虹裏img歴史資料館

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23/04/11(火)00:11:16 泥のSS のスレッド詳細

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画像ファイル名:1681139476355.jpg 23/04/11(火)00:11:16 No.1045839807

泥のSS

1 23/04/11(火)00:19:18 No.1045842535

最近読んでない

2 23/04/11(火)01:08:52 No.1045857019

我がギルドの“社長”ことアイザックがリカルダは少し苦手だった。 飾りのない眼鏡。痩けた頬。節張った鷲鼻。そしてあの不気味にぎょろりとした目。 映画の中に出てくる悪役のように陰気そうな鉄面皮。分かっている。そんなのはただの妄想で、実際には立派な人だということは。 珊瑚の海の画舫のギルドでも最大手のひとつである『青の林檎』のギルド長はたやすく務められるものではない。 ただあの目に見つめられるとリカルダは心の奥底までじっくりと見透かされるようでどうにも居心地が悪かった。 「ふう…」 扉を閉じるとつい溜め息が漏れる。緊張からの解放による脱力の吐息だ。 なんてことはない、定例の報告。リカルダに限らず他の構成員だって受けている、アイザックによる面接。 それも厳しい追求を受けるわけでもない。業務に関する簡単な質問を軽くされるだけのもの。 ただそれだけなのだけれども、リカルダにとっては気の重い時間だった。 陰鬱な気分を振り払うようにかぶりを振り、社屋の廊下を安物のサンダルをぺたぺた鳴らしながら歩き出す。 他の建造物に違わずプログラムで生成されたここはアイザックの趣味なのか、少しくたびれた風合いだ。

3 23/04/11(火)01:09:07 No.1045857082

旧世紀───人類がこの新天地に到達する遥か昔、かつて地球という星に文化圏を持っていた頃の娯楽映像に詳しいリカルダは近しい光景を例えることができた。 塗装されたコンクリートの壁に硬質なリノリウムの床。20世紀から21世紀頃の東洋の学舎に印象が近い。 「どういうつもりでこんなふうにしてるんだろう…」 「どういうつもりって、どういうことですか?」 「!?」 独り言のつもりで通路を渡りながら呟いたリカルダは、予想もしないところから声がかかってついびくりと小さく肩を跳ねさせてしまった。 急いで視線を横に向ける。ちょうどリカルダの進行方向からは陰になっているところにベンチがあって、声はそこから発せられていた。 こうしてまず見た時、最初に視線が吸い寄せられるのは彼女の場合その瞳だった。 驚くほど綺麗に澄んだ空色の瞳。詩的な目だとリカルダは思う。 その黒髪、その褐色の肌から感じる砂の気配と相まってまるで砂漠の中に隠された真っ青な宝石のようだ。 珊瑚の海では一般的な水着姿を簡素な上着で包んだ彼女は、リカルダにとっては話す頻度の高い知り合いだった。 人見知りのリカルダにとっては、だが。

4 23/04/11(火)01:09:35 No.1045857204

「どうって、その…この社屋はどういうつもりでこんなデザインを設定して建てたのかな、とか…。ふとそんなことを思っただけだよ」 「…? リックは面白いことを考えるんですね。私はそんなこと思いつきもしませんでした」 ノノイはベンチに腰掛けたまま柔らかく笑う。柔和さや善良さ、優しさといった彼女の人格がありありと見える微笑みだ。 この画舫乗りはリカルダより僅かに年下だが、立場は天と地ほど違う。こっちはまだ仕事も覚束ない新人。対してノノイは若手のホープ。 所詮何事であっても外巻きに漂っているだけの自分と、綺羅びやかにライトを浴びる彼女。必要以上に関わる理由はどこにもなく、そして彼女から自分が時間を奪っていい道理もない。 スタッフロールに名前が記載される役柄の登場人物が『その他大勢』で纏めて片付けられる配役と関わっていい時間なんてほんの数秒程度のものなのだ。 と、リカルダはそう思っている。いたのだけれど。 「そうです、社長がお菓子をくれたんです。いつものポン菓子ですけれど。この後予定がないなら一緒に食べませんか?」 「…えっと、その」 「どうぞ♪」 「…はい」

5 23/04/11(火)01:10:05 No.1045857338

朗らかに微笑むノノイ。片手はベンチの横を示している。そりゃ確かにこの後はオフだけれども。 そう、この人はこういう人だ。とても穏やかな人だが同時にとても押しが強い。それでいて自分なんかにぐいぐい構おうとしてくる。 そしてリカルダは彼女の押しを振り切れるほど思い切ることができるわけでもなかった。下手に断ってノノイに不満を持たれる方が嫌だった。 別に、人間観察力や洞察力が特別に優れているつもりはないけれど。ノノイが自分に好意を持って接してくれていることが分からないほど鈍感じゃない。 おずおずと腰掛けたリカルダへノノイは菓子の袋を差し出してくる。2、3粒摘んで口に運んだ。 表面の砂糖のコーティングが溶けて舌先に丸っこい甘さが広がる。無難に美味しい。社長が愛好しているいつものポン菓子だ。 彼が事あるごとにまとめ買いしてくるあの袋は画舫乗りたちや事務員たちの手によってあっという間に奪い去られていく運命にある。リカルダもたびたび口にした味だった。 「リックはまたしょんぼりしていますね。社長に何か言われたんですか?」

6 23/04/11(火)01:10:32 No.1045857440

「…そんな顔、してるかな。ああ、その…社長からはいつも通り『今後もがんばってください』と言われただけなんだけど…」 「ふふ。リックは社長のこと、ちょっぴり苦手ですもんね」 そう言ってノノイがころころと笑う。からかわれている、と気づくまでに少し間を要した。 それに萎縮するのではなく、ほんのりムッとなるのは自分が彼女に多少なりとも気を許しているからだろうとリカルダは思う。 自分が観客席の観衆なら、ノノイは銀幕の中から抜け出してきて隣の席に座ってくれる役者で。そういう意味では、自分の世界を取り巻く演者の中では少しだけ特別な人だ。 どこにあっても自分が場違いに感じる気持ちを、私はあなたとここにいたいのだと手を握って誤魔化してくれる。 ───それにしても、役者と例えるなら…。 「あれ、どうかしましたか?」 「いや、なんでも。…ううん、訂正する。ノノイがそうしているとまるで映画のワンシーンみたいだなって思ってた。なんだかすごく特別な感じがするんだ。  この切り取ったワンカットだけでも胸を打つような、悲しくも嬉しくもないのに涙が出てきそうな…ノノイを見ているとたまにそんな気持ちになる」

7 23/04/11(火)01:10:48 No.1045857520

ポン菓子を頬張った指をぺろりと舐めたノノイの横顔を観ていたリカルダは率直な感想を告げた。 どちらかというと愛嬌はあるけれどとびきりの美人というわけではない。けれどノノイはどことなく所作に色気があるとリカルダは感じる。 サファイアの瞳。砂の香りのする褐色の肌。夜闇の色の髪。ほっそりとした肢体。そういうものも確かに魅力的ではある。 ただそれ以上に何気ない一挙手一投足から高貴さのような気配が微かに漂っていて、それがついリカルダに不思議な感心を呼び起こすのだ。 それは何もかも画面越しのような感覚を覚えさせる魔眼持つリカルダであればこそ。スクリーン上の決定的なワンシーンを切り取るかのように、鮮烈に映る。 優柔不断で、空っぽで、取り柄もなくて、曖昧模糊としていて、自分のことを自分が一番よく分からないリカルダだけれど、それだけは嘘をつけない。 …と、告げたリカルダの前で、ノノイが「ふぇっ」と変な声を上げてかぁっと頬を赤らめた。

8 23/04/11(火)01:10:58 No.1045857556

「い、いきなりそんなこと言わないでくださいよぅ。びっくりしちゃうじゃないですか」 「え、あ…ご、ごめん…?」 「もう…リックはなかなか自分の気持ちを打ち明けてくれないのに、突然真顔で不意打ちしてくるんですから…」 照れくさそうにもじもじと縮こまるノノイを見ているとリカルダまで頬が火照ってくる。 そ、そういえばそうだ。冷静になってみれば、私はなんだか小っ恥ずかしいことをうっかり口にしてしまったんじゃないか…? ───社屋の窓は群青の色の空から光を僅かに廊下へと投げかけている。薄暗いそのベンチに生ぬるい微妙な空気が漂った。

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