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19/03/02(土)22:46:14 No.573318859
くぁ、と大きなあくびをひとつ。 幸太郎は寝癖のついた頭をがしがしと掻きながら朝食をとるために居間に向かっていた。 普段は怪しげなテンションながらも肩で風切る姿勢も威勢も良い男であるが、 遅くまで仕事をしていた寝不足の朝ともなれば流石に背中も丸くなる。 まぁ、朝と言っても既にNHKの連続テレビ小説も終わってしまった時間なのだが。 と。 ふと、庭に目がゆく。 そこでは純子が物干し竿に洗濯物を干していた。 この洋館の家事は当番制だ。 ただし、多忙を極める幸太郎を除くフランシュシュのメンバーで回っているものである。
1 19/03/02(土)22:46:26 No.573318918
今日の洗濯当番は純子だったか。 幸太郎はなんとなく立ち止まってそれを眺めることにした。 男女8人もの洗濯物といえばかなりの量になりそうなものだが、 そこは普段着がある程度着回しの利く制服の類なので実のところそうでもない。 とはいえ、それでも肌着やジャージ、タオルや寝間着にシャツと 洗濯カゴがふたつ、軽く一杯になってしまうほどではある。 純子はそれをてきぱきと捌いていた。 食事当番は言うに及ばず、洗濯物にも家事スキルの差というものは結構露骨に現れるものだ。 衣類を洗濯機に放り込めばそれで済むと思うなかれ。洗濯とは汚れを落とすだけではない。 干す畳むアイロンをかけると機械任せにできない作業の方が多いのである。 サキなんかはその辺り持ち前のガサツさが災いしてなかなかシワを無くすことができずにいるが、 その点、純子は任せて安心だ。
2 19/03/02(土)22:46:39 No.573318984
白百合をあしらったエプロンを身につけるその姿は、下に着ている古風なセーラー服も相まって さながら共働きの家の手伝いをしている中学生の娘さんといった所だろうか。 ……普通こういう時のたとえには若奥様とか新婚さんが定番なのだろうが、 いかんせん純子は奥さんと呼ぶにはちょっと容姿も体格も少女過ぎる。 そんな彼女は享年19歳。ほんと、逆サバ読んでるんじゃないかと何度疑ったことか。 しかしまぁ、それ以上に、純子が家事をしている姿を見るたび毎度毎度思うことがある。 ―――ああやってエプロンつけてちょこまか働いてるのががばい似合うなあいつは。 ……やーらしか。 幸太郎は自らの頭を二、三度小突いた。 まだ意識が目覚めきっていないらしい。妙なモヤがかかっているようだ。 「―――、――――――、―――♪」 そして、気付いた。純子が小声で、何か歌っている。 あれは……。
3 19/03/02(土)22:46:51 No.573319052
「あ、巽さん。お―――ひゃあああああ!?」 庭まで降りきた幸太郎に純子はにっこりと笑いかけ、次いでハッとなって悲鳴を上げた。 「おう、純子。おひゃあ」 「お、お、おはようございますって言おうとしたんです!いつからいらしたんですか!?」 「お前がたえのTシャツ干してた辺りからかのう」 「たえさんの……って、だいぶ前じゃないですか!」 「おう。お前の歌を独占できるとは贅沢な朝じゃい」 「……や、やっぱり聞いてたんですね………」 純子はかああっ、と顔を赤くして手にしていた洗濯物で顔を隠した。 そして、それが誰かの下着であることに気付いて、 ますます赤くなって慌ててカゴに放り込む。お約束である。
4 19/03/02(土)22:47:03 No.573319125
ちなみに、女所帯のこの洋館。 分けて洗濯しろとまでは言わないが、幸太郎の目に映る場所で下着を干すのは アイドル的に、というか女の子的に余りにもあんまりだと 初めのうちは下着類だけでも色々工夫して隠すように洗濯していた時期もあった。 が、それも今ではもう色々慣れたのか面倒になったのか同じピンチハンガーに並んで吊り下げられている。 信頼され、気を許されている証拠だろうがいいのかそれでと幸太郎の方が思わなくもない。 無論、言及するとそれだけで顔面にフランスパンがめり込む惨劇になるのは必至なので 幸太郎はこの件には完全にノータッチアンドノーコメントである。 一応、じろじろ見たら目を潰すと硬く言いつけられているので今も直視はしていないし。 ……まぁ、と言ってもどうせサングラスで視線はわからないのだから結局は信頼の話になるのだが。 閑話休題。
5 19/03/02(土)22:47:18 No.573319193
「『昭和の伝説』紺野純子の本来の歌声、だな」 その声にわずかに寂しげなニュアンスが含まれていることに気付いて、純子はきょとんとした。 確かにさっきまで歌っていたのは純子が生前、 まだブラウン管の向こう側のアイドルをやっていた頃の歌だったが――― 「あ」 と、純子はそこで目を丸く見開いた。 「ち、違いますよ。どちらかというと今の――― フランシュシュ4号としての方が、私の元々の歌い方ですから」 「……そうなのか?」 フランシュシュ4号。 アイドルグループ・フランシュシュの中でも随一の歌唱力を持つ彼女の特徴は、 何と言ってもその可憐でたおやかな容姿とは相反する低く力強い歌声である。
6 19/03/02(土)22:47:32 No.573319277
初めて聞けば誰もが驚き、そのギャップに虜となる彼女の歌だが、 何を隠そう真の意味で最も驚いていたのが幸太郎だった。 というのも生前の紺野純子は容姿そのままの、 甘く可愛らしい歌声でお茶の間を魅了していたアイドルだったのだ。 「別人を蘇らせてしまったのかと一時は焦ったほどじゃい」 「そ、それはその―――4号としてのデビューは、突然のことでしたので……つい」 「……まあ、な」 純子が4号として初めてまともにこのゾンビィランドサガプロジェクトの活動に参加したのは、 確かゲリラライブの時だったか。 それもあの頃はろくに練習にも参加しないまま、 ぎこちないさくらたちの様子を見てつい飛び込んでしまった様子だった。 それは愛も同じだが、純子の場合は昭和の歌謡曲とは曲調もダンスの振りも何もかも違うのに加え、 はじめて『ぼっち』でないアイドル活動ということもあって とっさに『地』が出てしまったといったところだろう。
7 19/03/02(土)22:47:46 No.573319362
「それからも、特に歌に関しては何も言われませんでしたし……」 「……そりゃ、お前の歌にケチつける要素なんかひとつもありゃせんからな」 ぽりぽり顎を掻きながら言うと、純子は何故か目を丸くしていた。 「何を驚いとるんじゃい。ライブのアンケでもお前の歌に惚れたってヤツが何通もあったろ」 「い、いえ、はい。ありがたいことに、それはそうなんですけど……」 純子ははにかんで、しかし少しだけ表情を暗くして俯いた。 「今まで巽さんが何も言わないからずっとこれでもいいのかなと思ってここまできましたけど、 ホントは私の歌、昔の先生にはあまり評判良くなかったんですよ」 「……まじか?」 「まじです」 純子は困ったように眉を寄せて、少しだけ笑った。 「さすがに音痴だって言われたことは、一度もありませんでしたけどね。 男みたいな歌い方をするなって、散々きつく言われました。 私の歌は、『紺野純子』に相応しいものじゃなかった。……そういうことなんでしょう」
8 19/03/02(土)22:48:01 No.573319447
幸太郎は――― 「………………………そうか」 それだけを言って、曖昧に頷いた。 純子に同情するのは簡単だ。だがそれ以上に、プロデューサーとして納得できてしまう自分がいる。 アイドルとは今も昔もイメージの商売だ。 今でこそ可憐な純子が持つチェストボイスはイメージのギャップでファンを楽しませているが、 そもイメージのギャップとは、前提として王道が無ければ困惑しか生まれない。 何のことはない。『紺野純子』はその王道になるべく育成されたアイドルだったのだ。 純子が元々持っていた歌声は、そこには不要と切り捨てられた。 聞けば眉をひそめるような話だが、これも幸太郎にとっては高く評価するよりない判断である。 何故なら、幸太郎は知っているからだ。 純子の後ろに何十人ものアイドルが続いたことを。 純子のように、可憐で可愛らしい歌声を携えて―――。
9 19/03/02(土)22:48:17 No.573319534
80年台アイドルブームの火付け役。昭和の伝説、紺野純子。 たとえそれが、純子本来の歌声を否定された上で築かれたモノであったとしても、 今現在その礎の上に立つ全てのアイドル関係者に、それを悪だと断ずる資格はない。 ……サガロック前、アイドルのあり方について愛と衝突したことを思い出す。 至らなさすらありのままの自分という輝きに変えてファンを掴んでいった平成アイドルと、 本来の歌声を押し殺してでも偶像としての完成度を高め磨き上げていった昭和アイドル。 まさに水と油。思えば、双方の対立は必然だったのだ。 「だが、今はそうじゃない。 お前の歌はこの時代に受け入れられ、今やフランシュシュにはなくてはならない存在だ。 ―――よかったのう、ゾンビィになって。俺に目一杯感謝することじゃい」 「……はい!」 冗談めかした言葉だったが、目尻に涙さえ浮かべてそう微笑まれては 幸太郎もかえって照れくさくなってしまう。
10 19/03/02(土)22:48:31 No.573319612
困ったので、とりあえず純子の頭をぽんぽんと撫でることにした。 「は、恥ずかしいです……」 「っと、すまん。つい、な」 頬を染めてきゅっと目を閉じてしまった純子に慌てて手を離した幸太郎であるが、 「あ……」 途端に見せた寂しそうな顔に苦笑した。 そこでもっと撫でてほしいとは言わないのが純子だ。 ただし、目は口ほどに物を言うということわざをこの上なく体現するのも純子である。 そんな顔では、おねだりしているのと変わらない。 幸太郎はしばらくの間、ふわふわと純子の髪の感触を楽しむことにした。 今日日、頭を撫でるだけでもセクハラだ何だと言われるご時世であるが――― 「………うふふ♪」 ……まあ、喜んでくれるなら別にいいだろう。
11 19/03/02(土)22:48:44 No.573319661
「純子ー、まだ終わらない?手伝おうか―――って」 ひょっこりと愛が顔を出し、幸太郎と純子は慌ててしゅばっと距離を取った。 しかし、ちょっと遅かったらしい。 愛の動体視力は伊達ではなく、いかがわしいものを見たかのように目を鋭く尖らせている。 「……なにやってんのよ、アンタたち」 「別に何もしとりゃせんが!?のう純子さん」 「は、はい。そうですね巽さん……」 「純子、コイツにヘンなことされたらすぐ言うのよ。すぐにフランスパンするから」 「わしゃ何もせんわい!」 「……しないんですか?」 「せん!」 「………………………」
12 19/03/02(土)22:48:57 No.573319739
「アンタ存在自体が怪しいんだからせめて言動には気をつけなさいよ。 純子も、嫌なら嫌ってちゃんと言わないとダメなんだからね」 「大丈夫ですよ、愛さん。嫌ならちゃんと言いますから。……嫌なら」 「そう?ならいいけど……」 「もっと信用せんかいボケェ。俺プロデューサーよ?」 形の良い眉をハの字に下げる幸太郎。 しかし……微笑ましくもある。 かつては正反対の、水と油と例えられた純子と愛。 だが、考えてみれば水と油は別段決して混ざり合わない存在というわけではない。 乳化という現象がある。 料理を嗜んだことのある者なら誰でも一度は聞いたことがあるだろう。 マヨネーズ、バター、マーガリン、アイスクリーム…… 食品に限らず、たとえば化粧品のクリームや乳液などもそうだが、 『水と油が入り混じった』状態にあるモノは身の回りに溢れている。
13 19/03/02(土)22:49:11 No.573319814
そしてフランシュシュもまた、今や水と油が高いレベルで乳化されていると言えよう。 ……どっちが水でどっちが油だろうか。 やっぱ純子が水で愛が油じゃろか。こいつ肉好きだし。 「……なんか失礼なこと考えてない?」 「考えてません。今日の飯当番はお前だったな、油。朝飯あるか?」 「残念、ついさっきお茶碗洗っちゃったところよ。アンタ起きてくるの遅いから。 ……今油って言わなかった?なんなの?」 「じゃあ適当にパンでも食うか」 「待ちなさい。お味噌汁もご飯も残してあるから。あとは―――ああもう、面倒くさい。 純子、悪いけど私コイツにご飯食べさせてくるから」 「え、はい……行ってらっしゃい」 「悪いのう、愛さんや」 「mattakuよ。食べるならちゃんと起きてよね、もう」
14 19/03/02(土)22:49:25 No.573319901
肩を怒らせながら屋敷に戻る愛の後ろから、幸太郎が続く。 その背中に、声が掛けられた。 「巽さん」 「あん?」 振り返ると―――そこに伝説がいた。 ステージは庭先、衣装はセーラー服とエプロンだったがその歌は、 砂糖菓子のように甘くとろける声はまさしくVHSで観た歌番組そのまま――― いや、生のそれは雑音の混じった録画のものとは比べ物にならない。 「―――――――――♪」 ……それは、『アツクナレ』の一節だった。 サガロックで愛が雷に怯えてうずくまってしまった時、抜群のタイミングでフォローを入れたあの一節。 それを昭和風のテンポにアレンジし、純子だけのものとして口ずさんだ歌―――。
15 19/03/02(土)22:49:41 No.573319980
「――――――………」 そして、数秒の、空白。 「ど……どうですか?」 「……え、ああ。おう。そういうアレンジも、悪かないのう」 まるで白昼夢から覚めたようにハッとなって、幸太郎は戸惑いながらも頷いた。 純子もまた、今度はきちんとバスタオルで赤くなった顔を隠して、 一言小さく謝ると洗濯物を干す作業に戻った。 「………………………」 なんだったのだろうか、さっきのは。 こういう歌い方もできるというアピール……のようなそうでないような。 まぁ、幅広い歌唱力は純子の武器だ。他のメンバーとの調整次第だが、 今一度、昭和の伝説をステージの上で完全復活させるのも悪くはないかも知れない。 が。 ……だとしても、どうして今、唐突に歌ったのかいまいち意味がわからない。
16 19/03/02(土)22:49:57 [おしまい] No.573320065
「………………………何が耐えきれないんじゃい」 幸太郎は首を傾げた。 考えてもきっとわからないであろうことは承知だったが、 幸太郎はその後しばらく、少なくとも愛が用意した朝食を食べている間中ずっと、 もやもやと純子のことを考え続けることになる。
17 19/03/02(土)22:53:19 No.573321138
これはよか…
18 19/03/02(土)22:55:42 No.573321854
>「考えてません。今日の飯当番はお前だったな、油。朝飯あるか?」 ひどい!
19 19/03/02(土)22:56:27 No.573322081
生活感溢れる描写好き…
20 19/03/02(土)22:56:53 No.573322219
アーーーーーーーーッス!!!!!!
21 19/03/02(土)22:57:59 No.573322521
かわいい…かわいい…
22 19/03/02(土)22:58:43 No.573322748
水野愛なんだから水でしょうが!
23 19/03/02(土)22:59:14 [sage] No.573322896
おまけです su2922606.txt
24 19/03/02(土)23:00:01 No.573323137
はいお前ら全員かわいい
25 19/03/02(土)23:02:09 No.573323793
生活感ある描写いいよね俺も好き
26 19/03/02(土)23:02:22 No.573323862
>幸太郎はしばらくの間、ふわふわと純子の髪の感触を楽しむことにした。 ここだけ1時間くらい見てたいでありんすな…
27 19/03/02(土)23:02:41 No.573323944
おまけがひどいでありんす…
28 19/03/02(土)23:03:32 No.573324253
超大作でありんす…
29 19/03/02(土)23:03:32 No.573324255
>su2922606.txt 「」くらはん!!!!!
30 19/03/02(土)23:05:17 No.573324891
こう当番制になってたりとかそういうの見たかったんだ…
31 19/03/02(土)23:06:10 No.573325215
昭和アレンジを聞いてたら愛はんの反応も気になるやつでありんすな
32 19/03/02(土)23:06:24 No.573325292
やーらしか19歳ばい
33 19/03/02(土)23:06:47 No.573325448
「」っち!!ぶち壊しでありんす!!
34 19/03/02(土)23:09:14 No.573326350
はいお前かわいい
35 19/03/02(土)23:09:43 No.573326493
ふふふこれはこういうのもっとくれというサインだよ
36 19/03/02(土)23:10:13 No.573326644
>「待ちなさい。お味噌汁もご飯も残してあるから。あとは―――ああもう、面倒くさい。 > 純子、悪いけど私コイツにご飯食べさせてくるから」 >「え、はい……行ってらっしゃい」 >「悪いのう、愛さんや」 >「mattakuよ。食べるならちゃんと起きてよね、もう」 この妙に近い距離感は確かに耐えきれない
37 19/03/02(土)23:11:25 No.573327031
よか…よか…!!! ブラボー!!!!
38 19/03/02(土)23:15:39 No.573328389
油はん!
39 19/03/02(土)23:16:44 No.573328712
これはアツクナレの昭和アレンジ風by4号のシングルのコマーシャルですか?
40 19/03/02(土)23:18:10 No.573329164
読みふけってしまった最高すぎるわ
41 19/03/02(土)23:19:08 No.573329447
>困ったので、とりあえず純子の頭をぽんぽんと撫でることにした。 あーーーーーー わっちの止まってた心臓ときめいちゃったよーーーー
42 19/03/02(土)23:19:22 No.573329522
あっ…スゥー…
43 19/03/02(土)23:20:24 No.573329847
あれ、おまけ? ゆうぎりさんなの??
44 19/03/02(土)23:22:16 No.573330359
よか…
45 19/03/02(土)23:23:40 No.573330745
水も油もやーらしか
46 19/03/02(土)23:25:09 No.573331180
フランシュシュはファミリーだ…
47 19/03/02(土)23:28:59 No.573332233
>もやもやと純子のことを考え続けることになる。 恋ですね。。。
48 19/03/02(土)23:29:22 No.573332318
とてもいい
49 19/03/02(土)23:29:31 No.573332357
おねだり純子ちゃんやーらしかすぎる…
50 19/03/02(土)23:44:54 No.573337262
純子ちゃんすげーふわふわしてそう