ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
18/02/28(水)01:30:02 No.487870812
SS「船底の人魚姫」
1 18/02/28(水)01:31:40 No.487871064
「あたいは歌手になるのが夢なんですよ」 ある日、フリントはお銀に対しそう言った。 「今はこんな船底で一人歌っているけどさ、いつかは陸の上の大きなステージで大々的に歌ってみたいんです」 そう語るフリントの目がとても輝いていたのを、お銀は今でも鮮明に覚えている。 だからお銀は言った。 「そうだな。フリントなら必ずなれるよ、歌手に」 お銀がそう言うと、フリントは顔いっぱいに笑顔を浮かべた。 「そうですかねぇ……親分にそう言われると、本当にそうなれる気がしてきますね、へへへ……」 フリントは照れながら自分の頭をかいた。 そのときのフリントは、間違いなく未来への希望に満ちていた。 だからこそ―― 「…………」 お銀は、今のフリントが見ていられなかった。 フリントの部屋は荒れに荒れていた。 部屋中に酒瓶やビールの空き缶が散乱し、かつては喉や肺に悪いと外の喫煙所すら避けていた煙草の吸い殻が、山のように盛り上がっている。
2 18/02/28(水)01:31:56 No.487871113
「…………」 フリントは部屋の片隅で電気もつけずに、酒を飲み煙草を吸い続ける。 部屋は殆ど掃除されておらず、ホコリが部屋中で飛んでいる。 「……フリント、もうその辺にしたほうが……」 「……っ!」 お銀がそう声をかけると、フリントはお銀を睨んできた。 そのフリントに言葉はない。いや、言葉を話すことができないのだ。 なぜなら、今のフリントは声を失ってしまったのだから。 「フリント……」 フリントがどうしてこうなってしまったのか。 それは、数年前に時間を遡る。
3 18/02/28(水)01:32:21 No.487871175
◇◆◇◆◇ 「漕いで~漕いで~」 その日もフリントは、バー『どん底』で美声を披露していた。 『どん底』にいるメンバーは、そのフリントの声を聞きながら各々のやりたい事をやっている。 ラムはノンアルコール酒を飲み、ムラカミはソファーでくつろぎ、カトラスはグラスを拭いている。 「よう、みんな元気かい」 と、そこにお銀が『どん底』に入店してきた。 歌っているフリント以外の三人が、軽く手を上げて応える。 そして、お銀はそのままバーのカウンターに座り、カトラスからノンアルコール酒を貰いそれに口をつけ、フリントの歌に耳を傾ける。 フリントの歌はバーのBGMのようになっていた。 もはやあるのが自然であり、しかし誰もがその音色に身を任せていた。 そうしているうちに、フリントが一曲を歌い終える。 そのフリントに、お銀は話しかけた。
4 18/02/28(水)01:32:46 No.487871233
「ようフリント、今日もいい歌だったよ」 「親分! ありがとうございます」 フリントは嬉しそうに頭を下げる。 「最近は随分と調子がいいじゃないか。やはりあれかい。陸の上で歌えるから気合がはいっているのか?」 「ええまあ……まだまだ小さい舞台ですが、あたいにとっては夢の第一歩ですからね」 フリントがお銀に対し笑いながら言う。 「しかし凄いよな、歌声が認められて陸の上に招待だなんて」 「私も鼻が高いよー」 「ラムは何もしていない……」 ムラカミ、ラム、カトラスが続けて言った。 フリントはその歌声を認められて、学園艦の上で行われる祭りのイベントで歌う機会を与えられていたのだ。 そのことで、ここ最近のフリントはとても機嫌が良かった。 「ふふっ、ありがとうみんな。これも、私の歌を陸の上に広めてくれた桃さんのおかげだ。ちゃんとあとでお礼を言っておかないと」 「そうだぞ。私達がこうして生活できるのも、フリントが陸の上で歌えるのも全部桃さんのおかげなんだ。あとでみんなでお礼を言いにいこうな」 『はい!』
5 18/02/28(水)01:33:05 No.487871289
お銀の言葉に四人の声が揃った。 その様子に、お銀はふふっと笑う。 「しかしフリント、浮かれてばかりではだめだぞ。お前の活躍を妬むやつだって、この船底にはいるんだ。何をされるかわかったもんじゃないぞ」 「大丈夫ですよ親分。そんなみみっちい妬みをするような奴、怖くなんてありませんよ。それに、万が一襲われてもムラカミが守ってくれますしねー。なあムラカミ?」 「おいおい人を勝手にボディガードみたいな扱いにするなよ! ま、そんな肝っ玉の小さいやつがいたら確かに許してはおかないがな」 「おお、さすが頼りがいがあるなあムラカミは。ま、この船底で私達を敵に回そうってやつがいるとも思えないけどね」 「そういう油断が命取りになるんだぞ。……まあ、確かに私もそう思うけどね」 「違いない、はははははっ!」 ラムの笑い声がバーに響き渡り、やがてその笑い声につられて他の面々も笑い出す。 そうして笑いながらも、フリントはいざ来る日のことを思い、静かに胸を高鳴らせていたのであった。
6 18/02/28(水)01:33:30 No.487871364
「ありがとうございましたー! 船舶科から、大波のフリントさんでしたー!」 大洗女子学園の放送部員の声が高らかに学園艦の広場に響き渡る。 フリントは、学園艦の上で見事に歌いきった。 大きなステージの上に立つフリントに、万雷の拍手が浴びせかけられる。 「フリントー! よかったぞー!」 フリントにひときわ大きな声をかけたのはお銀だった。 お銀は、マークⅣ戦車の上に仁王立ちし、旗を振ってフリントを祝っていた。 その様子に、フリントは少し顔を赤くしながらも、それ以上にお銀の気持ちが嬉しく胸が暖かい気持ちでいっぱいになった。 「みんなー! ありがとうー!」 フリントはステージの上から彼女のために来てくれた客の生徒達に手を振って応える。 誰もがフリントを讃えていた。フリントもそれに答えた。 会場は、大きな一体感に包まれていた。 その一体感のある会場の中で、フリントは惜しまれながらもステージを降りる。 そして、一人ステージ横に用意された簡易な楽屋に入っていった。 「ふぅ……」
7 18/02/28(水)01:34:02 No.487871444
フリントは用意されたパイプ椅子にどっしりと腰を下ろす。 「とても気持ちよく歌えたなぁ……」 フリントの顔は恍惚としていた。 彼女はステージの上で何曲も歌を歌った。その歌一つ一つに、魂を込めた。 その結果、フリントは今までで一番気持ちよく歌えたと思った。 「本当にいいステージだった……それにしても、喉が乾いたな……」 フリントは近くに置いてあったお茶の入ったペットボトルを手にし、それを口に含み飲み込む。 その瞬間だった。 「っ!? うっ、うぐっ……!?」 フリントの喉に、激痛が走った。 そのあまりの痛みにフリントは口を押さえて立ち上がり、飲んだばかりのお茶を吐き出そうとした。 「おえっ……! おええええっ……!」 しかし、いくら吐いても激痛は収まらない。 とうとうフリントはその痛みに耐えることができず、床に倒れてしまう。 「あ……あ……!」
8 18/02/28(水)01:34:21 No.487871484
フリントは喉を抑えながら悶える。フリントが手折れた衝撃により、床には先程フリントが口にしたお茶が倒れこぼれていた。 「だれ……か……!」 フリントはそんな状況でも必死に助けを求めようとする。 だが、そこで気づいた。 声を出そうとするたびに喉に激痛が走り、声が出せないのだ。 「……っ!? そ……んな……!?」 ヒューヒューというかすれ声だけが喉から発せられ、声らしい声が出せなくなってしまっていた。 「……っ! ……っ!」 「おーいフリント、調子はどう……フリント!? どうした!?」 そんなとき、楽屋にお銀が入ってきて、床に倒れているフリントを発見した。 お銀はすぐさまフリントに駆け寄り、彼女を抱き上げる。 「フリント! フリント!」 「……! ……!」 「誰か! 誰かーっ!」 お銀は大声で人を呼ぶ。その声に反応して、多くのスタッフが集まってきた。
9 18/02/28(水)01:34:38 No.487871529
そしてそのまま、フリントは学園艦の上にある病院に運ばれていった。その間、フリントはずっと激痛に苦しんだのであった……。 ◇◆◇◆◇ 「劇薬によって喉に極度の炎症が引き起こされたようです。治療はしましたが、後遺症として今後満足に声を出すことはできないでしょう」 それが、フリントが医者から言われた絶望的な言葉だった。 フリントの喉は完全に焼けてしまい、もう満足に声を出すことはできないと言うのだ。 それは、歌手を目指していたフリントには受け入れ難い事実だった。 その言葉を聞いたとき、フリントは荒れに荒れた。 医者に掴みかかり、暴言を浴びせかけようとした。 しかし、その度にヒューヒューと喉からかすれた音が出るばかりで、声を出せないことが、フリントがもう声を出すことができないという現実を突きつけられているようであった。
10 18/02/28(水)01:34:53 No.487871562
その後、フリントは取り押さえられ、鎮静剤を打たれて眠らされた。 そして起きたときに再び現実に体面し、泣いた。 ――どうして、どうしてあたいがこんな目に……! フリントがいくら涙を流しても、その口から泣き声が出ることはなかった。 そのため、声は出ていないのに顔は涙でぐちゃぐちゃになるという、他人から見たら奇妙な姿にフリントはなっていた。 ――どうして……どうしてどうしてどうして……! フリントのその苦悶事態への問いは簡単なものではあった。 それは、見舞いに来た河嶋桃から伝えられた。 「フリント……大丈夫か……」 「…………」 「そ、そうか。喋ることができないもんな。聞いた私が悪かった……。それで、その、お前の喉が焼かれた原因なんだが……分かった」 「……!」 「なんでも、下層にいる船舶科の生徒の一人が、お前を妬んでこっそりとお茶に劇薬を盛ったらしい……同じ下層の生徒なのに、持て囃されて陸の上に上がるのが許せなかったとかで……そのことが発覚してから、その生徒はすぐに逮捕されたよ」
11 18/02/28(水)01:35:12 No.487871602
「…………」 あまりにも呆気のない事実に、フリントは放心した。 ――たったそれだけの理由で、あたいは声を奪われたというのか? たった、それだけの理由で……。 その後、桃がいろいろ言葉をかけてくれたが、フリントはその言葉のどれも聞こえなかった。 ただ、あまりにもくだらない動機で、自分の声が奪われたという事実だけがフリントにのしかかった。 その日、フリントは桃が帰るまで一度も桃の顔を見ることなく、虚ろな目線で虚空を眺め続けた。 フリントの元には多くの見舞客が来た。 戦車道で苦楽を共にした仲間達。同じ船舶科の生徒。 その中で最初にフリントの元を訪れて、かつ最も多く見舞いに来たのは、当然バー『どん底』のメンバーであった。 「フリント……」 お銀がフリントに優しい声をかける。いつものクールなイメージとは違った、相手をいたわるような声だ。
12 18/02/28(水)01:35:28 No.487871638
「大変だったな……でも、フリントが生きてるだけでよかった……」 「そうだよ、最初はフリントが死んじまうんじゃねーかと思って、焦ったぜ……」 「うん……肝が冷えた……」 「よかった……生きててよかった……!」 ムラカミはいつもの豪胆な態度からは想像もできないほどに心配した顔をしているし、カトラスも普段どおりのか細い声でありながらもその内に感情が篭っているのがわかったし、ラムに関しては半分泣いているような状態だった。 みんな、フリントのことを心から心配していた。 フリントはその言葉をただ聞くことしか出来ない。 「とにかく、よかった……これから大変だろうが頑張っていこう。フリント、私達にできることがあったらなんでもする。なんでも言って……いや、この場合書いて教えてくれ、だな」 お銀はフリントの手を握って言う。 そのお銀の言葉に、フリントは静かに頷いた。 その日以降、お銀達は毎日のようにフリントの元を訪れた。 そして、お銀達はフリントにいろんな話をした。その日あった事や、変わった事。何気ない世間話などだ。
13 18/02/28(水)01:35:46 No.487871700
それが、フリントを勇気づけることになると信じて。 一方のフリントは、お銀達にものを頼むことは殆どなかった。 頼むとしても、『飲み物を買ってきて欲しい』などといったことを紙に書いてお銀達に渡すぐらいだった。 そんなお使い程度の頼みでも、お銀達は喜んで聞いてくれた。 お銀達はフリントが元気になるならと、フリントの望むことならなんでもやった。 そうしているうちに、フリントが病院から退院できる日がやってきた。 「フリント、退院おめでとう」 「…………」 お銀の言葉に、フリントはコクリと頷く。 フリントの面持ちは暗いままだ。 結局、退院までフリントの表情が晴れることはなかった。 それでも、とお銀は信じた。 フリントはいつかきっと笑顔を取り戻してくれる。そのために、自分達は努力をするのだ、と。
14 18/02/28(水)01:36:03 No.487871748
「それじゃあいこうかフリント。実は、あんなことがあってから下層には戻りづらいだろうと思って、陸の上に新しい部屋を取ったんだ。もちろん、私達も一緒に住む。フリント一人じゃ生活が大変だろうからな」 お銀は笑顔でそう言った。 そのお銀に、フリントはスケッチブックに文字を書いて聞いた。 『どうして、そこまでしてくれるんですか?』 と。 それにお銀は応える。 「……当然だろ。フリントは大切な仲間だ。私達は、仲間を見捨てない。それに、お前の喉がそうなってしまったのは私達にも原因はある。私達がもっとしっかり気を配っていれば、こんなことには……」 その自戒するようなお銀の言葉に、フリントはこう返した。 『親分達は悪くない』 「そんなことはない。お前を守ると言ったのに、この有様だ……。だから、私達にも罪滅ぼしをさせてくれ。そして、また前のように元気になってくれ……とは言わない。それはあまりに残酷なことだからな。でも、少しでも前向きに生きてほしい。お前が生きることが、私達にとっても嬉しいことなんだから」 お銀が穏やかな口調で語るその言葉に、フリントはコクリと頷いた。
15 18/02/28(水)01:36:18 No.487871789
その日から、フリントと他の面子との共同生活が始まった。 もともと下層で自主的に生きていたフリント達である。学園艦の上の生活は、それほど苦ではなかった。 むしろ、快適すぎて下層での生活とのギャップに驚く日々であった。 「む!? こんなに簡単に食品が手に入るのか!?」 「下層は資源も乏しかったからな……」 「……物価が安い……」 そんな日々を、お銀達は楽しんで生活していた。相変わらずフリントに笑顔は殆ど戻らなかったが、以前のように辛そうにすることも少なくなったとお銀は思っていた。 フリントは以前とは打って変わって落ち着いた生活をするようになっていた。 主に、窓際で一人本を読んだり、音楽を聞いていたりすることが多かった。 そんなフリントの一人の時間を、誰も邪魔することはなかった。 皆、フリントが一人でいるときはその時間を大切にするように動いていた。 フリントがいつかまた、以前のようにとはいかなくても明るい心を取り戻せるようにと、フリントのやりたい事を優先して生活していった。 フリントの元には病院にいた頃のように数多くの友人達が訪れた。
16 18/02/28(水)01:36:44 No.487871856
「やあフリント! 今日も本を読んでいるのか?」 そうフリントに声をかけたのは桃だった。 桃は彼女の元を訪れる数多くの戦車道仲間の中でも、特にフリントの所にやって来ていた。 「うむ、そうしているフリントも実に美人だぞ。とても絵になる」 「なんですか桃さん、もしかしてフリントのことを狙ってるんですか?」 「な、ななな何を言うか!? そんなことはないぞ! 穏やかにしているフリントは本当に綺麗だと褒めただけであって!」 「ふふっ、照れているところも怪しいですよ桃さん」 「こらーっお銀! お前人をからかうのもいい加減にしろー!」 来客が訪れたときはたいていそうして騒がしくなったが、それがお銀達には楽しかった。 その楽しさが、少しでもフリントの心を溶かせればいいなと思った。 そうしてフリントを主軸に置いた日々が過ぎていった。 その日々は、一見順調なように思えた。 このままいけば、フリントにもいつしか笑顔が戻るのではないかと、そんな期待を誰しもが持った。 しかし、そんなある日だった。
17 18/02/28(水)01:37:01 No.487871908
それは学園艦が大洗港に接岸した日だった。 フリントが、突然いなくなった。 「フリントー! フリントー!」 お銀達は大声を出しながら街中を駆け回った。 しかし、どこにもフリントの姿は見当たらなかった。 その日、学園艦が数日間港に寄った日の朝だった。早朝、船舶科の生徒らしく朝早く起きたお銀は、フリントが寝床にいないのに気がついた。 お銀は珍しいこともあったものだと思った。大抵、一番に起きるのはお銀だからだ。 しかし、トイレにでも起きたのだろうと最初お銀は気にしなかった。 だが、すぐに異変に気がついた。フリントがどこにもいなかったのだ。そして、フリントの靴、さらにはフリントの身の回りのモノが消えているのにも気がついた。 お銀は皆を起こし、話を聞いた。フリントがどこに行ったか知らないか、と。 全員知らないと答えた。
18 18/02/28(水)01:37:20 No.487871952
そのため、フリントが急にどこかにいなくなった事がいよいよ明らかになってきた。 お銀達は焦った。 なぜフリントがいなくなったかは分からない。だが、フリント一人でどこかに行ってしまったのなら、それは危険だ。 そのため、お銀達は必死にフリントを探した。大洗女子学園の仲間達にも頼んで、人海戦術で学園艦中を探した。 陸の上にも探しに行った。 だが、人一人を探すのには、学園艦も陸の上も広すぎた。 「くそっ……! どこにいるんだフリント……!」 それでもお銀は諦めなかった。声が枯れるのも気にせず、フリントの名を呼び続けた。 「フリントー! フリントー!」 そのときだった。 「っ!」 お銀の携帯電話が懐で音を鳴らし震えた。それは自宅で待機していたカトラスからの電話だった。 「どうしたカトラス! 何かあったのか!? もしかして、フリントが戻ってきたのか!?」
19 18/02/28(水)01:37:38 No.487872001
お銀は焦りながらも聞く。しかし、電話越しから帰ってきた声は、震えていた。 『……違う。でも、見つけた』 「見つけた? 何を」 『……フリントの、置き手紙』 「なっ!?」 お銀は驚いた。そして、「分かった! すぐに帰る!」とだけカトラスに言い、自宅へと踵を返し走った。 お銀が帰った頃には、他の面子はもう集まっていた。ムラカミ、ラム、カトラス。 それに帰ってきたお銀を含めた四人がそこに集まっていた。 お銀はそのとき気づいた。 カトラスが、泣いていたのだ。おそらく最初に置き手紙を読んだであろうカトラスが。 「……親分。……これ、読んで……」 そうして、お銀にフリントの置き手紙を渡してくる。 「……ああ」 そして、お銀はその手紙を読んだ。
20 18/02/28(水)01:37:56 No.487872043
『親分、ムラカミ、ラム、カトラス。これを皆が読んでいる頃には、もうあたいはそこにはいないだろう。でも安心して欲しい。別にあたいは死んだというわけではない。ただ、もう皆とは生活できなくなったというだけだ。……正直、あたいは死にたかった。夢である歌手の道を断たれただけでなく、一生歌を歌えない喉になってしまって、死にたくて死にたくて仕方なかった。最初はいつ死のうか、そればかりを考えていた。でも、死ねなかった。それは、親分達がいたから。親分達が、私が生きていることを心から喜んでくれたから。その気持ちが、私は嬉しかった。でもそれ以上に、鬱陶しかった。辛かった。苦しかった。なぜお前達は平気でよかったと言えるのだと、この生き地獄がよかったと言えるのだと、そんなことばかりが頭をよぎった。それは、親分達と一緒に生活をするようになってからさらに強くなった。
21 18/02/28(水)01:38:13 No.487872082
あたいはそんな自分が嫌だった。嫌で嫌で仕方なかった。やはり死んでしまいたいと思った。でも、あたいが死ぬと親分達が悲しむから、それはできなかった。そしていつしか私は親分達に憎しみすら抱くようになってしまった。なぜあたいを死なせてくれないのだと。なぜ笑っていられるのかと。そんなことばかり考えるようになってしまった。このままでは親分達を殺してしまう。みんなの胸に短剣を突き刺してしまう。そんなことはあたいにはできない。したくない。だからあたいは、目の前から消えることにする。大丈夫、あたいは死ぬなんて選択肢は取らないから。親分達を悲しませはしないから。そこは安心して欲しい。ただ、あたいは泡となって消えるだけ。……そういう比喩だけどね。本当に泡となって消えられたら、どれだけ楽か。とにかく、みんなさようなら。どうか、元気で。――フリントより』
22 18/02/28(水)01:38:32 No.487872119
「あああ……ああああああああああああああああああああっ!」 それを読んだ瞬間、お銀は膝から崩れ落ちた。 「私達の……私達のせいで、フリントはっ……! うわあああああああああああああああああっ!」 お銀もムラカミもラムもカトラスも皆、涙を流し自分達の軽率な発言を後悔した。 『生きていてよかった』 そんな一言が、フリントを苦しめていたとは、皆思ってもいなかった。 「あああああああああああっ! あああああああああああっ!」 お銀は床を拳で殴り続けた。手が血だらけになるまで殴り続けた。 しかし、いくら血を流しても、フリントは帰ってこない。 お銀達にできるのは、自分達の行動を悔やみ涙を流すことだけだった。
23 18/02/28(水)01:39:00 No.487872187
◇◆◇◆◇ それから数年後。 お銀達はバラバラになっていた。フリントを失って以降、四人の仲もギクシャクし、とうとう四人はそれぞれの道を歩むことにしたのだ。 お銀はというと、一人東京に住んでいた。かつてはあれほど魅せられた海も、フリントを失って以降はとても自分から行こうとは思えなくなってしまっていた。 だから、お銀は一人陸の上で生活することを選んだ。 まるで、己を罰するように。 「……ふぅ」 その日もお銀は、仕事を終え帰路についているところだった。 街は帰宅ラッシュで人で溢れている。お銀はその中を歩くのももう慣れっこになっていた。 「今日は一段と人が多いな……」 そんなことを呟やきながら、人混みをかき分けたときだった。 お銀は、うっかり前にいる人とぶつかってしまった。 「あっ、ごめんな……」
24 18/02/28(水)01:39:25 No.487872249
お銀は途中で言葉を失った。 彼女がぶつかったのは成長していたが他の誰と見間違うでもない。そこにいたのは、フリントだった。 「フ、フリント!? お前、生きて……!?」 フリントは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさま驚愕するお銀の口を塞いだ。 そして、素早くメモ帳に文字を書いてお銀に見せた。 『黙って。恥ずかしい』 「あ、ああ……すまない……しかし、まさかこんなところで会うなんて……なあ、今どこで何をやってるんだ? 私は今、東京に住んでるんだ。もしかして、お前もか……?」 「…………」 お銀の言葉に、当然ながらフリントは応えない。 だが、フリントは少し考えた後、またメモ帳に文字を書いてお銀に見せた。 『ついてきて。私の家で話そう』 「あ、ああっ! 分かった!」 そうしてお銀はフリントについていった。 フリントの家は、お銀の家からは少し離れた場所にあった。駅にして数駅分という距離だった。
25 18/02/28(水)01:39:48 No.487872295
そこは安いボロアパートだった。周囲の治安もあまり良さそうではない。 「こんなところに……」 お銀が辺りを見回している間にも、フリントはどんどんとそのアパートの上に昇っていく。 その後ろに、お銀はついていく。 そして、三階についたところで、フリントは足を止め、彼女の部屋らしき場所に入っていった。 「ここが、フリントの……」 お銀は恐る恐るフリントに続いて部屋に入る。その部屋の状況はひどいものだった。 床にはいくつものゴミの山ができ、灰皿には煙草の吸殻が溜まっている。 部屋の壁は紫煙で黄色く染まっており、入っただけで煙草の臭いがお銀の鼻をついた。 「フリント、お前……」 そこで、お銀はフリントに聞こうとした。今何をやっているのかと。 しかし、それに先んじてフリントが部屋においてあるスケッチブックに書いた。 『今あたいは、体を売って生活している』 「なっ!? 体を売ってって、その、売春ってことか……!?」 その言葉に、フリントはコクリと頷いた。
26 18/02/28(水)01:40:07 No.487872327
「そんな……どうして……」 『喋れないと働く場所が限られる。体を売るのはそういう事情も無視してくれる』 フリントは困惑するお銀にスケッチブックで応える。 「だからって、そんな……」 『親分には分からない。この体で生きていくということが』 「……確かに、そうだが……」 『私は親分達のせいで死ぬこともできない。かと言って、現実では泡となって消えることもできない。だから、私は生きる。親分達のように、生きていく。現実とは、そういうもの』 「……っ」 お銀は何も言葉を返すことができなかった。 そして、フリントはそこまで書くと、近くにあった缶ビールを取り、飲み始めた。 さらに煙草に火をつけ吸い始める。そこに、以前のフリントの姿はなかった。 そこでお銀は知った。フリントは“死んだ”のだと。以前の、歌手を目指し目を輝かせていた頃の、バー『どん底』のお調子者担当だったフリントは死んだのだと、お銀は悟った。
27 18/02/28(水)01:40:23 No.487872368
それを知った瞬間、お銀の目から涙がこぼれ落ちた。 「ああ……フリント……フリントぉ……!」 お銀は泣く。泣きながら、決意する。私の残りの人生すべてを、彼女に捧げようと。 それが、自分にできる罪滅ぼしなのだと。 お銀はそう誓った。 そんなお銀の誓いを知ってか知らずが、フリントは涙を流すお銀を一瞥し、ゴクリとビールを飲み干し、煙草をすりつぶすのであった。 フリント。それはかつての歌姫の名。その歌姫の凋落した姿を今知るのは、陸に下りた船乗りのお銀ただ一人である。 おわり
28 18/02/28(水)01:41:53 No.487872556
ダークサイド「」間に合わせやがったのかワレぇ!
29 18/02/28(水)01:42:37 No.487872641
無茶しやがって...
30 18/02/28(水)01:43:11 No.487872717
読んでいただきありがとうございました su2269720.txt 過去作もよかったら ・シリーズもの su2269724.txt ・短編集 su2269725.txt
31 18/02/28(水)01:44:48 No.487872968
お前…また睡眠時間を犠牲にするのか ダークサイドはいいぞ
32 18/02/28(水)01:49:09 No.487873491
フリントが海に消えた後、お銀さんが海底の奇怪な宮殿でフリントが呼んでいる夢を見る展開を想像してしまってすまない
33 18/02/28(水)01:55:29 No.487874361
歌姫が泡姫に!
34 18/02/28(水)02:03:48 [す] No.487875392
>ダークサイド「」間に合わせやがったのかワレぇ! ほぼジャストで間に合わせられました!明日でいいかなとも思ったのでせっかくだから! >お前…また睡眠時間を犠牲にするのか >ダークサイドはいいぞ あい!投げると宣言してしまったのでしっかりクンリします! 明日も怖いです! >歌姫が泡姫に! 今更気づいてしまってダメだった 偶然て怖いね……
35 18/02/28(水)02:14:07 No.487876445
失明エリカは悪戯が原因だったけど今回のフリントは悪意そのもので声を失ったからより闇が深い さらにやつには美帆りん達がいるけどフリントには支えてくれる人もいないし本人も望んでない と言うか絶望しきっておる
36 18/02/28(水)02:18:43 No.487876929
本当の意味でのどん底に突き落としましたねえ
37 18/02/28(水)02:25:40 No.487877580
音響さんチームによると傷付いた声帯が限りなく綺麗に修復するとさおりんの中の人の声になるそうな その逆のパティーンがそど子の中の人になるそうな
38 18/02/28(水)02:30:16 No.487877940
相変わらず希望から絶望への落差が酷すぎてゾクゾクしますよ私は
39 18/02/28(水)02:35:31 No.487878332
>音響さんチームによると傷付いた声帯が限りなく綺麗に修復するとさおりんの中の人の声になるそうな >その逆のパティーンがそど子の中の人になるそうな なんなのその情報…怖…
40 18/02/28(水)02:38:02 No.487878504
>なんなのその情報…怖… 総集編のコメンタリーでイワナミリニンサンが言ってた しーたむの声の波長は九官鳥に近いらしい
41 18/02/28(水)02:38:53 No.487878568
救いがなさすぎる...でも良かった そど子の人はでもラジオでめっちゃ綺麗な声で歌ってたから多分元々あんな声なんじゃねぇかな...
42 18/02/28(水)02:46:26 No.487879087
ははぁーん…さてはクンリしながらDTMやってるなダーク「」
43 18/02/28(水)02:48:22 [す] No.487879209
>失明エリカは悪戯が原因だったけど今回のフリントは悪意そのもので声を失ったからより闇が深い >さらにやつには美帆りん達がいるけどフリントには支えてくれる人もいないし本人も望んでない >と言うか絶望しきっておる 題材が似ているからちょっと変化をつけないとね 若い子が夢を奪われたらどうしようもないと思うんだ >相変わらず希望から絶望への落差が酷すぎてゾクゾクしますよ私は 2月中に合わせるためにちょっと駆け足気味だったかなと思ったけどそう思えてもらえたなら嬉しい
44 18/02/28(水)02:51:02 [す] No.487879385
>ははぁーん…さてはクンリしながらDTMやってるなダーク「」 今はしてないよ!昨日はDTMやりすぎて書けなかったけど! というか3月になったら他に書くものあったり学園祭に向けての活動したりで忙しくなってあんまりDTMできなさそうで辛い まあやるけどね! とりあえず3月は前本で出した作品を「」に還元してお茶を濁そうと思います
45 18/02/28(水)02:55:35 No.487879700
>というか3月になったら他に書くものあったり学園祭に向けての活動したりで忙しくなってあんまりDTMできなさそうで辛い そういや副編じゃんッ >まあやるけどね! やるんかい! >とりあえず3月は前本で出した作品を「」に還元してお茶を濁そうと思います ありがてえ…
46 18/02/28(水)03:01:52 [す] No.487880129
>そういや副編じゃんッ そうそうそれに加えて東美帆本も出してくれるからそっちの誤字脱字チェックとか色々しなきゃいけないこと多いのです >やるんかい! まだ争奪戦とかエクストラ全部やれてないし……ゲームやらないと精神衛生上に悪いし…… >ありがてえ… いいんだ 「」のおかげで本出せたと思ってるからそういうところはちゃんと還元したいしね