17/11/04(土)01:03:58 楽し... のスレッド詳細
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17/11/04(土)01:03:58 No.463431034
楽しい川辺亭。 イギリス料理をコースで頂ける聖グロリアーナ学園艦のレストランである。 どこの学園艦にもそうしたお店がある。インターネットで食の情報が自由に手に入るようになっても、おいそれと他の学園艦に食べに行くことは出来ない。逆に、学園艦にいるあいだは通えても、卒業してからはご無沙汰になってしまうのが当たり前だ。寄港を待って通うしか手はない。 今日、二人が選んだテーブルは、パンの神の部屋だった。水色のテーブルクロスの上には小舟があって、そこにネズミとモグラの手彫りの人形が置いてある。背を向けるように描かれたパンの神は葦笛を吹いており、テーブルの小舟は決して壁紙の二次元には立ち入ることが出来ない。そして魚のフライを切り分けるミス・ブラックが手を伸ばしたとしても、このなめらかなモグラともネズミとも会話することはおろか、心を通わせることは絶対に出来ない。 「九年経つんだね」 胸元をゆったりと開いた女性は言った。
1 17/11/04(土)01:04:15 No.463431102
苺色とボルドーの混在するドレスに、エメラルドのネックレス、右手にアヴァロンの腕時計をつけている。彼女が“無粋”の仇名を持つのが不思議なくらい整った女性だ。実際アヴァロンブランドのモデルも務めている。 “無粋”のアッサム。 白いワインを傾けながら呟く彼女に、そうですねとミス・ブラックは応えた。 「あの戦いからもう九年です」 アッサムとミス・ブラックが並んで戦ったあの日から、もう。 アッサムは同級生の結婚式に参加するために聖グロリアーナの学園艦を訪れた。教師になっているから、ということらしい。そのついでに食事に誘われたわけだ。 「先月、薔薇を撒いてきたよ」 アッサムは微笑する。 「約束だったからね。甲板から撒いてきた」 ミス・ブラックは頷く。懐かしさに胸が潰れそうになる。 「山下さんは、杉野さんの突撃ラッパを後輩に託したらしいですね」 「知波単はマジノと一戦交えるからな。新ルールで」 「初耳です」
2 17/11/04(土)01:04:32 No.463431152
「陣取り戦、古いルールを持ち出してきたものだ。知ってたら、オレンジペコ相手に使った? ミス・ブラック」 挑発的な問いかけに、ミス・ブラックは几帳面に言った。 「いえ。戦うルールはフラッグ戦です。ただし使用するルールは通常と異なります。細かい話は言えません」 「ふうん?」 「情報漏洩は避けたい」 後輩の生意気な台詞に、アッサムは愉快そうに笑う。 鶏肉が運ばれてくる。オーブンでこんがり焼かれた鳥肉だ。クランベリーのソースが添えてある。 「少し私の推測を聞いて貰えるかな」 アッサムは付け合わせの人参を食べながら言った。 「今回のオレンジペコ隊長への申し立て。 これはオレンジペコを隊長に推すための戦いだね」 「なんのことでしょう」 「勝ち負け関わらず、OGとの戦いを行ったオレンジペコをよくやったと隊長に推すためのイベント戦。これが今回の挑戦の真実だろう」
3 17/11/04(土)01:04:55 No.463431227
アッサムは大きく切ったチキンを咀嚼する。ミス・ブラックのナイフが止まった。もう一度動き始めたのは、アッサムが熱い肉の塊を飲み込んだ後だった。 「しかし問題がある。オレンジペコは賢すぎる」 ミス・ブラックは黙ってソムリエが注ぐワインの赤色を眺めている。今日の彼女は白いスーツだ。 「彼女はこの戦いがどちらに転んでも自分の為になると判っている。それでは意味がない」 「何故?」 「八百長でOGに勝たせて貰った隊長では仕方ないだろう」 「そんなことしないでも、元帥がオレンジペコのサポート能力を保証すれば異論を唱える者はいないでしょう」 軽く肩をすくめてミス・ブラックはアッサムを見た。アッサムは目を細める。ミス・ブラックの瞳は青と黄金に輝いている。あの日、初めて見たままに。 虹彩異色症。ミス・ブラックの瞳の色は左右異なる。 アッサムは応えた。 「キング・ジョンのときもそうだった」 聖グロリアーナで初めて、全国大会の一回戦負けをした隊長。味方の不和を生み、知波単に敗れ去った者。
4 17/11/04(土)01:05:13 No.463431293
「あの人の、いや、その先代ダージリン、“提督”からの出来事がお前の代まで影響を与えてしまった」 “提督”マジノ女学院と戦い、川からの奇襲を以て背水の陣を敷いていたマジノの大要塞を破壊しようとした隊長。 その行為を咎められ、反則負けを喫した者。 あの屈辱と、名将“提督”への崇拝が、次の隊長への不信と裏切りに繋がった。その因果はやがて“無粋”のアッサムの最後の戦いにまで影を落とす。 アッサムは言う。 「この物語は、あの出来事から全て始まっている。あの物語がなければ、今私達はこうして食事をする未来なんてなかったかもしれないね」 「興味深いですね。 つまりアッサム様は、私が第二のキング・ジョンを生み出さないようにあえて私が学院に不和を巻き起こした、と。 オレンジペコがOGを打ち破れば、彼女の指揮と能力が示される」 「勝てないだろう。オレンジペコは」 アッサムは首を横に振った。ミス・ブラックは喉の奥で笑った。 「もう六年戦車に乗っていないロートルですよ。私は」
5 17/11/04(土)01:05:30 No.463431340
「いいや。お前の勝ちだ。ミス・ブラック。仮にこれから行われる戦車道でお前が負けたとしても。それは戦車の負けだ。 お前の負けではない」 口元も目も笑っている。ただアッサムの言葉は鋭く刺さった。 「ではどうすればあたしは負けられるんですか、アッサム様」 きつい声が出た。アッサムは首を横に振る。 「それを決めるのは私ではない。舞台を整えたお前だ。 そして私はお前の味方だよ」 鳥の皿は下げられて、抹茶のムースが運ばれてきた。運んできたのはオーナーだった。 全部で三皿。 「お久しぶりです。“無粋”のアッサム様。プリンス・オブ・ウェールズ様」 がっしりした初老の男性はにこやかに手を差し出し、二人に握手する。 「お友達の分も用意致しました。 差し支えなければ。こちらはサービスです」 テーブルに並べられた抹茶のムースは、緑にチョコとカスタードの迷彩を伴っていた。層は三段。一段目は転輪を模したクッキーにクレープの皮が履帯のように巻かれている一番上には抹茶のスポンジケーキを飴細工の冠をかぶせて。
6 17/11/04(土)01:05:56 No.463431426
ハッとしてミス・ブラックはアッサムの瞳を見た。彼女はチハを模したケーキを黙って見つめる。 運ばれてきた珈琲もコップ三つ。 深く目を閉じた後で「食べよう」とアッサムは言った。 「三つ目は二人で分けよう。杉野に残してやるのは勿体ないからな」 冗談めかして言いながら、アッサムは三杯目の珈琲に角砂糖三つとミルクを注いでやった。 杉野さんはいつもミルクたっぷりの、甘い珈琲が好きだった。 * 「お願いします!」 生徒会室でずらっと並んだ頭が下がった。 当惑しているのは五十鈴華だ。 決意を秘めた一年生六名は燃える瞳で、テコでも動かないって顔をしている。角谷杏は長椅子で干し芋をみほに食べさせている。優花里と沙織はどうしようか迷って、とりあえず。 「ね、みんな、お茶とお菓子はどう? 少し冷静に話し合おうよ」と声をかけた。
7 17/11/04(土)01:06:12 No.463431478
「いりません!」 と言ったのは桂里奈だ。山郷が話を繋ぐ。 「あの、ちょっと欲しいけど、その前に」 「話を聞いて下さい……」 優希が泣きそうな声を出して、沙織は途方に暮れる。あやがバンと執務机を叩いた。 「あたし達だって助けて貰ったじゃん!」 「そうは言ってもですね」 大洗女子学園生徒会長の華は当惑した表情になる。 「これは聖グロリアーナの問題です。私達が口を挟むのは……」 「それでも横暴じゃないですか。オレンジペコさんが隊長に決まったのに、それを先輩が勝手に覆すなんて! 誰かが「それは違う」って言わないと、オレンジペコさんかわいそうじゃないですか!」 梓の真摯な発言に華は目を逸らす。 実際、あんこうチームでもこれを問題視しているのだ。卒業生が口を出すことで今通っている生徒の利益が損なわれるとするのなら、それに異議を唱えるべきだ、と。 これは感情論ではなく、学園艦運営の問題でもある。 卒業生の命令があれば、学園艦の運営が卒業生の利益の為に動かされてしまう。これは洋上に築いている学園艦の自治の存続に関わる。
8 17/11/04(土)01:06:28 No.463431524
卒業生が母校と繋がりが強いのはいい。しかしその運営の当事者を跳び越えた専横が前例になるのは好ましくないのではないか。 ところが他の学校は見て見ぬ振りを決め込んでいる。プラウダのカチューシャなどは「どーせプロレスよ」と相手にもしてない。 「だってOGが勝とうが負けようが、オレンジペコの勝ちじゃない。OGが一言「オレンジペコの力は遜色ない」って言えば、オレンジペコが隊長になるのは当たり前でしょ? それに聖グロリアーナもバカじゃないわ。その辺のバランスはちゃんととるでしょ」 確かに理屈ではそうだ。でも、納得いかないのも確かなのだった。ただ、今ここで大洗生徒会に訴えているうさぎさんチームは、政治力学が問題でもない。理屈じゃない。助けに行きたいのだ。 「お願いします!」 頭を下げる一年生に、なんと言葉をかけていいのか華は首を傾げる。そこに割って入ったのは自信満々な声だった。 「だーめ」 「え?」 振り返る梓達に、ひょいと立ち上がったツインテールが干し芋を振りながら近づいてきた。杏が動いたのだ。 「ダメったらダメだよ」
9 17/11/04(土)01:06:45 No.463431582
「何故ですか」 「そりゃ、華は生徒会長だもの。生徒会長がダメって言ったらダメなのー。 あとわたしもさ、ダメー」 にやーっと嫌ッたらしく笑う杏を、梓は睨み付けた。 「なんでですか!」 「だってうちの学校は目立ったら目えつけられちゃうもん。なー、みほ」 突然話題を振られて、曇ったみほが「そうですね」と同意した。 「わたし達は窮地を脱したとはいえ、まだ危ない状態です。今までの勝利を担保に他の学園艦に強引に口を出したとなると、悪目立ちし過ぎます」 そんな……と梓はみほを見た。絶望に満ちた視線を正面から受け止めることが出来ず、みほは目を逸らす。だから間に入ったのは角谷杏だった。 「はい、そういうことで。 西住ちゃんはね。本当は助けに行きたいんだよ。でも行けない。 流石に優勝校のエースがさあ、お家争いに顔だしたら目立ちすぎるっしょ。しかも西住流だよ?」 「あ……」 みほの背負っているものの大きさを改めて自覚して澤は口ごもる。杏は顔を近づけた。
10 17/11/04(土)01:07:13 No.463431683
「もしかして澤ちゃん、助けに行きたいんじゃなくて、西住ちゃんを助けに行かせたいんじゃないのぉ?」 「梓!」 「梓ちゃん!」 部屋の外に走り出した梓を追って一年生達が飛び出していく。一瞬、紗希が振り返って、ちょっと睨んだ。 「ちょっと、いじめすぎ」 一年生達がいなくなって皆は一斉にため息をつく。 「悪いね西住ちゃん。悪者役させちゃって」 「いえ。杏さんこそありがとうございました」 力が抜けて座り込む二人の前に、優花里は熱いお茶を置く。 「それにしても杏さんすごいですね。悪役が真に迫ってましたよ」 「なになに。こんくらいは任せてよ」 お茶を口に含むと、華に向かって笑いかけた。 「今回のアイデアを思いついたのは、華のおかげだからね。どの辺から策略を練ってた」 「私は大したことをしたわけじゃありません。 ただ、言うじゃないですか? 備えあれば、憂い無し」
11 17/11/04(土)01:07:24 No.463431729
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12 17/11/04(土)01:08:45 No.463431956
「よくいう諺ね」 優しく囁く大洗生徒会長に、沙織は大きい湯飲みを置いた。 「ただこういうの見ちゃうと、あーあわたしも生徒会入っちゃったなって気になるんだよね」 「いや。でも角谷先輩のいうことはあながち間違ってはいない。私達が何も考えずにしゃしゃり出ては学園艦の自治が乱れる」 床に敷いた毛布の上でごろごろしていた魔子の言葉を引き継ぐように、柚子も同意した。 「向こうがやっていることがルールを逸脱している、って指摘しているのに、こちらも学園艦の垣根を跳び越えちゃうのは、ちょっと問題かな」 「よし、かーしま」 杏に声をかけられて、隅で書類を弄っていた桃が立ち上がった。 「あとはよろしくね。華と話し合ってよくやるように」 「は! 判りました! ところで杏さん」 「なに?」 戸惑うような河嶋桃の声に、杏は身を乗り出す。桃は右目のモノクルを微かに上げて尋ねた。 「今のは、その、洒落ですか? 華と話し合って……」
13 17/11/04(土)01:09:02 No.463432008
生徒会室に沈黙が訪れる。それを破ったのは杏の朗らかな笑い声だった。 「うまいかーしま、座布団一枚!」 * ニルギリは紅茶を飲み、ほっと息をついた。 「ルクリリ様は最近練習に顔を出さなくなってしまいました。 ローズヒップさんもです」 「ローズヒップは、自分のチームが二つに割れているからショックでしょう」 アッサムは紅茶のお代わりを入れながら尋ねた。 ”紅茶の園”の第三会議室だ。角部屋で緑の壁紙に黄金の蔦模様が描かれている。秘密を外に漏らさぬ部屋。こじんまりしていて、密議にぴったりの防音加工である。 ”香辛料の世代”の訓練をスパイしては、ダージリン達に伝えるのがニルギリの役目だった。 「オレンジペコさんはGI6の協力者の方から情報を集めたり、残った生徒と力を合わせて訓練をしているところですが浮かない顔で」 ニルギリが言うように、前回の合同訓練の後からオレンジペコは浮かない顔だった。ペコ一同の正規グループは危なげなくOGについた生徒を打ち破ったわけだが、そのアグレッシブな攻撃に思うところがあったようである。
14 17/11/04(土)01:09:21 No.463432077
「本当なら皆で話合わねばならないのに、ルクリリ様もローズヒップ様もどこかオレンジペコさんを避けています。 これでは万が一も……」 「あちらにはパーシングも、大学選抜に選ばれた生徒達もいますもの。万が一どころか二分の一かもしれませんよ、ニルギリ。 ”偶然は準備の出来ていない人を助けない”」 「そうですね。本当にそうです」 ニルギリは沈鬱な表情で頷いた。アッサムの口元が歪む。笑いを堪えて咳払いした。 「パスツールの言葉ね。 ダージリンもオレンジペコがいなくて寂しいでしょう」 「別に。あの子はわたくしがいなくても一人でやっていけるわ。でなければ後継者に選んだ意味がない」 平気な顔をするダージリンをにやにやしながら見るアッサムをニルギリは怪訝な表情で見つめた。何故この先輩達はこうもいつも通りなのだろう。 「まあ、でもルクリリ様も大変ですね」 話を変えるべくニルギリは呟いた。 「何でも学園に、肉親の方が通っていらっしゃったんでしょう? 生徒の間で噂になっています」
15 17/11/04(土)01:09:39 No.463432131
「ああ、ローズヒップ様のことね。 あまり言わないであげて。ルクリリの叔母様はキング・ジョンとの後継者争いで戦車道をお辞めになられたのだから」 「はい、知っています。それも含めて、ルクリリ様はOGの方々に肩入れされるのではと噂になっているのです」 「あら。それは面倒に巻き込まれたものね」 アッサムはニルギリにお代わりを尋ねると、濃い紅茶を注いだ。神経がすり減るような毎日を送るなかで、ここでの紅茶はニルギリにとっての幸福である。ホッと息を吐く。 「それにしても血縁の方の期待が大きいのは本当に困ってしまいますよね。 わたしも祖母と母がここのOGですけれど、わたしにはあまり厳しいことは言ってこないのでまだ気が楽です」 アッサムとダージリンは顔を見合わせた。ニルギリは目をパチパチさせる。 「あの……祖母は一応元帥の名を持っているのにも関わらず、わたしにプレッシャーを……」 ここまで口にしてニルギリは、気づいてはならないことに気づいてしまった。 世界がぐにゃっと曲がったような気がする。
16 17/11/04(土)01:09:57 No.463432188
「その、わたし、おばあちゃんと、おなじ”紅茶の名前”で……」 「ええ。”物語の名前”から”紅茶の名前”に移り変わった後の世代の元帥よね」 ダージリンはにこやかに言った。 「まさか偶然だと思ってたの?」 「いえ、その、おばあちゃんの”紅茶の名前”を知って、つけてくれたのかと」 「”忠実なる”ニルギリ様から要望があったのよ。孫娘が来年入るけれど、”紅茶の名前”を引き継がせてやってくれないか。って」 ねえおばあちゃま。 わたし聖グロリアーナに入ったら、頑張って”紅茶の名前”を手に入れるわ。 それでおばあちゃまのニルギリか、シナモンティーのシナモンにするの。 ダージリンの言葉に、ニルギリの顔が青ざめる。ダージリンは優しい笑顔を贈った。 「やだわニルギリ。フレーバーティーは隊長の名前を冠しないなんて風習は聖グロリアーナには無いわ。 あなたのお婆様は、それを知った上で、孫かわいさからお願いされたのよ。 そういうお願いは早々断ったりしないものよ、ニルギリ」
17 17/11/04(土)01:10:15 No.463432253
「その、よ、よろしければ、先日の、オレンジペコさんの否認状、拝見してもよろしいですか? わ、わたし、よく読みませんものでしたから」 自分とは関係ないと思って目も通さなかった否認状。オレンジペコを次期隊長の座から引きずり下ろしたもの。 アッサムは手持ちのファイルから取り出してみせた。コピーだがいつも持ち歩いている。それはこんなときに必要なものだったからかもしれなかった。 受け取ったニルギリはぶつぶつ読み上げる。 「……オレンジペコ隊長就任にあたり、我ら元帥……より相応しいもの……力量……家柄……伝える歴史……」 そして連名の場所に辿り着き、ブルブルッと震えた。何度も読み返した。かけた眼鏡に汗がぼたぼたと零れた。髪が冷たい。汗がふき出る。 「ニルギリ。返して貰っていい?」 気の毒そうにアッサムが声をかけた。 うわごとのようにニルギリが呟く。 「……いかなきゃ……プラウダへいかないと……」 「ニルギリ」
18 17/11/04(土)01:10:30 No.463432309
呼びかけたダージリンの言葉がきこえないかのように、ニルギリは力なく部屋の外へと出て行く。アッサムはダージリンを睨んだ。 「だから言ったじゃない。ショックを受けるって」 「でも、自分は蚊帳の外ですみたいな顔をしていたら、少しは意地悪をしてあげたくなるじゃない?」 ふーっと息を吐いてアッサムは、で、どうするの? と尋ねた。 「哀れな後輩達をどうやってサポートする?」 「わたくしはね。信じているの」 ダージリンはすまして応えた。 「聖グロリアーナの行進は一糸乱れず進む。 それは上から命じられたからではない。各々の誇りと責任を胸に抱いて進むのだ」 「あなたったらほんと最低だわ」 言葉ほど呆れた空気もなくアッサムは言うと、ダージリンに改めて紅茶のお代わりを注ぐ。 ニルギリが握りしめてくしゃくしゃになったコピー用紙には、しっかりと書かれていた。 古参の元帥の名前のなかに。 ”忠実なる”ニルギリのサインが。
19 17/11/04(土)01:10:54 No.463432387
* 「待ったよ」 女が声をかけた。 黒いマントを着た女は笑いながら手を広げる。ハグを断るように女は首を横に振る。 ミス・ブラックと、もう一人は、吉沢あんずだった。二人は並んで歩き出す。 「最後に一緒に戦って、もう六年か。早いな」 「元気そうでなにより」 ミス・ブラックが言った。 「オレンジペコは?」 「そうだね。色々探りを入れてくるよ。 とりあえずルクリリ、ローズヒップを数に数えて戦略を練っているみたい。仲間を信じてる。いい子だ」 「信じすぎるのは危険だよ」 ミス・ブラックは言うと、かまぼこ状の倉庫が並ぶ敷地に足を踏み入れた。警備員が声をかける。いかめしい声だった。 「君達。今日は夜遅い。明日また来てもらえないかな」
20 17/11/04(土)01:11:17 No.463432444
ミス・ブラックは肩をすくめる。 「明日の訓練から必要なんです」 「それにしても……」 「それに呼んでいるんです。聞こえませんか?」 舐めきった女の態度に、男は歯がみする。 彼は三十代後半だろうか。まだここで働いて時間が経っていないのだろう。ミス・ブラックが倉庫開放の許可証を見せても信用せず、どこかに電話をかけている。 元帥のブーツは、それを無視して歩き出した。あんずも隣に並ぶ。 「いいの? 大将」 「ここは聖グロリアーナ女学院の特別倉庫だ。私は開ける権利を持っている」 彼女らの勝手な態度に、警備員は舌打ちする。 あいつらは多分、戦車道の関係者だ。聖グロリアーナは管理が厳しい。危険物から美術品まで、この陸上倉庫にたっぷり詰め込んでいて、管理の怠慢を許さない。ああいう手合いにはきちんとルールを守って貰わないといかん。 いや、それは口実だ。 二十歳そこそこの女が、我が物顔で倉庫を開けるのが心情的に許せないだけなのだ。
21 17/11/04(土)01:11:33 No.463432500
男は真面目に働いてきた。アルバイトだろうがなんだろうが、しっかりと管理し、自分の責任の下で品物の受け渡しをすることが彼の誇りだった。このアスファルトとコンクリと明かりに群がる虫達が彼の仕事の全てだった。 チッ、と男は制服の下で舌打ちする。あのジャジャウマ共め。 「歌ってやがる」 指を鳴らしながら。 高い、甘い、強い声で。 ねえほらモエ・エ・シャンドン。 キャビネットからどうぞ。 「ケーキお食べ」って。 どこの王妃様さ。 お堅い支度は。 謀議の茶会に。 お断り出来るの? 素敵な招待。
22 17/11/04(土)01:12:27 No.463432675
倉庫は広い。男は休憩中の仲間を呼びつける。 『元帥様なんだろ。いいよ』 先輩の声が無線から聞こえる。 そうはいかないだろう。付き添いが必要だ。 書類にサインをして、確認を取って、男が鍵を開け、検品し、そしてまた書類にサインをする。これが仕事の儀式なのだ。 それを教え込んでやらねばならない。あの生意気な女どもに。 何が元帥様だ。戦車道やってる奴がそんなにえらいか。 懐中電灯の明かりを照らすと、まるでスポットライトのシンガーだ。 光を背に浴びて女は歌う。 キャビアと煙草。 礼儀と作法。 なんてグロリアーナ。 歌声が響く。
23 17/11/04(土)01:12:59 No.463432769
それを合図みたいに。 「She is BLACK PRINCE」 「うわっ!」 男は思わず懐中電灯を落とした。 明かりは、乏しく灯っている外灯を補ってあまりある光量で思わずたじろぐ。 歌声が、幾つもがなる。 「火薬に、蛇口」 「榴弾に閃光」 「破滅保証許可証!」 「Anytime」 戦車だ。
24 17/11/04(土)01:13:21 No.463432857
真っ黒い戦車がいつの間にか倉庫から這い出している。 「だ、だ、だ、だめだそれは」 男は声をかけた。 「許可証に、さ、サインを。勝手な持ち出しは……わぁ!」 戦車が動き出した。 黒衣の女が駆け出す。それに着いて、もう一人の女の金髪も舞った。 吉沢あんず。 いや。 「ウヴァ!」 ミス・ブラックの手を、あんずがしっかり握りしめる。共犯者の握手。そのまま車体の上に引っ張り上げた。 「もどれ、もどれー」 男の声が遠ざかる。 空砲が轟く。倉庫の管理者は優秀だ。 「たのむ……もどってくれ……倉庫を……しまっておかないと……」 泣き声を尻目に黒い戦車は走る。まるでチャーチルとは思えないくらい軽快に。
25 17/11/04(土)01:13:51 No.463432954
「お待ちしていました。マイ・ロード」 乗り込んだ戦車には、三人の天使がいた。 ミス・ブラックは手袋を脱ぐ。 「よく来てくれた。ガブリエル」 差し出した手の甲に、彼女はうやうやしく口づけをした。 全長8.81 m 車体長7.7 m 全幅3.442 m 全高2.7 m 重量51 t 懸架方式ボギースプリングサスペンション 速度18 km/h 行動距離160 km 主砲オードナンス QF 17ポンド砲
26 17/11/04(土)01:14:09 No.463433031
副武装7.92 mm ベサ機関銃 2挺 装甲152mm エンジンベッドフォード水平対向12気筒ガソリンエンジン 全て右の規定値を上回る、聖グロリアーナ特殊仕様。 スーパーチャーチル。 またの名を”ブラック・プリンス”。 プリンス・オブ・ウェールズのみに許された専用車。 女王陛下のお庭に、捲土重来す。
27 17/11/04(土)01:16:47 No.463433566
su2090146.txt テキストまとめ おまけテキストまた間に合わなかった 次が終わったらいよいよ試合だ
28 17/11/04(土)01:44:29 No.463438849
https://www.youtube.com/watch?v=q-q_KJsCJH0 ミス・ブラックが歌ってた歌