虹裏img歴史資料館

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23/10/17(火)00:56:07 おそら... のスレッド詳細

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画像ファイル名:1697471767548.png 23/10/17(火)00:56:07 No.1113469105

おそらく、全国の学生が最も暇になる春休み。大学生である男は一人で電車に乗り、都会とは反対方向に向かっていた。彼にこれといった目的地はない。ただ、持て余した余暇をビル街の真ん中で燻ぶらせているのも癪であったのだ。人のいないところであてもなくぶらぶらと過ごすのもいいではないか、そう考えたのである。彼は都会育ちではあったが、人混みが苦手だった。 電車はビルの通りをあっという間に抜け、住宅街をも超えて畑が広がる静かな……彼の感覚で形容するならば寂れた場所を走っていた。男はいつもより深めに耳に挿したイヤホンから流れるお気に入りのオルタナティヴ・ロックのサウンドと共にその景色を楽しんでいた。乗客は彼の他に二人だけ。三両編成の電車は都会と比べてずっと広い駅間を長い時間をかけて走り続けていた。

1 23/10/17(火)00:56:45 No.1113469273

都会を離れてから一時間と少しが経っただろうか。彼のプレイリストがダウナーな曲のゾーンに差し掛かったからか、はたまた列車の外の変わらぬ風景に飽きたからか。ともかく彼は睡魔に襲われた。左右どちらにも人のいないゆったりとした座席空間を存分に活かし、彼は夢と現実の合間を彷徨った。ちょうど陽の光が彼の体を照らしていた。自然の布団である。彼のうたた寝は極上のものとなった。 彼が完全に意識を手放そうとしたその瞬間、膝上に置いていた彼のスマホがごとりと床に落ちた。イヤホンも一緒に耳から抜け落ちる。彼は鼓膜に吹き込む新鮮な空気とスマホの落下音で一気に覚醒した。慌てて落としたスマホを拾おうと床を見渡す。すると、既にそれを拾い上げた同乗者と目が合った。 彼女は数秒彼の目を見つめたのち、スマホを彼に差し出した。スマホを拾ってくれた彼女は特徴的なウマ耳と尻尾。そして小さな帽子のような王冠を頭に乗せたウマ娘であった。

2 23/10/17(火)00:57:06 No.1113469369

「あ……ありがとうございます」 「アストンマーチャンです」 「……え?」 「アストンマーチャンと言います。とびきりキュートでレースでも大活躍中。マスコットとしても有名なのです。ご存知ないですか?」 「あー……ごめんなさい。俺、ウマ娘には詳しくなくて……」 「そうですか。それでは今日から覚えてください。とびきりキュートなアストンマーチャンです」 「アストンマーチャン……」 残念ながら、彼はウマ娘に関する知識を殆ど持ち合わせていなかった。しかし、目の前のウマ娘が自身の言葉通り優れた容姿と雰囲気を纏っていることは理解できた。 本人の目の間でスマホを使って検索するのも気が引ける。名前を覚えておいて、後で調べてみよう。もし有名人であれば、休み明けに友人との話の種になるに違いない。そう思って彼はシートに座り直した。 「どちらへ行かれるんですか」 彼がイヤホンを再び耳に挿し込もうとしたその瞬間、もう一人の同乗者である青年が声を掛けた。隣同士で向かいのシートに座っている所を見るに、彼とアストンマーチャンは兄妹かカップルのようであった。

3 23/10/17(火)00:57:26 No.1113469457

「いえ、別に目的地はないんですけど。人がいないところに行こうかと思って。そちらは?」 普段ならば適当に会話を打ち切って再び音楽に浸る彼であったが、今回は違った。少し変わった雰囲気を持つアストンマーチャンと彼女の付き添いのことが気になったのである。 「僕たちも似たようなものです。人のいないところでピクニックでもしようと思って」 そう言うと彼はカバンの中から弁当箱が入っていると思われる包みを見せた。 「ピクニック……いいですね。こんな春にはぴったりっていうか」 「そうですね。もうすっかり春です。困ったことにね」 青年は意味深に苦笑いをする。隣の座るアストンマーチャンも少し困ったような笑顔を浮かべていた。 「春に何か嫌なことでもあるんですか?」 「いや、ちょっとね。彼女、春が苦手なんですよ」 「それって花粉とかアレルギーみたいな……?」 「いえ、それとも少し違うんですけど……とにかく、苦手なんです」 「へー……不思議ですね」 電車は変わらずガタゴトと揺れていた。聞いたこともない駅にまもなく停車するとアナウンスが告げる。周りは相変わらず畑ばかりだ。

4 23/10/17(火)00:57:42 No.1113469530

「昼食はもう食べたんですか?」 「いえ。どこか適当なところで降りて食べようかと」 「なら、次の駅で降りるといいですよ。この路線で飲食店が揃っているのはそこくらいですから」 「そうなんですか。ありがとうございます」 たとえ手にしているスマホで調べればすぐに分かる情報であったとしても、彼にとってはありがたいものだ。あてもなく散策したいと言っても畑の中で飢えに耐えながら彷徨いたいわけではない。 彼は再び車窓の外を眺めた。見えるのは広大な畑とぽつんと点在する一軒家だけだった。 「僕たちの他には誰もいないみたいですよね」 青年が言う。 「そうですね。都会とは大違いです」 男は景色を眺めながら、そう答えた。 「だけど、僕たちは確かにここにいます。誰かに見られていなくたって」 変な人たちだな、と男は思った。悪い人たちでないことは確かだが、変わっている。しかし、それ以上踏み込む度胸が彼にあるわけではなかった。

5 23/10/17(火)00:58:09 No.1113469651

電車はガタゴトと揺れながら走っていく。男と青年たちの間でそれ以上会話が続くことはなかった。次第に周囲に建物が増え始める。青年の助言通り、まもなく到着する駅の周辺には飲食店がありそうだ。 電車が少しずつ速度を落として駅に停車する。ドアが開くと、乗客が数人乗り込んできた。男は降り際、もう一度彼らの方を見た。 「ありがとうございました。えーっと……アストンマーチャンさんと……」 「この人はトレーナーさんです。とびきり優秀なマーちゃんのバディなのです」 「こちらこそありがとうございます。アストンマーチャンをよろしくお願いしますね」 随分と宣伝熱心な二人だ。そう思って彼は電車を降りた。ちょうど片手一握り分の思い出を胸に抱えて。偶然の出会いもなんだか風情があるものだ。変わり者の二人組が電車でさらに遠いどこかへ向かう様子を見送りながら、彼はぼんやりとそう思った。さようなら、旅の人よ。

6 23/10/17(火)00:59:07 No.1113469908

それからの彼の行動は特にこれといって珍しいことがあるわけでもなかった。結局、駅の周りにはありきたりなチェーン店しか見当たらず、彼は都会でもよく行く中華屋に入っていつもと同じセットを頼んだ。腹を満たすと僅かなビル街の他にはなにもなさそうなこの地域を散策する気も失せ、すぐに降りたホームとは反対側で各駅停車が来るのを待った。 電車が来るまで30分。時間を持て余した彼は駅に併設されたコンビニに入った。お菓子のコーナーの隅にウマ娘の缶バッジセットがひっそりと売られている。今までの彼とは無縁のものであったが、その中に見覚えのある顔を見つけ、思わず手に取った。アストンマーチャン……確かに、さっき電車で出会った彼女の顔が描かれた缶バッジだった。 「すいません、これ買います」 「どうもぉ……あれ? こんなの売ってたっけ? ま、いいや。まいどあり」 きっかり300円。缶バッジを付ける趣味があるわけでもウマ娘のレースに興味があるわけでもないが、不思議と満足感が彼の心を満たしていた。

7 23/10/17(火)00:59:38 No.1113470048

ちょうど電車が来る5分前になった。彼はふと思い立ち、スマホでアストンマーチャンについて検索した。田舎の駅ゆえに電波が悪いせいでブラウザの表示は遅かったが、確かに先ほど出会ったウマ娘がかなりの知名度を持っているであろうことを示すページが次々と表示された。 「なんでこんな有名なのにあんなに宣伝熱心だったんだろう……」 距離感の近さを売りにした子なのかもしれない。ウマ娘に詳しくない男は適当にそう結論付けた。 「お、ブログがある……めっちゃページ数あるな」 男はアストンマーチャンのトレーナーが描いているブログに掲載されている漫画を見つけた。つまり、先ほどこの場所を教えてくれた彼が描いたものだ。眺めているとなんとなくほんわかとする内容で、今の彼の気分にはぴったりであった。 電光掲示板が点滅して電車の訪れを知らせる。三両編成の電車にはやはり数人しか乗っていなかった。 休みが終わったら、ウマ娘に詳しい友人に彼女について聞いてみよう。男はそう思って電車に乗り込んだ。とりあえず、帰りの電車も退屈せずにすみそうだ。彼はブログにあった4コマ漫画の一日目のページを開き、そう思った。

8 23/10/17(火)00:59:51 No.1113470113

「……くしゅん! 誰かがマーちゃんの噂話をしているのでしょうか。……そうならいいのですが」 「そうかもしれないね。ほら、今日のブログの閲覧数。一人、見てくれた人がいるみたい」 「もしかすると宣伝の成果かもしれませんね。帰りの電車でも、頑張ってみましょうか」 「そうだね。あぁ、それにしても……春だなぁ」 旅の人よ、ありがとう。二人は胸に残った暖かい思いを噛みしめるように、おにぎりを頬張った。

9 23/10/17(火)01:00:32 No.1113470293

春先にアストンマーチャンと遭遇できたら素敵だよな、と思ったので書きました 季節感がねぇや

10 23/10/17(火)01:04:27 No.1113471365

マーチャンマーケティング成功してるの初めて見た

11 23/10/17(火)01:12:58 No.1113473698

四季全部でマーチャンマーケティングしろ

12 23/10/17(火)01:33:17 No.1113478763

一番ヤバい時期にも何故かアクセスできる猛者が居た理由これかぁ

13 23/10/17(火)01:36:20 No.1113479467

私はいいと思う

14 23/10/17(火)02:50:00 No.1113490944

>「……くしゅん! 誰かがマーちゃんの噂話をしているのでしょうか。……そうならいいのですが」 >「そうかもしれないね。ほら、今日のブログの閲覧数。一人、見てくれた人がいるみたい」 >「もしかすると宣伝の成果かもしれませんね。帰りの電車でも、頑張ってみましょうか」 >「そうだね。あぁ、それにしても……春だなぁ」 > 旅の人よ、ありがとう。二人は胸に残った暖かい思いを噛みしめるように、おにぎりを頬張った。 ここは二人で寄り添って見てて欲しい

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