い集め始める。 その指先から、紅い雫が滴っていた。 「ゾンビィの身体に破片が入ったらどうするんじゃい」 呆然と、魂を奪われたように彼の指先を凝視していた愛に、彼は言った。 その声色は、彼女の知っている巽幸太郎の物だった。
9 19/03/03(日)02:01:07 No.573372588
数分後、隣の部屋で愛と幸太郎は向き合っていた。 作業室らしきそこで、二人は品の良い椅子に腰掛けている。 暫くの間、沈黙が続いていた。 先に口を開いたのは愛だった。 「あれは、何?」 あれとは勿論、アルバムである。 愛の問に、暫く幸太郎は答えなかった。黒々とした遮光眼鏡が、愛の顔を映し出している。 業を煮やした愛は、更に言葉を続けた。 「なんでアイアンフリルのアルバムがあんなところにあったの? なんで宝物みたいに置かれてたの?」 ――私達のファンだったの? そう言いかけた口を、慌てて塞いだ。 それは違う気がしたからだ。そうするには、余りにも悍ましい何かが詰まっているような気がしたのだ。そう考えるには、余りにも彼は虚空を見つめていたのだ。 長い、長い時間が経った。 隣の部屋から大時計の鐘が鳴った。
10 19/03/03(日)02:01:24 No.573372635
彼は、漸く口を開いた。 「遺品だ」 遺品。と、愛はその言葉を口の中で転がした。飲み込むには、重すぎる。 「昔の知り合いの遺品だ。受け取って、捨てることも出来ずに置いていた品だ」 「……誰の?」 ほんの一瞬、一人の少女の笑顔が浮かんだ。それが誰か確認する前に影に隠れてしまったが、その一瞬の懸念が、愛の中で重苦しく蜷局を巻いていた。 「お前の知らない男だ」 男。と幸太郎が言った。 愛は何も言い返さなかった。 代わりに、一つの問を投げかけた。 「その人は、ファンだったの」 「……多分な」と、幸太郎は俯いた。 その瞬間、形の見えない蜷局を巻いた何かが、愛の口から吐いて出てくる。 「だから私を選んだの?」
11 19/03/03(日)02:01:51 No.573372711
言葉にすると、蜷局を巻いたそれが燃え上がっていく様な気がした。 どうしようも無い怒りが湧き上がってくる気がした。 今までのものとも、先程までのものとも違う、冷たく湿った怒りだった。 「私が『伝説』だったから? 私が『思い出』だったから? それって――」 「馬鹿を言うな」 幸太郎がピシャリと言った。有無を言わせない声色だった。 「思い出で佐賀が救えるかバカタレ」 そう言って、彼は顔を上げた。 遮光眼鏡に隠れた目と合った気がした。 「水野愛」と、彼は囁いた。「お前は誰だ」
12 19/03/03(日)02:02:04 No.573372736
まるでそれは、彼の遮光眼鏡に映った愛自身が囁いているようだった。 「アイドル」 愛は答えた。迷う気は起きなかった。 幸太郎は頷いた。愛の鏡像がブレる。 「それが答えた」 幸太郎が立ち上がった。指先の傷はとうに乾いていた。 「もう一度世界にお前を刻め」 パタンと扉が閉じられた。 愛も立ち上がることにした。
13 19/03/03(日)02:02:17 No.573372768
その夜の話である。 月が燦然と輝いている。 忍び込んだ彼の寝室は、痛いほどの静寂に包まれていた。 寝台に向かう愛の視線の端に、月の光を反射して鈍く輝くアルバムが見えた。 それはセロテープで不器用に直されて、飾られていた。 愛はそれきりアルバムを見ることは無かった。 目的は別にあった。 乱暴な手付きで彼の布団を剥ぎ、寝間着をずらす。 目に飛び込んできたのは、墓標だった。 彼の肩から腕にかけて刻まれた歯型。それが愛の目にはどうしようもなく墓標の様に映った。 死者達が生きた証を残す為の傷。偶々、刻んでいるのが石ではなく人間の身体だと言うだけなのだ。 愛は一度だけ息を吸った。 吐く時には噛み付いていた。 瞬間、彼女は後悔した。
14 19/03/03(日)02:02:39 No.573372821
噛んだ事に対してではない。 噛まなかった事に対してである。
15 19/03/03(日)02:02:57 No.573372868
――何故、今までやらなかったのだろう! 脳髄を甘く焦がして行く快楽信号。背筋を走る背徳感。指先を伝う興奮。 何故、どうして私はこれを見過ごしていたのだろう。 どうして皆はこれを教えてくれなかったのだろう。 瞬間、理不尽で腹立たしい怒りが鎌首をもたげ、しかしそれすらも快楽に押し流されていく。 彼から口を離す。 全身が熱を発しているような錯覚さえ感じていた。 止まった心臓が動いているような錯覚さえ感じた。 漏れ出す笑みを、笑い声を、抑えるのに酷く苦労した。 しかしどうして笑わずに居られよう? そこに愛が求めていた全てが在ったのだ。 思い出ではない、伝説ではない、水野愛の証が、其処に在るのだ。 世界中の全てのスポットライトが自分を照らしている気がした。 愛はもう一度噛み付こうとして、一瞬だけ止まる。
16 19/03/03(日)02:03:23 No.573372922
一夜に噛むのは一度切り。 そういう取り決めだった。 だが、もう一度愛は噛み付いた。 今までの分を取り戻すだけ。そんな拙い嘘で自分を誤魔化した。 死人は執着を持って現世に舞い戻る。 そうでなければどうしてこの世に居られよう? 愛にとってもそれは同じだった。 今の愛にとって、執着とは脈打つ心臓と大差なかった。 思い出では居たくない。まだ手を伸ばしたい。 私を見て。
17 19/03/03(日)02:04:02 No.573373016
私は此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。 此処に居る。
18 19/03/03(日)02:04:28 No.573373086
ここに
19 19/03/03(日)02:08:08 No.573373683
su2923099.txt 今まで書いたものでありんす イメージモチーフはアイ・アム・レジェンドもしくは流血鬼でありんす 自分なりの水野愛憎でありんすなあ 以上です。
20 19/03/03(日)02:09:26 No.573373851
このシリーズ好きでありんす… サンキュー乾はん、サンキューでありんす
21 19/03/03(日)02:10:13 No.573373971
存在を刻み付けなんし…!
22 19/03/03(日)02:13:39 No.573374457
存在の証…
23 19/03/03(日)02:15:05 No.573374644
よか…
24 19/03/03(日)02:19:40 No.573375206
サンキューでありんスゥー…
25 19/03/03(日)02:21:25 No.573375477
巽は乾くんの亡霊…かもしれない
26 19/03/03(日)02:25:25 No.573375992
寝る前に良いもんが読めた
27 19/03/03(日)02:28:43 No.573376409
最初に噛み始めたのは誰なんだろうな…
28 19/03/03(日)02:29:18 No.573376491
さくら…かな
29 19/03/03(日)02:32:42 No.573376936
これはアレですね ピュアな想いですね
30 19/03/03(日)02:34:47 No.573377183
ゾンビだから生者を襲うのはしょうがないことなんだ…
31 19/03/03(日)02:40:16 No.573377784
きっと愛ちゃんのパフォーマンスはますます向上することだろう
32 19/03/03(日)02:41:34 No.573377931
ゾンビとして正しい姿でいる時が生きた証になってるとは何とも皮肉である
33 19/03/03(日)02:46:54 No.573378481
よか…(スゥー
34 19/03/03(日)02:49:35 No.573378793
ゾンビの存在が巽をこの世に繋ぎ止めてるのかもしれない 噛み跡は巽にとっても生きる証になってるかもしれない…
35 19/03/03(日)02:55:25 No.573379424
サンキュー乾が噛まれてるの久しぶりに見た 最初に噛みだしたのはさくら純子あたりだろうな…
36 19/03/03(日)02:55:29 No.573379433
切ないでありんす…
37 19/03/03(日)02:58:45 No.573379728
わっち、サンキュー乾はんの書く文章好き!
38 19/03/03(日)03:04:33 No.573380308
>最初に噛みだしたのはさくら純子あたりだろうな… 他も最初聞いたときは愛ちゃんみたいに驚いたり笑ったりしてたんだろうな
39 19/03/03(日)03:07:24 No.573380569
よかったい
40 19/03/03(日)03:10:36 No.573380877
よか
41 19/03/03(日)03:15:21 No.573381323
あるいはたえちゃんが最初にやって それを目撃したさくらちゃんにも得も言われぬ衝動が沸き上がって気づけばやってしまったとか
42 19/03/03(日)03:20:00 No.573381742
たえちゃんは一晩に一回噛むってルールを守れるんだろうか