24/03/02(土)00:41:34 https:/... のスレッド詳細
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画像ファイル名:1709307694462.jpg 24/03/02(土)00:41:34 No.1163179544
https://news.sp.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=25569 瀬戸口先生は、厳しくも優しい先生でしたね。今とは競馬界を取り巻く環境が違うかもしれませんが、馬主さんから「福永を替えてくれ」という話があったときに、「だったらこの馬、よその厩舎に持っていってください」と言ってくださったこともあったそうです。北橋先生も同じようなことが何度かあったのですが、まさか瀬戸口先生までそんなふうに言ってくださるなんて…。うれしかった半面、ものすごく責任を感じましたね。 06年には北橋が、07年には瀬戸口が、定年により相次いで引退。05年には、自身初となる年間100勝(109勝)を達成したが、06年は88勝、07年は82勝と、微減ながら成績は下降線をたどり、重賞制覇の機会も減っていった。
1 24/03/02(土)00:42:07 No.1163179691
実際、目に見えて成績が落ちました。そのとき(解散)がくることはずっと前からわかっていたことですから、そこでもっと早く気持ちを切り替えられれば良かったんですけど…。ちょうどそのころ、岩田くんが園田からJRAに移籍してきたんですよね。 この年、岩田くんは126勝で全国3位、自分は88勝で全国9位。園田から乗りにきているころはそれほど意識していなかったが、さすがにこれだけ勝たれたらそうはいかなくなった。黒船来襲──自分にとってはそれくらいの出来事だった。それは、同世代(実際には岩田くんのほうが2つ年上だが)だったということも多分にある。語弊を恐れずにいえば、同期を意識したのは、“新人賞を獲らなければいけない”と思った1年目だけで、年齢が近い人たちに対して危機感を抱いたことはなかった。
2 24/03/02(土)00:42:37 No.1163179842
だから、ジョッキーになって初めて、誰かと自分を比較して焦りのようなものを感じたのだもうひとつ、岩田くんを意識せざるを得なかったのは、エージェントが同じ人物だったということもある。確かに自分もいい馬に乗せてもらっていたが、岩田くんはそれ以上に見えた。実際、すごい勢いで勝っていたし、たとえばダービーひとつをとっても毎年のように有力馬の騎乗を任されていた。 一方で、岩田くんとは当時から仲が良かった。最近でこそ、自分が結婚したこともあって機会は減ったが、当時は四位さんと3人でよく飲みに行っていた。本当にただ飲んでいただけなのだが、岩田くんはすごく楽しそうで、「これが中央の遊びか!」と口癖のように言っていたのがおかしかった。本当にただ、まったり飲んでいただけなのに(笑)。
3 24/03/02(土)00:42:57 No.1163179934
話を戻して、そのストレスがピークに達したのが、おそらく2007年の春。前にも書いたが、エイシンドーバーで京王杯SCを勝ったころだ。今思い出しても、あの頃が精神的に一番しんどかった。京王杯の勝利ジョッキーインタビューで、「これでもう少しジョッキーを続けられそうです」と話したが、あれは冗談でもリップサービスでもなく、本気でジョッキーを辞めることを考えていたからこそ出た言葉だった。 自分がデビューしてからというもの、トップは常にユタカさん。いつかは自分がその位置に…という思いではいたが、“年間200勝”なんていうとんでもない数字を何度も目の当たりにし、いつしかそんな気持ちも薄れつつあった。そこに登場したのが岩田くん。岩田くんは、虎視眈々とトップの座を狙っていたし、実際、同世代ということでずいぶん発破をかけられた。