虹裏img歴史資料館

1 17/01/27(金)21:52:37 No.405377402

　結局のところ、料理をする人がいないというのが大きな問題だった。 　もともと整頓は好きだし、お洗濯もこだわる方だ。ゴミ出しも嫌じゃない。問題は調理だった。 　認めたくはないけれど、わたくしダージリンは致命的なほどに料理が出来ない。 　何を作っても味がしない、妙に油が濃い、あるいは形容しがたい味になるの三択。 　今まで家族や友人、後輩にも幾度となく教えを乞うたが、何を作ろうとも出来あがるのは不思議な味の食べ物ばかりだった。 　そうなると、食事はどうしても外食・レトルトが多くなる。 　一人暮らしを始めて一年。いくら選んでも「レトルト」の枠に囚われ続ける食生活に、わたくしはいよいようんざりし始めていた。 　……なんだか最近は、紅茶さえ同じ味に感じられてきたほどだ。 　わたくしダージリンの根幹を支えるべき部位が大いなるマンネリ化を迎えていることについて、早急に対策をする必要があった。

2 17/01/27(金)21:53:10 No.405377523

『家事手伝い募集　料理の出来る方』 「正気ですか？」　 　市電通り、わたくしのアパートの斜め向かいにある純喫茶「五郎」にて。 　オレンジペコは広げた新聞の三行広告を口に出して読むと、借りていた本を返すような気軽さでわたくしを罵った。失礼ね。 「……こんな格言を知ってる？　正気とは、狂気的に強い情熱がいくつも組み合わさってできるものである」 「ラッセルですね」 「いつでも『普通』でいることが必ずしも正気の行いとは限らないんじゃない？」 「ダージリン様の行いがぶっ飛んでるのは高校時代からですので、今更普通の人ぶられても困りますが……」 　そう言って小さく溜息をつくと、テーブルのアイスティーをどけて新聞を広げる。 「こんな広告出してる人、ダージリン様以外にいませんよ」

3 17/01/27(金)21:55:35 No.405378104

「あら、少し前のヨーロッパでは新聞広告によるメイドの募集は一般的だったらしいわよ？」 「ここ日本ですし……だいたい雇うって、お金とかどうするんですか」 「今も外食でだいぶ使ってしまっているもの。それが浮くと考えればいいし、 　それに、家の方からもいくらか回していただけるようになったの」 「よくＯＫしましたね……。いえ、ダージリン様が料理を覚えるかもしれないとなれば、私もそれくらい出すかも」 「ペコ、貴方さっきからちょこちょこと手厳しくないかしら」 　オレンジペコは何食わぬ顔でアイスティーを一口飲み、わたくしの言葉をやり過ごした。 「いい人が来るといいですね」 　そしてにこりと微笑む。 　いい後輩だと思う。いろんな意味で。

4 17/01/27(金)21:56:06 No.405378230

◆ 　アパートの呼び鈴が鳴ったのはそれから一日置いた夕方のことである。 　大学から戻ったばかりのわたくしは急ぎコートを掛け、身を整えた。 　宅急便やガスの検針ではない。宅急便はもっとテンポよく階段を上るし、ガス会社の方はゴム長をはいているので足音が独特だ。 　この足音には１階上るごとに踊り場をうろうろするような間があり、アパートに初めて来た方が表札を確認しながら登ってきていることが窺えた。 　それがわたくしの部屋の呼び鈴を鳴らしたとなれば、広告を見た方が来たと考えるのが自然だろう。 　ドアの前で一呼吸。第一印象は大切。リチャード・ブランソンも言っている。 　わたくしは少し浮足立った心でドアを開き、そこにいる人物を見て──口元を隠しもせず、ぽかんと口を開いた。 「お久しぶりです、ダージリン殿！　しばらくの間御厄介になります！」 　大きな風呂敷を首に背負った彼女はぴんと背筋を伸ばしてそう笑った。

5 17/01/27(金)21:57:35 No.405378637

　西絹代。 　冗談・嫌味の類が一切通じずそのくせ都合のいいところで変に格好のいい所を見せてくる、わたくしの天敵ともいうべき人物である。 　聖グロリアーナ卒業以来とんと会っていなかった彼女がなぜ今更こんな所に。 　それも、冗談みたいな風呂敷包みを抱えて。 　それではまるで、わたくしの家に住むみたいではないか。 「……西さん」 「はい！」 「とりあえず、お茶にしましょうか」 　わたくしは流れる状況の洪水に押し流される前に、聖グロリアーナ伝統の解決法を試みることにした。 　西さんを座らせ、銀のポットに目の覚めるようなきつめのダージリンを入れる。 　蒸らす時間にちらりとテーブルの方を見たが、やはり西さんは現実にそこにいた。 　夢ではないのだ。決して。 　カップに注いだダージリンの香りが、少しだけ心を落ち着かせてくれる。 　わたくしは西さんにお茶を出したあと、自身も一口頂いてからゆっくりと言葉を紡いだ。

6 17/01/27(金)21:58:05 No.405378761

「本当に久しぶりね、西さん。……それで、今日は一体どうされたのかしら」 「はい、こちらの家で家事手伝いを募集されているとのことでしたので、 　この西絹代、住み込み道具一切持って応募させて頂いた次第であります！ 　いやあ、表札に名前が書かれているときはもしやと思いましたが、まさか本当にダージリン殿のお宅であったとは！ 　人生何が起こるか分からないものです、はっはっは！」 　快活に笑う彼女に、つとめて冷静に対応するようわたくしの心が呼びかける。 　ええ、ええ、分かっていますとも。この際、言うべきことはただ一つ。 「……西さん」 「なんでしょう、ダージリン殿」 「わたくし、家事手伝いは週に何度かの通い制のつもりでしたのだけど」 「え」 　西さんの笑顔がぴたりと止まり、目をまん丸く開いて硬直する。 　なかなか見られない顔である。少しした後、西さんは不思議そうに首を捻った。 「しかし奉公といえば風呂敷ひとつ持って住み込みと相場が決まっており」 「いつの時代の話よ！」

7 17/01/27(金)21:59:07 No.405379025

　思わず荒くなる口調に、わたくしは口元を苦々しく歪めると顔を手で覆った。 　つい先日、オレンジペコにした話が自分に跳ね返る。 　何が少し前のヨーロッパでは一般的よ！　発想が西さんと同じレベルじゃないの！ 「ううむ、そうでしたか、通いだったとは！　いや私またしても心得違いをしてしまったようです！」 　耳に残る吞気者の笑い声が妙にまとわりつく。 　ああ、この人は、本当に、何も変わっていない。 　いっそ安心感さえ覚える声にわたくしはどこか力が抜けてしまい、とりあえずソファにゆっくりと体を沈め、もう一度紅茶の匂いを楽しむことにした。 　少し冷めたダージリンの香りがわたくしの心を落ち着かせてくれる。 「……ダージリン殿」 　そんな時、いやに自信のなさげな、らしくもない西の声が届く。 　つい先程とはまるで別人のような、芯の通った少し低めの声。 　隊長として指示を出す時のような、凛とした声色。

8 17/01/27(金)21:59:50 No.405379196

「そこをなんとか、住まわせて頂く訳にはいきませんか」 　西さんはそういうと、膝に頭をぶつけるほど深くぺたりと頭を下げる。 　土下座でもし始めそうな勢いにわたくしは慌てて顔を上げさせた。 「顔を上げて頂戴、西さん。一体、どうしてそこまで……」 「実は、ここでの住み込みをあてにして前の家を引き払ってしまいまして」 「……本当に何をしているのよ、貴方は」 　再び、脱力。急に真面目な口調になったかと思えば、すぐこうなる。 　ふざけてるのか、大真面目なのか……。 　わたくしはどうにも捉えどころのない感覚に苛立ちともつかない感情を抱きながら、少しの間頬杖をついて考えた。

9 17/01/27(金)22:01:19 No.405379534

　この問題を解決することは簡単。不採用と一言告げて玄関からお帰りいただけばいい。 　けれど……わたくしは両握り拳を膝の上に乗せる西さんの方を窺う。 　彼女の表情は、いつも通りの自信満々な……風でもなく、どこか心細げで。 　……表面上は取り繕っているが、不安なのだ。 　わたくしは少しだけ考える。部屋は別に狭くもない、むしろ一人暮らしには少し広いと感じているくらい。 　ベッドの空きはないけれど、布団は予備の使ってないのが一組あった。 　何も問題はない。とても不本意ながら。 「西さん」 　わたくしは大きな、とても大きな息を吐くと……ゆっくりと言った。 「レトルトよりおいしいカレー、作れるかしら？」

10 17/01/27(金)22:03:11 No.405380008

　くすんだ色の街の並びに立つ、３階建ての安アパート。 　２２１Ｂでも開化アパートでもないありふれたこの部屋で、わたくしは大学二年目の日々を送る。 　 　それがどんな日常かは分からない。 　ただ少なくとも去年より少しだけ忙しく、何かと大変で、そしてほんのちょっぴり退屈じゃない日々になる。 　根拠は何もないけれど、そんな気がしてならなかった。 　キッチンから流れてくる美味しそうなカレーの匂いに鼻孔をくすぐられながら、 　わたくしはさしあたり、恐らくほぼ確実に、このあと自分が厄介な同居人を抱える羽目になるだろう事についてあれこれと思い悩むことにしたのだった。

11 17/01/27(金)22:06:05 No.405380664

先に退路を断ってから突撃するとは…知波単魂過ぎる…

12 17/01/27(金)22:07:58 No.405381110

正に背水の陣…

13 17/01/27(金)22:10:54 No.405381859

てきすとー su1727610.txt ケイダジルームシェア一周年おめでとうございます ルームシェアネタを西ダジでリビルドしてみました 訴えないでください

14 17/01/27(金)22:12:28 No.405382271

ダー様二年生ということはペコちゃん三年生か… 色々と考えること悩むことが多くて疲れるけどそれを口に出せる相手にも負担をかけちゃうから進学してもあんまり変わらない変人の安定感を求めて会いに来て毒吐いてそれでも相変わらずダージリンなことに安心しちゃったりしてるんだ…

15 17/01/27(金)22:16:32 No.405383308

素晴らしきこの世界！

16 17/01/27(金)22:17:44 No.405383600

カレーと言えば海軍なイメージだけど カレーが好きなのは何も海軍だけに限ったことじゃないわ 陸軍も自衛隊も日本国民ならみーんなカレーが大好き だってカレーライスは国民食で私も日本人ならあなたも日本人だから ね？まほさん

17 17/01/27(金)22:21:24 No.405384513

広告に応えて人が来てくれたってシチュエーションにウキウキしてるダー様可愛いな…

18 17/01/27(金)22:23:08 No.405385037

ダージリン殿！本日の夕食は白米と乾燥味噌の味噌汁です！！

19 17/01/27(金)22:23:31 No.405385119

とてもいい…

20 17/01/27(金)22:24:31 No.405385368

西さん割烹着に三角巾が似合いそうだな

21 17/01/27(金)22:25:03 No.405385510

おもしろかった

22 17/01/27(金)22:26:25 No.405385909

テキストの方の >「こんな格言を知ってる？　あとで怒られようが何されようが、それまでは書いたやつが勝ちだ」 >「誰ですか貴方？」 でなんかダメだった

23 17/01/27(金)22:26:57 No.405386041

風呂敷を降ろすと中から飯盒やらアルマイトのお椀やらが…

24 17/01/27(金)22:27:40 No.405386204

日本のカレーはイギリス式なんだっけ

25 17/01/27(金)22:28:19 No.405386366

横浜中華街でカレー戦争が起きているらしいな・・・

26 17/01/27(金)22:32:00 No.405387164

デザートのパイ缶であります！

27 17/01/27(金)22:36:02 No.405388216

カーテンの隙間から差し込む朝日が瞼を刺激し出す頃 キッチンから響いてくるリズミカルな音が優しく目覚めを促す 西さんが来るまでは美味しい朝食が必ず待ち受けているということがこんなにも活力をもたらしてくれるとは考えもしなかった まさか寝不足の日のベッドの誘惑にも勝るなんて！

28 17/01/27(金)22:39:23 No.405389001

>日本のカレーはイギリス式なんだっけ 性格にはイギリスカレーを更に日本の米に合うようにローカライズしたもの でもそのイギリスでは家庭料理としてのカレーはほぼ廃れてお店でもインド式がメインでイギリス式は滅多に見かけないとか

29 17/01/27(金)22:39:30 No.405389035

この二人だと明智小五郎と小林少年みたいなノリで怪人包帯熊や加藤保憲なんかと対決しそう

30 17/01/27(金)22:42:57 No.405389886

まな板と包丁の音で目覚めちゃうんだ…

31 17/01/27(金)22:43:23 No.405389995

日本ではカレー粉の普及が洋食店で全国的に展開されて供給体制ができて 美味いなこれって国民全体に広まって家庭でもカレー粉買って作るようになって ちょっとしてからもう最悪煮るだけでいいルーの形で供給されるようになって完全に定着した

32 17/01/27(金)22:46:57 No.405390813

>まな板と包丁の音で目覚めちゃうんだ… 最初の頃は目覚めて戸を開けるとおはようございます！！！って声張り上げて挨拶してくれたけど ご近所迷惑だからって名目で少し静かにして貰うことにして 今では柔らかくも活力を秘めた笑顔で優しくおはようございますと言ってくれる 素敵ね

33 17/01/27(金)22:49:09 No.405391287

これ続きますか！？

34 17/01/27(金)22:50:16 No.405391545

>最初の頃は目覚めて戸を開けるとおはようございます！！！って声張り上げて挨拶してくれたけど >ご近所迷惑だからって名目で少し静かにして貰うことにして >今では柔らかくも活力を秘めた笑顔で優しくおはようございますと言ってくれる >素敵ね いい…