ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
23/07/04(火)17:42:18 No.1074808070
泥の魔術
1 23/07/04(火)17:45:30 No.1074808973
土と水の属性で泥の魔術ができそう
2 23/07/04(火)18:46:43 No.1074829988
すずめさんの丸っこい車が走り去っていく。歩道からそれを見送った。 「なるほど。すずめは碩学だったのですね。道理で詳しいわけです」 「………うん。大学を卒業するときも残るよう引き止められたぐらい優秀だったんだって。でもすずめさん、ああいう人だから」 セイバーの感心したかのような口調の述懐にこくりと頷く。 大学では西洋の古い叙事詩や碑文に遺された物語に没頭し、朝から晩まで文献に齧り付いていたらしい。 周囲からすればまるで理解できないほどの熱情。でもあの人からすればそんな周りの視線なんてどうでもよかったんだろう。 そういう話を以前たまたま聞いた。今この胸に何故か去来するのは、そういう私の知らないすずめさんの姿のことだ。 「あんなにきちんと考えてくれるなんて思わなかったな………」 喫茶店の片隅で交わした相談を思い出しながら呟いた。 いきなり『名前が分からない英雄のことが知りたい』なんて切り出したら笑われるか馬鹿にされるかだと覚悟していた。 でも最初こそ怪訝そうな顔をしたけれど、すずめさんは驚くほど真摯に話に付き合ってくれた。 次から次に溢れ出る専門知識の数々にあっけにとられてしまったくらいだ。
3 23/07/04(火)18:46:53 No.1074830049
言葉遣いこそぶっきらぼうだけれどすずめさんは一度も私を虚仮にしなかった。 何よりも………怖くなかった。あの剃刀みたいに鋭い視線を前にしても。 「きっとツグミが誠実な気持ちで尋ねたから察したのでしょう」 「そうかな」 「心意気には心意気で応じる方だと見受けました」 そうかもしれない。すずめさんはああ見えて友人がそこそこいる。気性難を知っていて尚、だ。 そして私は10年も一緒に暮らしておきながらそんなこともまるで知らなかった。 こんなに身近にいたのにずっと遠ざけていた。関わり合いにならないのがお互いにとって最良だと勝手に判断して。 ううん………違う。勇気が無かったんだ。私のことを嫌いな人間を許容できなかっただけ。 もしかしたらすずめさんは私のことを嫌っている、という認識さえ私の思い込みでしかなかったのかも知れない。 「───私、何にも知らないんだなぁ………」 後悔の溜め息混じりの台詞が口をついて出た。 あんなにずっと側にいた人のことさえ分かったつもりになっていただけで、本当は全然違った。 恐れを堪えて一歩だけでも踏み込めていたら、以前も今もさっきと変わらない態度で接してくれたような気がする。
4 23/07/04(火)18:47:06 No.1074830117
最近こんなことばかりだ。振り返ってみれば至らなさばかりが目につく。 人に認められたくて、認められようとして、認められていると思えなくて………そんな毎日を送っていた自分の浅さに悄気返る。 まるでひとり相撲だ。私がずっと向き合っていたと思っていたものは実は自分の影法師でしかなかったんじゃないか─── 「しかし成果はありました。これは重要な情報です。 今は過去に失われたものより得られたものを注視すべきです、ツグミ」 「え………あ。そ、そうだね」 セイバーにそう言われて我に返った。あるいは私が落ち込みかけていたのを見てあえて言ってくれたのかも知れない。 「帰って作戦会議しなくちゃだ。何の用意もなく迎え撃ったら次も同じ結果になっちゃうもんね」 「はい。必勝を期しましょう」 真剣な雰囲気でセイバーが答える。いつの間にか雨は止んでいた。これなら傘を差さなくても歩いて帰れそうだ。 踵を返しかけた私はふと聞いてみた。 「雨上がっちゃったね。セイバーは残念?」 きょとんと目を瞬かせたセイバーは一瞬考え込み、やがて小さく頷いた。 「はい。本音を言えば、少し」 背後の空には西日に照らされた虹が掛かっていた。