ここでは虹裏imgのかなり古い過去ログを閲覧することができます。
22/12/10(土)23:51:42 No.1002721372
『Help』 赤く色づいた葉が頭の上から足下へ落ちて、冬の足音が感じられるようになってきたころ。いつもなら適当に流し読みする携帯のメッセージ欄に、意味こそ疑いようもないが日常ではまず目にしない文字が踊ったのは、そんな冬の初めの昼下がりのことだった。 「え?」 慌てて送信元を確認して、それが自分の担当──ミスターシービーから送られたものだとわかれば、尚更焦らずにはいられない。いつも面白いことを探して一所に留まることを知らない彼女は打ち合わせのために呼び出すのも一苦労で、大概は目的地に着いた楽しそうな彼女の写真が送られてきて初めて居所がわかる。それまではメッセージを送ることも見ることもしないのが普通で、自分もそれに慣れてきて連絡が取れないからと焦ることもなくなった。 そんな彼女がこんなメッセージを寄越したことは、今まで一度もなかった。どこかで怪我か何かをして動けなくなっているのでは、と不吉な予想ばかりが頭をよぎり、筆不精な自分らしくもなく急いでアプリを開いて返事を送る。
1 22/12/10(土)23:53:04 No.1002721828
『大丈夫か!?怪我とかしてないか!?』 焦る自分を宥めるように、少し間の抜けた音が彼女からの返信があることを知らせる。 『いまここ』 そんな簡単な返事とともに送られてきたのは、自分にも馴染み深いある場所の景色だった。 安堵で一気に肩の力が抜けて、はぁ、と大きく息を吐く。椅子に掛けてあったコートを取ると、階段を上がっていく。 写真には空が写っていたが、玄関に行く必要はなかった。階段を全部上って、ドアを開ければそれで十分だった。 「や、トレーナー」 いつもの制服姿の彼女は、いつも通りあっけらかんとした顔でこちらに振り向いた。
2 22/12/10(土)23:53:22 No.1002721943
「今日はどうしたんだ?」 もう、心配はしていなかった。彼女が楽しそうに微笑んでいるのなら、それに付き合うのが自分の務めとわかっていたからだ。 「待ってるんだ」 彼女は少しだけこちらを向いた後、もう一度空に視線を戻した。 「何を?」 薄く雲に覆われた空には、抜けるような青い色彩はない。けれど彼女は、むしろそれを待っていたかのように楽しげだった。 「雪が降るのを」
3 22/12/10(土)23:54:04 No.1002722203
「今日、初雪って言ってたんだ。ずっと待ってたんだけど、中々降らなくて。 そのまま寝てたら、その間にドアの鍵掛けられちゃったみたいで」 屋上で遭難するとは大した冒険家ぶりだ。遠慮なく笑わせてもらうと、彼女も少しだけ恥ずかしそうに、けれどやはり楽しそうに笑うのだった。 「はは、それでずっとここにいたのか」 「うん。どっちが早いかなって。雪が降るのと、きみが来るのと。 きみが先に来てくれて、よかった」 彼女が身体を動かして一人分の空間を開けると、吸い込まれるようにそこに腰掛ける。肩が触れ合いそうなくらいに近づいても、隣から感じる熱は弱々しかった。 「中入らないか?寒いだろ」 「やだ」 赤くなった指先に息を吐きかけながらも、彼女ははっきりとそう言った。 「せっかくの雪なのに。 アタシが一番乗りじゃなきゃ、やだ」
4 22/12/10(土)23:54:23 No.1002722338
雲ははっきりと厚みを増して、本当に今すぐにでも雪が降りそうな気配だった。それを裏付けるように、吐く息も白さを増すばかりだった。 「じゃあ、俺も帰らない」 考えるまでもなく、そう言っていたと思う。彼女を置いていくという選択肢は、初めから頭の中になかった。 「あははは」 「こら、笑わなくたっていいだろ?」 形だけの抗議を込めて彼女をつつくいても、擽ったいのか面白いのか、笑うのはやめてくれそうにない。 「だって、そう言うと思ってたから」 まあ、いいか。全部彼女の我儘だとしても。 それが一番、楽しいのだから。
5 22/12/10(土)23:55:32 No.1002722787
「えいっ」 「わ」 少し目を離した隙に、彼女の手が首筋に滑り込む。その手があまりに冷たくて、思わず肩をすくめてしまった。 「ほんとに冷たいな」 「きみはあったかいね」 少しでも温かいところを探るように指先が首筋を撫でると、冷たいやら擽ったいやらで何だかひどく落ち着かない。彼女が満足して手を離すころには、すっかりこちらの首の方が冷たくなっていた。 「なんかないかな…これは?」 彼女の悪戯に抗議するよりも、そのあまりの冷たさに心配の方が勝る。寒さを凌げるものはないかと用具入れを探していると、人の寄り付かない屋上に似つかわしくないタオルケットが出てきた。 「ああ、いいね。持ってきて大丈夫だよ。 それ持ってる子とは知り合いなんだ。あとでアタシから言っとくから」
6 22/12/10(土)23:55:50 No.1002722910
彼女と寄り添って、二人で空を見上げる。タオルケットは一つしかなかったから、少しでも暖を取りたくて、自然と彼女との距離が近くなる。 「あったかい」 「そんなに違うか?」 「あったかいよ。 きみがいるから」 どういたしまして、と口に出すのは何かちぐはぐな気がしたけれど、彼女に寄り添うように少しだけ膝を寄せるのは止めなかった。 気のせいだとしても、彼女を温めてあげられると思うと、少しだけ嬉しかった。
7 22/12/10(土)23:57:04 No.1002723368
夏とは違う、傾きかけた陽のどこか物憂げな光に照らされて、あらゆるもののグラデーションが少しだけ淡くなっていく。 空も雲もいつもより少しだけ近くなったような気になって、いつもと変わらないはずの景色が夢の中のように思えてくる。 幻覚、というにはあまりに心許ない。冬の空が見せるほんのささやかな悪戯を、久しぶりに肌で感じる。 「昔は雪なんて別にありがたくもないと思ってたんだけどな。 降らないのは、それはそれで寂しい」 「ん?」 不思議そうに首を傾げる彼女に、少しだけ付け足すように告げる。 「俺、実家は北の方にあってさ。雪は毎年降るし、一晩で1メートル積もるのだって、そんなに珍しくはなかったんだ。 だから、雪は結構見慣れてたんだよ。東京の冬は全然違うな」
8 22/12/10(土)23:57:21 No.1002723507
さっきまで少し待ちくたびれたように空を見上げていた彼女の瞳は、一気に輝きを取り戻した。 「聞きたい。どんな冬だったの? アタシ、ここの冬しか知らないから」 自分にとっては当たり前の、なんの特別さもない記憶。 けれど、彼女にとってそれは、興味を向けるに値する出来事なのだろう。 「雪、まだ降りそうにないからさ。 聞かせてよ。どんな感じなの?」 彼女にそう言われたとき、嬉しさを隠せなかった。 自分の思い出を、何か価値のあるものと認めてくれた。 そんな気がしてならなかった。
9 22/12/10(土)23:57:41 No.1002723621
冬になるとこんなふうに、空と雲の境目が曖昧になるのが好きだった。雪が積もって見渡す限り地面が銀色に染まると、今度は天と地の境界も曖昧になっていく。 実家に住んでいたときには、そんなことには 気づきもしなかったのだが。雪が積もるたびに溜息を吐きながらスコップを出す父に、年寄りくさいと思いながらも共感せずにはいられなかった。雪が当たり前になると、嬉しさもありがたみも失せてくる。 東京に来て、雪の積もらない冬を過ごして、初めて自分があの鬱陶しい雪を愛していたのだと、わかった。 「雪の夜って、すごい静かなんだ。雪が音を吸うかららしいんだけど。 なのに、窓の外は少し明るくて。起きてるのに、なんだか夢の中にいるみたいな気になる」 こちらの話を聞く彼女の瞳は、真剣そのものだった。次の話をせがむ子供のような純真さと、美しいものを見つけて、それを思い描こうとする情熱が混ぜ合わさった、ひどく綺麗な眼だった。 「聞かせて。もっと」
10 22/12/10(土)23:58:12 No.1002723822
彼女に話をするうちに、自分でも覚えていなかったはずのことが、まるで彼女に話して聞かせるためであるかのように思い出される。 不思議な、けれど決して悪い気はしない体験だった。 「朝になって、積もった雪が陽の光で照らされると、何もかも眩しいけど目が離せないんだ。知ってるはずの通りも、全部真っ白に染まって。 年取ったらまた雪かきかってうんざりするようになってきちゃうんだけど。でも、子供の頃は寒いのも構わずに外に飛び出してたよ。 …違う世界に行ったみたいだったな」 話を最後まで聞き終わった彼女は、礼を言うでも所感を述べるでもなく、穏やかに問うた。 「綺麗だった?」 彼女の言葉は、聞く人の心に触れる力があると思った。そう言われると、日常の中で埋もれていった美しさを感じる心が蘇ってくる気がする。 「…ああ。 すごく綺麗だった」
11 22/12/10(土)23:58:26 No.1002723907
それを聞いた彼女は、もう一度空を見上げて、静かに呟いた。 「見てみたいな。 いつか、きっと」 心から、話してあげてよかった、と思った。 礼を言われるよりも、感想を述べられるよりも、ずっと。
12 22/12/10(土)23:59:15 No.1002724204
厚さを増して今にも降るかと思われた雲は、しかし結局黙ったままだった。空の半分は青空が覗いて、沈みかけた冬の夕日が見えていた。 「晴れてきちゃった」 大抵の人は曇りよりも晴れが好きなはずだが、今の自分たちはもう少しだけ曇ってほしかったのにと思わずにはいられなかった。あと少しあれば雪が降ったかもしれないのに。 雪なんて、何度も見ているはずなのに。 雪が降らない冬にも、もう慣れっこになっているはずなのに。 今、降らないのが残念で仕方ない。
13 22/12/10(土)23:59:29 No.1002724285
「あ」 片付けようと腰を上げかけたそのとき、彼女が漏らした声で足が止まる。 ひとつ、ふたつ。 晴れているはずの空から、ふわりふわりと舞い落ちる。 思い出したように、いくつもいくつも光が降り注ぐ。 白く淡い牡丹が、夕日に照らされて金色の光を帯びる。青い空に白い雪が、雲の代わりに色彩を描く。 さっきの雲が雪を降らせていて、地上に到達する前に晴れたのだろう。 なのに、彼女はこんなことを言ってのけるのだから。 「きみを待ってたのかも」 本当にそうだといいなと考えてしまう。 見慣れたはずの雪景色が、ひどく美しいと思えてくる。
14 22/12/10(土)23:59:43 No.1002724367
掌に乗せると、すぐに融けてなくなってしまう。 ほんの一瞬の、夢のような美しさ。 彼女の掌で甘く融けて、またもう一度降り積もる。 「よかったな。 冷たくないか?」 「冷たい。 冷たくて、気持ちいい」
15 22/12/11(日)00:00:19 No.1002724633
重ねた掌は、もうすっかり温かかった。 「でも、大丈夫。 もう、寒くないよ」 心の温度を、伝えているように。 もっと、一緒にいたい。 この魔法が、融けてしまうまで。
16 22/12/11(日)00:01:00 [s] No.1002725055
俺は欲張り野郎 最高に顔がいいおもしれー自由な女のお気に入りになって一緒に冬の日を過ごしたい
17 22/12/11(日)00:02:49 No.1002725956
お 書 書いてる!!
18 22/12/11(日)00:03:59 No.1002726454
気に入った相手にはこのくらい距離感が近いとよい
19 22/12/11(日)00:07:09 No.1002727805
わがままに付き合わされていっぱい振り回されたいよね
20 22/12/11(日)00:09:08 No.1002728757
あったかい飲み物とか持ってたらあったかいの分けてーって自然に手握ってきそう
21 22/12/11(日)00:13:54 No.1002731019
この時期でもお構いなしに外に出るから基本手が冷たいんだよね トレーナーはシービーを温めるのが仕事になる
22 22/12/11(日)00:18:12 No.1002733135
もうシービーがいないと退屈に耐えられなくなってそう
23 22/12/11(日)00:26:35 No.1002736883
春も夏も秋も一緒に楽しむんでしょう?
24 22/12/11(日)00:29:15 No.1002737838
何より自由を愛する女に同じくらい愛されたいよね…
25 22/12/11(日)00:34:32 No.1002739703
雪が見たいからってトレーナーの帰省に何食わぬ顔でついてくるんだよね
26 22/12/11(日)00:38:51 No.1002741184
雪が積もったら絶対寝転がるしなんならトレーナーも引っ張って隣に寝かせてくる 冷たいけど楽しそうに笑ってるところを見たら全部許しちゃう
27 22/12/11(日)00:42:56 No.1002742765
逆にトレーナーの手が冷えてたときにはお返しで温めてくれる
28 22/12/11(日)00:47:01 No.1002744302
毛布の中に隙間ができないようにぴったりくっつきあってるんだよね…