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17/08/30(水)22:41:10 サオリ... のスレッド詳細

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17/08/30(水)22:41:10 No.449755332

サオリノミコン 『バスかビル家の犬』          1  おはよー、武部沙織だよ!  ……なんてテンション高く言えないのが今のわたしだった。  のたっと布団をのけて、ゆっくりとベッドから這い出す。客用布団で横になっていた麻子がパッと目を開いた。よし、勝った。昨日はまんまと麻子に負けて、馬乗りになられて「ごはんーごはん」と催促されたのだった。 「沙織おはよう」 「おはよう麻子」

1 17/08/30(水)22:41:30 No.449755446

 わたしはもそもそとパジャマを脱ぎ捨て、くたくたのジーンズに足を通す。人間らしさを保つために目が覚めたらとりあえず服を着替えよう、という自分ルールに従ったせいだ。麻子は「ずっとパジャマでいいだろ」と言うけれど、さすがにそれはわたしの自尊心が許さない。三十歳の大台に手が届きそうな今、このなけなしのルールはわたしの微かな期待と大人としての矜持だった。何故かというと。  今年の春。わたしはなにもかも失ってしまっていたからだ。  大学中に強化選手に選ばれて、車長としてそこそこの働きをしたわたしは、プロの戦車道チームに誘われた。そのときわたしが選んだのは“スポット参戦”という措置だった。  これは元あんこうチームの皆と考えて打った手だったんだけど、要するに家庭に入った元選手も、気軽に戦車道に参加出来るようにする為の第一歩だったってこと。

2 17/08/30(水)22:41:57 No.449755597

 人気選手はシーズン中に出ずっぱりになり、その神経をかなりすり減らす。その結果怪我したり身体を壊したりして長期活躍出来る選手はマレだ。  だからね、交代交代で戦うことが出来るようにすればいいんじゃないかって考えたのね。ちょっと違うけど、野球の代打みたいな感じかな。戦車道は一年通して行える競技だから、これは今までの選手も応援してくれる手法だった。  実際わたしの車長としての戦績もよかったのよ? 本当よ!  ただね……会社はそうは思わなかったみたいで。  くよくよと昔のことを思い出していたら、麻子ががしっとわたしの足を掴んだ。 「沙織、もうちょっと横になれ」  もー邪魔! 台所行けないでしょ! 「いいじゃないか。もう少し一緒に横になって寝てけ」

3 17/08/30(水)22:42:13 No.449755680

「お腹空いてるでしょ。それより麻子は仕事いいの?」 「私はおまえみたいに裏切られないから平気だ。去年は数十億単位で稼いだんだ。休養は取らないとな」  わたしは口をへの字にした。  そう。チームはわたしと今年の契約を結ばないと言ったのだ。理由はわたしがプロ競技にふさわしくない、とかなんとか。確かにわたしがこの主張をして、少なくない選手が助っ人選手としての参戦を希望した。その結果選手との契約金を下げる代わりに、複数の選手を更に加えなければならなくなった、という事情も出来た。これは企業としては確かに問題だろう。  しかしわたしが下ろされたのは、そういうソロバン上の計算以上に、わたしが生意気だというチームオーナーの不満が原因だった。昨年わたしがいろいろなところに講演に呼ばれたのも理由かもしれない。流派をバックに持っているわけでもないスポット選手に大きな顔をされたくないというわけだ。

4 17/08/30(水)22:42:39 No.449755796

 そしていままで勤めていた会社も辞めることになった。これはわたしが麻子の手伝いをしたり、戦車道に関わったりしていたのを、会社の上層部が嫌がったせいだ。正確には今年から入った相談役というのが、余剰人員を切れと言ったのが原因だとか。社長以下幹部の人たちとはそれなりに仲良くなっていたのに、外部からの相談役とやらがちょっと煽った瞬間こんなことになるなんて――。  麻子のさっきの言葉は、わたしをこんなめに合わせた会社に対してのムカつきから出たってのをわかっているつもりだ。この軽口も、麻子なりの慰めみたいなものだってのも。  でもさ! 知っててもちょっとムカツクよね!  文句を言ってやろうとしたらトカゲみたいにわたしの身体を這い上がってきて、以前より随分背の高くなった幼なじみはぎゅっとわたしをハグした。

5 17/08/30(水)22:43:03 No.449755897

「だいじょーぶだ、沙織。ちゃんと見てくれている人は、お前のことを見てくれている」 「ほんとかなあ」  わたしはため息をついた。  そんなこと言われたって、全然自身ないよ。  泣き言をいうわたしに、麻子はすうっと息を吸ってから、耳元で囁いた。 「いざとなったら私がしばらく面倒をみてやるから」  しばらくって、いつまでよ。 「その後は私のために、馬車馬のように働いてくれ」  勝手なこといわないでよ、やだもう!  それから二人でお相撲みたいにぐるぐる部屋のなかを回っていたんだけど、そのときだった。わたしのスマホがブルブルッて震え始めたのは。 「ほら、おまえを求めている人から、連絡だ」  ぱっと解放されてスマホのスイッチを入れる。画面にパッと現れたのは、いつも明るいあの人の笑顔だった。 『ヘイ! 沙織、いま暇? 時間ある』  ええ、もう。  そりゃあ売るほどありますわよ!

6 17/08/30(水)22:43:30 No.449756012

         2 「グンモーニン、悪いわね」  急いで駆けつけたわたしに、ケイは手をひらひらさせて言った。  221B。  わたしの家から、ジョギングで10分くらいのところにある三階建てのアパルトマントに、ケイとダージリンは住んでいた。大家の波戸村さんに挨拶して、オープンカフェにもなる『スピーディーズ』を尻目に厚い木の階段を上がっていくと、もうそこが戦車探偵のアジトだ。 「ちょっと奇妙な依頼だから、第三者の立ち会いが欲しかったの」 「ダージリンは?」  長い付き合いの果て敬称はすっかり取れている。あの英国面が居れば一応用事は足りたろう。まあ、呼ばれればなんであっても来ただろうけど、暇だし。

7 17/08/30(水)22:43:47 No.449756090

「あの御方は、戦車でお出かけ中よ。それでこんな役得を残して下さってっていうわけ」  鼻を鳴らして、でもケイはどこか嬉しそうだ。わたしも実のところちょっとワクワクしている。電話を受けてから顔を洗うのもそこそこにやって来たのもそのせいだ。  誘われるまま二人の部屋に顔を覗かせると、紅を基調にした装飾が目に入る。暖炉の茶、テーブルの木の色、ソファの色が聖グロリアーナ緋と呼ばれる赤い絨毯に合うように配置されていて心地よい。  でも今日はその調和の取れた美しさよりも、一際目立つ真っ白いものが目に飛び込んできた。 「ほんとだ! わんちゃん!」  やーん! グレート・ピレニーズ!  警戒心強いって聞いたことあるけれど、この子はわたしの声を聞いて尻尾を振ってくれた。それからにおいを嗅ぎつつ近づいて、お辞儀みたいに頭を下げた。撫でていいよの合図だった。

8 17/08/30(水)22:44:40 No.449756334

 かあああああわあいいいいいいいなああ!  青い首輪もとってもキュート! 「この子を引き渡してって言われたのよね。デイジィに」  無茶苦茶撫でまくるわたしにケイが苦い声で言う。なんでそんな声出してんの? こんな賢い子だし、問題ないんじゃない? 「それが大ありなのよ」  ケイも腰をかがめて犬の頭を撫でる。 「ここに来るのは二人の男性なの。確認の電話も二本別々」 「え? つまりそれって」  わたしは目をぱちくりさせた。 「そう。この子を引き取りに来る人は別々なの。それも両方ともグレート・ピレニーズで、名前も同じ“ヘンリー”」  え?  それっていったい……。  えええええええ!

9 17/08/30(水)22:44:58 No.449756424

 ヘンリーはいい子だった。  トイレの心配とかしていたんだけれど、それは大丈夫だったみたいだ。お外で済ませてきたのかもしれない。  ケイが用意してくれたスープをパンと一緒に頬張って(ケイとダージリンのスープは具が多すぎるか少なすぎるかで均等なことがない)わたしたちは来る予定の時間まで待った。  お皿をシンクに置いたとき、車の止まる音がした。窓から覗くと赤いかわいい自動車が道路脇の駐車スペースに鎮座している。中から痩せた男性が出てきた。同時に道を一人の男性が駆けてきた。がっしりして口ひげを生やしている。彼らはこのアパルトマントの前でぶつかりそうになり、互いにお辞儀をしてそれから階段を上ってきた。 「ケイ! 来たよ!」 「じゃあ沙織、迎えてあげて。私は紅茶の準備をするから」  玄関のドアは開けたままになっている。さっきの髭の男性が顔を覗かせた。 「失礼ですが、こちらに私の家の犬がおじゃましていると――」  ヘンリーは彼を見て尻尾を振っている。いぶかしげな顔をして髭の男の人が入ってくると、続いて来た痩せた男の人が。 「ヘンリー!」  と叫んだ。

10 17/08/30(水)22:45:19 No.449756530

「ワン!」  ヘンリーが吠えて、二人を見比べた。それからまっすぐ後から来た人の方へとてくてく歩いて行く。それから隣の男の人に。 「ワンワン!」  と吠えた。敵意? それともなにか言おうとしてるのだろうか? いずれにせよ髭の男の人はちょっと後ずさって、それから尻尾を振って髭の人に頭を下げる。  あ、撫でていいんだ、ヘンリー。  その瞬間、ヘンリーに呼びかけた人が不可解な表情を浮かべた。 「おかしい。これはうちの犬の首輪じゃない」 「ええ。これは多分、うちの犬の首輪です」  奇妙な沈黙が生まれた。髭の男の人はなんて言おうかちょっと考えた後で、付け加える。 「そしてうちの犬の名前もヘンリー」 「え?」  後から来た人は固まってしまった。そりゃそうだろう。預かって貰っているはずの犬を、引き取りに来たのが二人だなんて。 「戸惑わせてしまってごめんなさい」  ケイが紅茶ののったお盆を持ってキッチンからやってくる。

11 17/08/30(水)22:45:37 No.449756619

「実は私はこの子を預かっただけで、詳しい状態がわからないんです。  これがタチの悪い悪戯か、それともなにか深い事情があるのか。  からかわれているのがあなたたちなのかそれとも私たちなのか確認したいんです。お時間はありますか?」  二人の男性は互いの顔を見て、はあ、と頷いた。髭の人は渋い顔をしながらも、ケイのいうことを飲み込んでくれたみたいだ。 「幸い俺は今週いっぱい休みなんだ。時間はある」 「あ、僕もそれは大丈夫。ただ、もしあまりにおかしい話だったら警察を呼ばせていただきますけれど構いませんね」  痩せた男性はそう言って、夏用の背広のポケットから名刺入れを取り出すと、真新しいそれを人数分取り出して手渡した。  建築士 尾留 円理 「ご丁寧にどうも……。俺は名刺があいにく持ち合わせないんですが、馬州と言います。  馬州益男です。名字だからじゃないんですが、遠距離バスの運転手をしているんです。  もし必要があれば、会社に連絡して貰えれば確認して貰えると思います」  なるほどね。  つまりこのわんちゃんは、馬州か尾留家の犬ってことになるわけだ。

12 17/08/30(水)22:47:06 No.449757105

su2001451.txt 長いのでテキストー 雑談スレにも出したけど、沙織の未婚のルールに従って立てました

13 17/08/30(水)22:57:48 No.449760100

かで区切るんだ…

14 17/08/30(水)23:01:15 No.449761018

かで区切る?

15 17/08/30(水)23:02:32 No.449761354

バス「か」ビル家 の「か」だろう

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